2018年10月27日土曜日

重力と私


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── アリスは墜落死したか


 最近の私は、日々 重力と戦っている。
 足が重い。腰が重い。肩も重い。そして口も重い(これは若い頃からだが)。今や昼間でも瞼(まぶた)が重くて普段は眼を細くして物を見ているような状況である。重みに耐えかねてか、全身の皮膚も弛(たる)んできた。筋肉も同様である。身長も少し縮んでしまったようだ。髪の毛が頭部から顔の頬や顎の部分へと移動(落下)してしまったのも、多分 重力のせいではないかと疑っている。

 重力の厄介なところは、次第に加速度が付いてくるところにある。高校時代、物理の授業で習ったところによると、物体の落下速度は時間とともに加速度的に早くなるという。

 ここで、重力加速度の時間(t)は“”の単位で表現するのが普通で、そのことからも分かるように重力加速度は秒単位で急速に増えていく。しかし私の実感では“”の単位で変化する側面にも目を向けるべきではないかと思う。これは、高齢者になって経験してみないと分からないことではあるが。

 思えば、重力の加速度など知らなかった子供の頃が懐かしい。始終飛び跳ねて野外を自由に遊びまわっていた頃は実に楽しかったものだ。高いところから跳べば下に落ちるのはごく自然なことであって、私は何の不思議も感じなかった。重力などという概念を知らなくても、落下するのは当然のこととして理解されていた。

 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」を読んで、アリスが兎穴に落ちる場面では、初速度のままゆっくりと落下していく様子にわくわくしたものだ。アリスは落下しながら棚に置いてあるものを取り上げたり、また棚に戻したりしている。あれは明らかに重力の加速度など存在しない(あるいはゼロに近い)世界のようであった。

 子供たちが、そういう理解のまま軽い気持ちで高いところから飛び降りたりしたら、それはそれで大問題であるが、厳しい現実を知っている子供たちはそんな間違いを起こしたりはしないだろう。高いところに立つと本能的に恐怖心というものが湧いてくるからである。
 それなのに、何故か最近は学校の校舎の窓から、あるいはマンションの屋上から飛び降りたりする子供が増えてきているというではないか。

 思うに、我々は重力の加速度という概念を知ってしまった頃から、夢のある幸せな世界から厳しい現実の世界へと放り出されてしまったのではないかと思う。しかし齢を重ね高齢になるまでは、決して重力の加速度の本当の怖さを身にしみて感じることはないだろうと思う。
 重力の加速度の怖さを(重力のことなど気にもしない)若者たちに知ってもらうには、これはもう絶対に「アリスが兎穴に落ちる話」を持ち出して話すしかないと私は思うようになったのである。

 大学の教師をしていた頃、私はプログラミングの授業でアリスが兎穴に落ちる様子を表示する問題を教材として取り上げた。時間の経過とともに落下距離を求めて画面上にプロットしていくプログラムを作るのである。縦軸に落下距離(y)を、横軸に経過時間(t)をとり放物線状に表示してみる。これにより、急激に重力の加速度が増していく様を見ることができる筈だと考えたのである。しかし

という式をそのまま用いたのでは、余りにも急激に落下してしまい限られた画面上にうまく放物線を表示することができないことが分かった。そこで、加速度を表す係数 g を 1/10 にしたプログラムを作って用いることにした。


図:アリスの墜落プログラムの実行結果

 教育現場での話であるから「アリスの墜落死」という悲惨な結果にならないよう工夫し「アリスの墜落事故」程度で収めることにしたのである。

 人間は自然落下している間は重力を感じないが、落下して着地する瞬間にはそれまでの全重力速度に匹敵する衝撃を受けることになる。その衝撃の程度をこの実行結果からしっかりと読み取ってほしいと思ったのである。その結果、この地球上にいる限りは重力を普段少しずつ受けている状態の方が安全だということを分かってもらえる。重力は放射線と同じ様に少しの量なら良いが大量に受ける(浴びる)と危険である。同様に、重力は少量でも高齢者になるまで長期間受け続けると、これもまた危険なことになる(と、私めは信じるようになった(★))。

