2010年4月22日木曜日

花粉症

 環境省が、今春の花粉の飛散が終息する時期を発表した。それによると、地域によって多少の違いはあるものの概ね4月下旬には終息するそうである。花粉症に悩まされる季節もこれでやっと終わることになる。私は毎年、花粉症で悩まされてきたが、意外なことに今年は何の症状も出なかった。私にとってこれは特筆すべき出来事なのである。この様な経験は今までに一度としてなかったと記憶している。なぜそうなったのか、その原因をつらつらと考えてみた。

 以下のような原因が考えられる。
(1) 花粉の飛散量が例年に比べて劇的に少なかった
(2) 年齢を重ねたので症状が出なくなった
(3) 新しい点鼻薬を使ったことによる効果
(4) 寝具に付着するハウスダストを徹底的に取り除いた

 まず(1)の飛散量だが、今年はニュース等であまり花粉のことが取り上げられなかったような気がする。それは飛散量が少なかったからなのか、それともインフルエンザ等の他の出来事が多かったせいなのか、そこのところはよく分からない。多分、今年は飛散量が極端に少なかったのではないかと思う。

 (2)の年齢によるものかもしれない。噂では、ある年齢(人により異なる)に達すると突然症状が出なくなり全快してしまうという経験談をよく耳にすることがある。私もそういう年齢に達したのかもしれない。もしそうなら嬉しいことなのだが。

 次に(3)は、治療薬の進歩によるものである。毎年、医者から薬を処方してもらっているが、残念ながらそれが効いているという実感はまるでなかった。それでも毎年薬をのみ続けてきたのは、もし薬をのまなかったらもっと症状が酷くなっていたかもしれない、という思いがあったからである。薬をのんでいたからこそ、症状が軽くて済んでいたのかもしれない。のみ薬の他に、時々は点鼻薬を処方してもらったこともあるが、これはすぐ薬がなくなってしまい、まじめに使い続けてきたとは言えない。
 ところが今年は、一日一回(左右交互に1噴霧ずつ2回で、計4回)の噴霧で1容器当たり4週間(!)はもつという薬を処方されたのである。怠け者の私には最適の薬である。これを真面目に噴霧し続けてきた。朝1回「シュッ、シュッ」とやればそれで終わりである。この薬による効果が出たと思いたいところだが、それではあまりにも劇的過ぎる。そんなに急に効く薬はかえって心配になる程だ。

 最後の(4)について、これは布団、毛布、タオルケット等に付着しているハウスダストがアレルギーの原因になると言われているので、それへの対策をしたのである。
 寝具の手入れ交換等は、昔から家内にまかせてきたのでその点への私の関心は薄かった。ところが、ここ数年家内は病気でそういうことが一切できない身になってしまった。そこで、家内の指示にしたがって私が一人でやっていたのである。季節ごとの布団、毛布、タオルケットの入れ替えは、ほこりを吸い込まないようマスクを着けて作業するほどの注意を払ってきた。ここ数年、それを続けていながら、私は気が付いていない点があったのである。

 私のアレルギー症状は春と秋の2回、季節の変わり目に起こることは以前から知っていた。しかしそれが、寝具を入れ替えた直後に起こっていたことに迂闊にもまるで気が付いていなかったのである。自分で入れ替え作業をするようになって2~3年経ってから、ハタと気が付いたのである。なぜ今まで気が付かなかったのか。実に迂闊であった。
 これは寝具に付着しているハウスダスト(主に家ダニの死がいであると言われている)が原因でアレルギーが起こっているに違いない。夜、寝ようとして寝床に入ってから具合が悪くなることがしばしばあったことも思い出された。そこで、布団を入れ替える時に、強力な掃除機を用いて徹底的にハウスダストを除去することにした。布団や毛布の裏と表を、それからベッド周辺を徹底的に掃除することにした。これが功を奏したのかもしれない。

 これらの原因と思われる項目の内、いずれが花粉症の発症を防ぐ上で効果があったのか、今のところ定かではない。しかし多分、来年にはある程度明らかになるのではなかろうか。私の予想では、(3)(4)のいずれかではないか、あるいはその両方かもしれないと思っている。
 しかし、往々にして問題の原因が複合的に関わっていることがよくあるものだ。一つの原因で、事がすべて解決するという程単純なケースは稀ではないかとも思う。私が関わってきたコンピュータのソフトウェア開発という分野では、トラブル発生の原因は、大抵は各種の要因が複合的に問題解決に関わっていることが多かった。その教訓に従えば、そう単純に物事が解決するとも思えない。来年もまた根本的な解決には至らない恐れもある。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「原因の究明」も参考にしてください。

2010年4月5日月曜日

ウイルス感染 と 感染恐怖症候群

 3月26日、厚生労働省は新型インフルエンザの集団発生に関する観測を当面休止すると発表した。新型インフルエンザの大流行も、やっと一段落したようである。

 確か、昨年の暮れの頃は新型インフルエンザが日本に上陸し、その流行が本格化した頃であった。その結果日本では、誰もが感染を予防することで必要以上に神経質になっていたように思う。私も、ウイルスが日一日と我が身辺に迫りつつあることを実感したのを覚えている。もしウイルスが我が家に侵入してくるとすれば、それは同居する孫が幼稚園からもらってくるケースが最も可能性として高いと思っていた。

 ウイルス感染を予防するには、外出時のマスクの着用、帰宅時の手洗いと嗽(うがい)の励行が言われている。しかしマスクを着けてもウイルスは防げないという説もある。手洗いも、かなり綿密に洗わないと意味がないらしい。その結果手の洗い過ぎで皮膚科に来る人が増えたという話を、後になって聞いた。私も、電車の中で吊革を握るのさえ躊躇したのを思い出す。これは 過度の反応、神経質 と言えるであろう。

