2013年4月29日月曜日

人との出会い

 新聞を読んでいたら、45年ほど前の日本初の心臓移植の話が出ていた。

  1968年、札幌医科大学付属病院で心臓外科の和田寿郎教授により脳死状態の若者から重症の心臓弁膜症と診断された少年への心臓移植が行われた。少年は6日後に意識を回復。当時心臓外科1年目だったK氏は「覚醒状態は短く、記者を呼んでの写真撮影では、私がベッドの下で足をつねって目覚めさせた」と打ち明けている。車いすで散歩するまでに回復したが、術後83日目に死亡した、とある。

  よく知られているように、その後脳死判定がいい加減だったとか、少年は心臓移植を必要とするほど重症ではなかったとか、色々と疑問点が出てきた。そして和田教授は「栄光の医師」から一転「疑惑の医師」となってしまった。その結果「和田心臓移植」は、移植医療そのものに不信感を植え付けてしまった。

  このK氏こそ、私が米国アリゾナ州のフェニックス市に仕事で1年間滞在していたとき、家族ぐるみでお付き合いさせていただいたあのK氏である。時系列で考えると移植事件の数年後のことではないかと思う。当時日本中を騒がせた事件に関係していた方であるとは、私は全く知らなかった。どういう仕事をしているかはお互いに知ってはいたが、仕事の内容には全く触れることがなかったからである。帰国後も、私の家内は奥さん同士で毎年の賀状交換を続けてきた。

  新聞の記述によれば、K氏は心臓移植がしたくて心臓外科を志した。「移植したかった。今も一抹の未練はある」長く空白の期間が続いたことに「あれだけマスコミにたたかれてはね。ただ、心臓外科医が和田移植を『移植できない口実』にした面はある」と述べている、とのこと。

  今になって分かるのだが、当時のK氏は傷心の思いで海外の病院勤務をされていたのであろう。人生における人と人との出会いには、後年になってから初めてその意味が分かる事もある。どんなに短い出会いであろうと、人との出会いは大切にしたいものである。