2010年12月24日金曜日

ノートパソコン25周年

 東芝がノートパソコンを開発してから、今年(2010年)で25周年になる。東芝から届いた案内状によれば、東芝科学館でPC企画展が(2010年12月18日~2011年1月29日まで)開催されているとのことである。「-東芝ノートPC25周年-“できない”から“できる”へ変わった ~未来へ進化し続ける東芝ノートPC~」とある。2010年までで累計販売台数は1億台になるという。

 上記の案内状添付のパンフレットには、代表的な機種の発表年と機種名、そしてその写真が載っている。その内の多くは、私の「My Personal Computer Show」の欄に掲載されているものである。少し誇らしく思っている。

(1) 1985年 T1100
(2) 1986年 J3100
(3) 1989年 DynaBook J3100 SS001
(4) 1996年 Libretto 20
(5) 1997年 DynaBook TECRA 750DVD (なし)
(6) 2004年 Qosmio
(7) 2008年 DynaBook SS RX
(8) 2010年 DynaBook R730 (なし)

 ただ、残念ながら(5)と(8)だけは持っていない。何時か手に入れたいものであるが、今からTecraを手に入れるのは難しかろうと覚悟している。

 この企画展の紹介記事が12月19日の朝刊に掲載されて以後、私の「世界初のノートパソコンT1100(私の宝物)」欄へのアクセスが急増していることに気が付いた。普段だと、日に5~10件程度のアクセスしかないので、私はアクセスログを詳細に解析したりして楽しんできたのである。アクセスログを解析すると興味深いことが色々と分かる。どのようにしてこの辺鄙なサイトを見つけてくれたのか、ある程度の推測ができるからである。大抵は検索エンジン経由であり、ホームページ経由のものは滅多にない。どんなキーを使って検索しているのかも分かる。

 今までの、日に数件程度の状態ならアクセスログを目視するだけで解析は済んでいたが、18日以降の急増のためにアクセスログは目視が困難になるくらいの量になってしまった。そこで、使い慣れたPerlで、必要な個所だけを抜き出してくるプログラムを作ることにした。こういう時、Perlって本当に便利ですね。私はアクセスログから1行ずつ取り出してきて、その行に対し次の処理を行うことにした。

(1) "?" を含む行なら残す
(2) "cgi"を含む行なら捨てる
(3) "http...."を含む行なら残す
 という作業をし、最後に残った行の
(4) "http...."の部分だけを出力する

 これでアクセス部分のみを取り出して見ることができるようになった。
この結果、アクセスの方法、検索に用いたエンジン名、検索の際に用いたキーワード等が明瞭になる。
アクセス回数の変化のみを一覧にしておこう。

アクセス
176
1856
19269
2091
2187
2277
23513

しばらくすれば平常に戻るのではないだろうか。
【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「ノートパソコン25周年」も参考にしてください。

2010年11月17日水曜日

ネット世論

 インターネットが普及して以後、“ネット世論”という言葉がよく使われるようになった。ネット世論(つまり、ネット上で大勢となっている意見)が世の中の意向を正しく反映しているかと言えば、それは明らかに否であろう。インターネットを利用する人達の中のほんの一握りの人達が、掲示板やブログ上で発言しているだけかもしれないのだ。その一方で、大多数の人達は沈黙してそれを見守っているだけ(ROM:Read Only Member)というインターネットの世界特有の現象を正しく理解しておく必要がある。場合によっては、同一人物が名前を変えて同じ主張をあちらこちらで流している(MultiPost)こともある。

 このことを、私は大学の講義の中で取り上げようとしたのだが、その説明をする前に「世論」という字を示して「普段、これを何と読んでいますか?」と学生達に尋ねてみた。すると全員が「よろん」と読むと答えたのである。別の読み方をしている学生は一人もいなかった。これは予想通りの結果ではあったが、全員がそう読んでいたのは意外であった。私は「これは“せろん”と読むのだと思いますよ」と少し控えめに述べ、それから本論へと移ったのである。

 なぜこのような質問をしたかと言うと、それは世の中の人達が(メディアも含めて)“世論”(せろん)を「よろん」と読んでいるらしいと最近になって気が付いたからである。今頃気付くとは随分ととろい話だと思われるかもしれないので、もう少し正確に書いておこう。そう発音している人が多いという事実は以前から承知していた。しかし「せろん」と読んでいる人がほとんどいないという事実に気が付いて、これは問題だと意識し始めたというのが正確なところである。多分貴方(女)も“世論”を「よろん」と読んでいるはずです。違いますか?