 そう信じるようになった経緯をここで説明しておこう。私の経験では、重力を長年受け続けるとその部位が痛くなることを学んだ。たとえば、立ち続けていると足の裏が痛くなる。膝が痛くなる。座り続けていると尻が痛くなる(これは本当につらい)。それなら寝ていればよいかと言えば、そんなことはない。背中が痛くなってくる。ところが起き上がれば痛みはなくなる(病院で診てもらってもどこにも異常はないという)。この痛みから逃れたかったら始終動いていると良いことを体験的に学んだ。寝ているときも時々動いていると良い(半分眠りながら寝返りを打つには、かなりの体力を要することも学んだ)。すべて動いていることが最大の防御になることが分かってきたのである。

 それでは重力による痛みに耐える(*1)にはどうすればよいか、一部重複するところもあるが以下にまとめてみよう。日頃の生活の中で重力による痛みに耐えるには、先ず筋力をつけることが第一である。しかしこれは高齢者には限界がある。そこで、できるだけ重力をまともに受けないように“重力を逸らす技術”を身に付ける必要がある。じっとしていると身体の特定の部位に重力が集中する恐れがあるので、できるだけ重力を分散させて身体全体で受け止める努力をするとよい。最も手っ取り早い方法は、前述した通り始終動きまわっていることである。
【注】(*1)重力に耐えられなくなると普通は重みが痛みへと変わっていく。足、膝、腰などに痛みが発生してくる。しかし痛みが発生しない部位もある。そういう場合は、何とかなるものだ。たとえば瞼が重くなったのなら開くのをさぼって細目で済ませばよい。上唇が重くなったのなら口をあまり開かずにしゃべる。多少、活舌が悪くなっても仕方がない。あるいは黙っているという手もある。女性は、そういう状態でもしゃべらないではいられない性格のようだ。男性も見習うべきであろう。

 普段から座り続けている人は、一定の時間間隔で立ち上がっては身体全体を動かすことが重要である。それを習慣化するため、私は“30分インターバル運動”というのを推奨している(【素歩人徒然(126)】参照(*2))。

 先日、私は高校時代の同期会に出席したのだが、参加者の中に数人だが杖を使っている方々がいた。それを見て私は「なるほど、重力を逸らすには最適の方法だ」と感じ入ったのであった。重力を3本の脚で受け止めて分散させているのだ。うまい方法ですねぇ~。

 実は、私も杖を持っている。同期会で会った連中の杖は太くて立派なものだったが、私が持っているのは5つ折りにできる安物である。これを常時肩幅程度に短くしておいて“護身用の杖”として用いている(【素歩人徒然(117)】参照(*2))。歩道を歩いているとき、突然やってくる暴走自転車から身を守るためのものである。これからは暴走自転車に備えるか、重力に備えるか とくと考えねばならなくなった。

 最後に、私が経験した出来事の内から今回のテーマに関連するエッセイを以下に列挙する。重力との関連性に触れたものは無いが、今から思うとすべて関連しているような気がするのである。
【注】(*2)
【近頃腹の立つこと(5)】「自転車
【素歩人徒然(89)】「歩き方について
【素歩人徒然(103)】「痛みについて
【素歩人徒然(117)】「護身用の杖
【素歩人徒然(126)】「30分インターバル運動
【素歩人徒然(129)】「しっぽの痛み
【素歩人徒然(136)】「
【素歩人徒然(143)】「私のボケ防止法
【素歩人徒然(161)】「ウォーキング考



(★)老婆心ながら・・・
 最初は冗談混じりの話でまとめる積りだったのですが、段々真剣になってきて真贋入り混じってしまいました。私の経験そのものに嘘はないのですが、身体の経年変化の原因を重力のせいとしたのは私の推測に過ぎません。

2018年10月1日月曜日

「私の本棚」をアップデートしました


http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/wyoteiblog.htm

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35  海外文学ハックルベリー・フィンの冒けん  
2018-10-01 掲示中
36  特定テーマ月刊誌大きな文字の文藝春秋(2013-9)  
2018-10-01 掲示中
37  プログラム言語:FORTRAN IV  
2018-10-01 掲示中