 電車の中で、酔っ払った年輩の男が二人連れの女学生に向かって「お前らが不潔だから感染するんだ!」などと悪態をついているのを目撃したことがある。その時期、学生を中心とした若者から感染が広がっていたからである。集団生活で接触機会の多い学生が感染源となったケースが多かっただけのことなのだが(誤解、偏見)。

 一方、私の勤め先の大学では、学生がインフルエンザ病欠の証明書を私の所へ持ってくるようになった。その証明書を受け取りながら(恥ずかしいことに)私はいささかひるんでいたように思う。もちろん、そんな用紙からウイルス感染するはずがないことは十分に承知していたのだが(偏見)。
 教室の出入口には常時、速乾性の消毒液が置いてあるのだが、私は決してそれに手をのばすことはなかった。学生達を前にして、あまりに神経質になっている自分を見せたくなかったからである。ウイルス感染など少しも恐れていないという風な顔をしていたかったのである(神経質、見栄)。

 そうこうする内に、とうとう我が家にもウイルスが侵入してきた。それは孫ではなく父親(私にとっては義理の息子)の方からであった。
 その時点で私が考えたのは、これはまずいぞ。もし自分が感染したら授業を2~3回は休まなければならなくなる。下手をすると私の科目が取れないため単位不足で卒業できない学生が出てくるかもしれぬ、という心配の方であった。受講する学生が感染するのと違い、先生が感染したのでは受講者全員に影響する事態になってしまう。休講にしないよう無理をして、かえって感染を広めてしまうことも起こり得る。それに何よりも、先生が真っ先に感染しては、何ともみっともないという気持ちの方が強かった。病気で体調を崩す心配よりも、他人に迷惑をかけるのではないかという心配、あるいは他人からどう思われるかという心配の方が先だったのだ。幸いにして、それ以上家族に感染が広がることはなく、事なきを得たのであるが(過度の心配、見栄)。

 その時の経験から、私はウイルス感染を防ぐのは本当に難しいと実感したのである。ウイルスという敵は目に見えないので、どこから襲ってくるか分からないからである。それに比べ、コンピュータウイルス(eウイルス)の方なら何とか予防する手立てはある。敵はどこにいるか、プロの眼で見ればある程度分かるからである。その点インフルエンザウイルスの方は、まったく手の施しようのない極めて厄介な存在であるように思えた。

 ソフトウェア開発の仕事をしていた頃のことだが、コンピュータウイルスに感染した場合には、その事実をIPA(情報処理振興事業協会)に報告することになっていた(現在はIPA/ISEC(情報処理推進機構 セキュリティセンター)が行っている)。コンピュータウイルスがまだ今ほど多くなかった頃、その集計結果を一度見たことがあった。それによると、2000年から2001年頃にかけて急速に件数が増加していた(図参照)。ところがその件数の多くは「コンピュータに感染する前に検出された」という分類になっていて、「コンピュータに感染した」と報告された件数はそれ程増えてはいなかった。それを見て私は不思議で仕方がなかった。そんなはずはない。これは私の推測だが、恐らくコンピュータがウイルスに感染したという不名誉を隠すため、かなりの件数が「感染前に検出された」という分類で報告されていたのではなかろうか。

 プロのソフトウェア開発者にとって、コンピュータウイルスに感染するというのは大変に不名誉なことである。普通彼らは、感染しないために何をしたらよいかの教育を受けている。その教えにしたがって、感染予防策を日々講じていなければいけないのだが、それを実行していないいい加減な開発者もいる。これはある種のしつけ、マナーのようなもので、それが実行できないようでは“プロの技術者”とは言えない。いい加減な対応によって開発されたソフトウェアが、ウイルス付きで出荷されてしまったという事例もあるくらいである。そうなると会社の信用に関わることにもなる。

 ソフトウェア開発の仕事から離れて以後も、私はこのしつけ・マナーを忠実に守ってきたので、幸いにしてコンピュータウイルスに感染したことはない(こんなことは大声で自慢することではないが)。しかし、今回のインフルエンザ感染の騒ぎを通じて(これは、本物のウイルスの話であるが)実際に感染した人の心理を考える機会を持つことができた。同時に、感染していない人の心理も(!)考えさせられたような気がする。

 日本人の何パーセントが新型ウイルスに感染したのかは知らないが、感染しなかった人も、やはり同じように“感染していた”のではないかと思う。彼らは(私も含めてだが)間違いなく“感染恐怖症候群”に罹っていたのではないか。
 感染恐怖症候群は特に伝染力が強く、その典型的な症状は上記の私の症例、つまり
 ・極端に神経質になる
 ・自分が感染したらどうしようかと思い悩む
の他に、次のような症状をていすることが多い。
 ・感染者を(特に若者を)非難、差別する
 ・手を洗いすぎて皮膚科のお世話になる
 ・外では物に触りたがらない
 ・マスクを買い占める
 ・初対面の人の前でも決してマスクをとらない
 ・………

 これからは、インフルエンザの流行する時期になると必ず“感染恐怖症候群”の患者が多発することであろう。感染恐怖症候群に罹らないようにするには、早めにインフルエンザに罹ってしまって“免疫力”を得るのも一つの方法である。しかし“免疫力”だけでは不十分で、同時に“感染者の心理”も学び取ることが必要であろう。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「ウイルス感染」も参考にしてください。