 私が“世論”という言葉に出会ったのは、正確には思い出せないが、中学生か高校生の頃ではなかったかと思う。その時、最初は「よろん」と読んだが、“与論”という言葉もあることを思い出し辞書で調べてみることにした。すると、手持ちの国語辞典には「せろん」と読むと記されていた。世論と与論の意味の違いを、私はこの時に学んだのである。以後、私は「世界のセ」と心の中で唱えながら「せろん」と正しく読めるようになろうと自分自身を鍛えてきた。
 したがって“ネット世論”という文字に出会っても、私は何の疑問も抱かずに「ネットせろん」と心の中で発音しつつ読んでいたのである。しかし、これがどうやら世間の動向とは著しく異なっているらしいことに気が付いた。それはテレビニュースのキャスターが「よろん」と発音しているのに(私は当然“与論”と解釈した)、画面上では“世論”という文字が表示されていたからである。これまでは「あれまぁ、また表示を間違えて・・・」と思いつつ、そのままにしていたのだが、テレビキャスターまでもが!「よろん」と発音している事実に気が付いて心底驚いたのである。

 これは見過ごしにはできない問題であるように思えてきた。
 与論(よろん)とは、公的な関心事について理性的な討議・討論を重ねた末に導き出された社会的な合意(public opinion)のことであり、合意に至るまでには当然長い時間が必要である。逆に、一度確立されると簡単には覆らない。ある程度の期間は批判に耐え得るものであると言えよう。昔は“輿論”と表記していたが、漢字制限の影響で“与論”という字が使われるようになった。

 一方、世論(せろん)とは、情緒的な私的心情であり、一般大衆の気分あるいは人気(popular sentiments)に基づく意見・感想のようなものである。よくよく考え抜いた末の見解ではないので、時間とともに変化しやすいと言えるであろう。
 最近は、世論(せろん)を「よろん」と読む人が増えたせいか、辞書には世論の項に“慣用読み”として「よろん」という読みも加えられている。このことを知っていたので、私は学生に対して「せろんと読むのだと思いますよ」と控えめに話しておいたのである。

 この解釈に従うと、総選挙の結果のようなものは国民が考え抜いた末に投票という行為を通じて意志表示したもので、その結果は与論(よろん)と呼んでも良いのではないかと思う。したがって、少なくともその任期の間は政権が維持されてしかるべきものであろう。
 それに対し、数か月毎にメディアが実施する内閣支持率調査などの結果は、世論(せろん)と呼ぶべきものである。支持率調査の対象にたまたま選ばれて突然電話を通じて意見を求められても、十分な考察もせずに世の中の空気を読んで適当に回答している人が多いのではないか。それなら、これは人気投票に過ぎない。「あの人はKYだ」などと言って、空気が読めない存在になることを極端に恐れている人達にとって、単なる人気調査をされたに過ぎないのである。

 若い世代の人達が、世論を「よろん」と読むようになったのは仕方ないとしても、世論と与論の本当の意味の違いだけは理解していてほしいと思う。更には、ネット世論と世論の違いの方も当然理解していなければならない。国民が良識ある判断を下せる手掛かりとなるのは、信頼性の高い順に書くと 与論 > 世論 > ネット世論 の順になるのではないかと思う。

 日本の政治の貧困は、政治家が与論ではなく世論(せろん)ばかりを気にして政治を行っているからではないか。中にはネット世論を、世論あるいは与論と勘違いして、自分は若者の間で人気があると思い込んでしまった首相もいた程である。その結果、人気投票のランク付けのように、首相が毎年交代するような国になってしまった。政治の貧困は、このような国語力の低下、つまり言葉の意味の取り違えから端を発しているとすれば、国民にもその責任の一端はあるのかもしれない。

 最近話題の尖閣諸島領有権問題でも、中国のネット世論を中国の与論と勘違いして大騒ぎしているメディアが多い。騒ぎ過ぎではないか。日本のような言論の自由が(比較的)保障されている環境では、信頼度の高い順に 与論 > 世論 > ネット世論 となろうが、言論の自由が認められていない独裁体勢の環境下では、官製の“えせ与論”、“えせ世論”がはびこっていて、我々の参考にはならない。我々が国民の生の声に接することができるのは、ネット世論しか存在しないことになる。そういう国のネット世論の信頼度を、我々はどう解釈したらよいのだろうか。私には皆目分からないのである。
【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「ネット世論」も参考にしてください。

2010年10月20日水曜日

いつでも充電、いつでも充電

 後期の授業が始まった。都心のキャンパスで担当している情報倫理に関する講義では、パソコン画面をスクリーン上に拡大表示するためのプロジェクター装置が、毎年何らかのトラブルを引き起こしている。最初の授業の時ばかりでなく、毎回の授業で私は内心ハラハラさせられているのである。

 今年の授業では、運良く何事も起こらず機器は順調に動作しているようであった。ところが、授業の途中で突然電源が落ちてしまったのである。慌てて担当者を呼び、何とか修復してもらい再び授業を続けることができた。ブレーカーのスイッチが落ちていたのが原因とのことであった。
 ところが次の授業の時も、再び途中で突然電源が落ちてしまったのである。今度も設備担当者を呼び、同じように修復してもらうという手順が繰り返された。最初の時は、原因の追求よりも授業の進行に気を取られていたので、通電すればそれで良しとしてしまったが、今度は、それではいけないと感じたのである。そこで授業が終わってから、大学側に原因の徹底的な調査と教室の変更とを申し入れることにした。

 後日その調査結果が知らされた。その報告によると、問題の教室は隣りの教室と一体となって電源管理されており、設置されているAV機器の容量を満たすだけの十分な電力が供給されていることが確認された。しかし調査した電気技師の経験から、多くの場合学生達が教室のコンセントから自分の携帯電話やゲーム機などに充電しているのが原因となってこの様なことが起こるのだという。

 俄かには信じがたい指摘ではあったが、冷静に考えるとこれが現実なのかもしれないと思うようになった。私の身の回りでも、暇さえあればケータイをコンセントにつないで充電している姿を見かけるようになっていたからである。「いつでも充電、いつでも充電」というわけである。
 電車の中などでケータイを夢中になって使っている人をよく見かけるが、一体彼らはどこで充電しているのだろうと、ふと思ったことがあった。授業中に充電できたとしたら、さぞ便利なことであろう。いや、授業中に充電するというよりも、充電中に時々授業を聞くというのが最近の流行りなのかもしれない。それを知らないのは、ケータイに呪縛されない生活を送っている私めのような人間だけなのかもしれない。

 大学の施設の電源コンセントから許可なく私用のケータイに充電するという行為は、明らかに盗電である。“窓ガラス理論”にしたがえば、このような不正行為を見逃すべきではない。しかし教育の場では、その犯人を捕まえることよりも、教室を変更してそういう不正行為が行えないような環境にすることの方が穏当な解決策ではないかと私は思ったのである。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「盗電」も参考にしてください。

2010年9月15日水曜日

ファイル保存よりも環境保存

 長年に渡ってコンピュータを使い続けていると、その間にマシンのトラブルに巻き込まれる機会もそれだけ多くなる。昔はそれほど頻繁にマシントラブルに会うことはなかったような気がするが、コンピュータの性能が良くなり高度で精密機械として扱われるようになると、ハードウェアが故障する頻度もそれだけ高くなってきているのではないかと思う。

 マシントラブルに遭遇した時、一番に心配になるのは直前まで扱っていたファイルの安否であろう。今まで営々と時間と労力をかけて作成してきたファイルが、破壊されたり失われてしまうかもしれないのである。あらかじめ外部メディアに保存するなりの対策をしておけば良かったと思っても、もはや手遅れであることが多い。誰でも、以下に示す「ソフトウェアの法則」【ファイル破壊の予知法則】を知っていればよかったのに、と思うに違いない。

【ファイル破壊の予知法則】
 ファイル破壊の事故は、常に「ファイルを保存したい」
と熱烈に思う直前に発生する。


 コンピュータを故障させずに長く使い続けるコツは「コンピュータを長持ちさせる法」で紹介したとおりである。つまり
 ・定期的に使い続ける
 ・できるだけソフトウェアを変えない
 ・愛情を持って取り扱う
であるが、この他に、もう一つ重要なのが
 ・スリープ機能を多用しない
ということではないかと最近感じている。

 Windows Vista がリリースされた時、そのシステムの立ち上げに随分と時間が掛かり不評だった。その対策として、私はスリープ機能を多用するようになった。夜、コンピュータを使い終わってもシャットダウンせずに翌朝までスリープ状態にしておくのである。翌日、すぐ立ちあげられるので便利ではあったが、そのためか故障しやすくなったように思う。スリープ状態にしておいて、いざ使おうとマシンをウエイクすると、コンピュータ本体がかなり高温に保たれていることが多いからである。このスリープ機能のために故障したと言いきるだけの確実な証拠はないが、基板上の多くの部品が長い時間高い温度のままで放置されていたのであるから保守上望ましい状態にあったとは言えない。それ以来私は、夜コンピュータを閉じる際は必ずシャットダウンするようになった。そして翌朝コンピュータに触れた時、本体からひんやりとした感触が返ってくると何かほっとして「よし、いいぞ」と思うのであった。

 さて、本論に戻ろう。大切なファイルを失わないためには、日頃からファイル保存の習慣を身に付けておく必要がある。そのための手段として、ファイルのバックアップユーティリティーが用意されているのが普通である。私もその類いのソフトウェアを何度か使ったことがあるが、結局長続きしなかった。操作が面倒で時間がかかるからである。この種のソフトウェアは大抵はファイルを保存することしか眼中になく、個々のファイルを復元する作業は利用者まかせであることが多い。私の経験では元の状態に復元するのにかなりの努力と時間を必要としている。

 マシンが(修理依頼しなければならないような)致命的な故障をした場合、普通は修理に1~2週間はかかるのを覚悟しなければならない。その間は別のマシンで代行しなければならない。そのマシン(もしあれば)への移行作業を迅速に行えるかどうかが一番の問題になるのではないかと思う。毎日行う作業、たとえばメールの送受信などが数日間できないとしたら、これは大変なことになる。たとえば私の場合、迷惑メールが1日当たり200件程度は届くので毎日処理していないとメールボックスが満杯になり、受け取るべきメールも受信できなくなる恐れがある。大学の授業で使っているファイル、課題提出の管理、その他いろいろと、マシンが使えなくなったら大騒動になるのである。

 したがってファイル保存よりも、日々使っている自分の作業環境そのものを保存し、マシントラブルが起こったらすぐさま別のマシン上で同じ作業環境を動作させ継続的に(もちろん最新のファイルを用いて)作業できるようにすることが重要になるのではないか。

 そこで私は、外付けの大容量ハードディスク上に、その日に変更したファイルや履歴を保存することにした。“外付けの”ハードディスクであることが重要な点である。
 保存すべきものは、
 (1)自分が作成したファイル(*1)
 (2)自分が使うアプリケーションのステータス(*2)
等である。
【注】(*1)更新日を比較して変更の必要があるものだけを保存する。具体的には、xcopy コマンドにスイッチオプションとして D を指定するとよい。
【注】(*2)各アプリケーションごとのステータス情報は AppDataディレクトリ(隠しファイル)以下に保存されている。どの場所に保存されているかは、その気になって探せはすぐ分かる。これも xcopy コマンドで必要なものだけを選んで保存するようにする。

 この作業を、毎日の終りにマシンを閉じる際のシャットダウンの直前に行うのである。2~3分で済むから何の苦にもならない。
 こうやって変更のあったものだけを保存していると、不要になり削除したはずのものが外付けのハードディスク上に残ってしまう。そこで毎月1回は、%USERPROFILE% 以下のものを robocopy コマンドを用いて保存し、最新の状態にしておく必要がある。

 私は「コンピュータを隠し持つ」で触れたように、普段使わないマシンがあるから、そのうちの1台をバックアップマシンとして利用することにした。そのバックアップマシン上に同じアプリケーションをインストールし、外付けのハードディスク上に前の晩保存しておいた(1)、(2)のデータを、毎朝リカバリしているのである。そうすると、バックアップマシンの方には必ず前の晩の状態がキープされているので、たとえ普段使うマシンが立ち上がらなくても、何の心配もないということになる。いや、やはり心配ではありますがね。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「環境の保存」も参考にしてください。

2010年8月23日月曜日

コンピュータを隠し持つ

 コンピュータ開発の黎明期の頃から、自分の家にコンピュータを備えるということは科学者や技術者にとって最大の夢であった。ソフトウェア技術者だった私めも、自分の家に自由に使えるコンピュータ(当時は電子計算機と称した)があれば、どんなに素晴らしいことかと夢想した内の一人である。

 コンピュータで何をやりたいかというと、数学の未解決の問題を解くために用いるのである。数学の世界には、まだ証明されていない未解決の定理が沢山ある。それを否定的に解くのに利用しようと思ったのである。つまり、その定理が間違っていることを示す例を一つでもいいから見つけ出せれば、一夜にして定理の解決者としての栄誉が得られることになる。否定的に解くのは、肯定的に解くよりもはるかに容易なことのように思われた。

 もし家にコンピュータがあれば、それを24時間連続稼働して未解決の問題を解くプログラムを動作させ、しらみつぶしに当たっていって答を見つけ出せばよいのである。そういうプログラムを作るのは自分の本業であるから、コンピュータを動作させる電気代のことだけ心配すればよかった。プログラムが昼となく夜となく解を捜し求めている間も、本人は遊んだり別の仕事をしていられるのだから楽なものだ。
 そう夢想していた時、私が空想の中でコンピュータを設置する積りだった部屋は6畳間ほどの広さであった。これは、その当時の中型のコンピュータが何とか納まる程度の広さである。

 時代は進んで、大型コンピュータによるタイムシェアリング全盛の時代には、家にテレタイプ型の端末を置くことを夢見たものである。公衆回線を使って職場(当時はアメリカの研究所にいた)の大型コンピュータを呼び出して使うのである。この頃にはもはや夢ではなくなっていた。端末は研究所からの借り物で、電話料金は(アメリカでは)基本料金で済むから負担にはならない。とにかく家でコンピュータを使えるようになったのである。しかし残念ながら借り物なので“私のコンピュータ”という実感は得られなかったし、日本ではまだまだ実現の難しい夢のような環境であった。

 時代は更に進み、マイクロコンピュータの出現によってパーソナルコンピュータ(パソコン)の時代になった。当初は、いわゆるマイコンを家に置いて、おもちゃで遊ぶような感覚で使っていたものだが、その後コンピュータの性能は飛躍的に高まり、普通のプログラム言語が使えるようになった。そして、再び自分の家に(おもちゃではなく本物の)コンピュータを備える夢が、実現可能な夢として再燃してきたのである。

 特にパソコンの出現は“私のコンピュータ”を沢山持つという贅沢な夢を現実のものとする上で大きな役割を果たしてくれた。もはや、設置場所として6畳間の空間など必要としないのである。私は、実に30台ものコンピュータを自分の家に“隠し持って”いた時代があった。なぜ(豪邸でもない)個人の小さな家に、30台ものコンピュータを隠し持つことができたのか。それはもちろん、私がコンピュータ開発という仕事に携わり、ハードウェアそのものを手に入れる機会に恵まれていたからであるが(詳しくは【素歩人徒然】「コンピュータショウ」参照)、最も重要な点は、コンピュータを隠す技術に長けていたからである。その隠す技術の中でも、特に重要なものはノートパソコンの発明にあるのではないかと思う。この技術の存在なくして、30台ものコンピュータを家人に知られずに家の中に隠し持つことなど不可能であったろう。

 家人の目を逃れるには、もちろん色々なテクニックを駆使しなければならない。デスクトップ型の大きなコンピュータを2~3台、所せましと並べて意識的に家人の不満をそちらに向けさせる。その状態を目くらましにして、残りのノート型のコンパクトなものは、家人の目に触れないように巧妙に隠すのである。応接間の大型ソファの下、椅子の下などが最適の隠し場所となる。本箱や押入の奥にさりげなく置くのもよろしい。一か所にまとめないで、いろいろな場所に散在させるのがコツである。本箱の本と本の間に縦にして置くのは、保守上からは勧められない。むしろ並べた本の上の空間に、水平に置くべきであろう。

 このような高度なテクニック(?)を使って隠し持っていたコンピュータは、古いもので、もはや動作しないものばかりであった。その後いろいろな事情があって、ほとんどの物を手放してしまったが、最近、また集めだしている。使い込んだ愛機を、壊れたからといって廃棄処分することができないのである。修理するとなると、大抵は基板の取り替えが必要となり5~6万円は費用が掛かる。これは新しいマシンを購入できる値段である。しかしそれでも修理して動作する状態にして保存したいと思う。私の書斎のデスク周辺には、そういう稼働するけれども特に使う予定のないマシンが、わさわさと存在するのである。このようにして台数が増えていくと、またぞろ“コンピュータを隠し持つ”ためのテクニックを発揮しなければならなくなるかもしれない。困ったことである。
【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「コンピュータと私」も参考にしてください。

2010年7月23日金曜日

日曜プログラマ

 英語には“Do it Yourself”と言う表現があるように、欧米では何でも自分でやったり、作ったりしようとする習慣がある。“DIY”と略記して、そういう生活態度や考え方そのものを指す場合もある。日本語では“日曜大工”がそれに当たるが、少しスケールが違うかもしれない。欧米では自分で家を建ててしまう人がいるくらいだから、日曜だけのお遊び程度では到底実現できそうにないものにも挑戦するようである。

 “昔プログラマ”を自称する私めも、会社勤めをしている頃は“日曜大工”ならぬ“日曜プログラマ”をしばしばやっていたものだ。定年後は、一応仕事は大学教師ということになっているが、ナニ毎日が日曜日(サンデー毎日)と言ってもよい状態である。であるからして、大掛かりに日曜プログラマができそうなものだが、もう若い頃のような大掛かりなソフトウェア開発を試みる気力は、残念ながら持ち合わせていない。

 それでも、日頃使い慣れたアプリケーションで少しでも使い勝手に不満が出てくると、すぐさまその解決策を求めてプログラム作りを始めてしまうのである。既存のソフトウェアに後から機能追加することを、普通“プラグイン”とか“アドイン”などと呼ぶ。追加したプログラムが、アプリケーションと連携して動作はするが、一体となって動作するわけではない場合はアドインとは呼ばない。単なる“ツール”と呼ぶべきであろう。
 最近のアプリケーションは、アドインされることを前提として設計されているものが多い。したがって、私めのような“老プログラマ”でも挑戦する場はたくさん存在するのである。

 私が作ったアドインソフト、あるいはツール類を以下簡単に紹介することにしよう。

(1)アクセス数の一覧表(ツール)
 私のホームページ内には、色々な場所にカウンターが設定されていて、そのページ内容がどの程度読者に読まれているか記録されるようになっている。最近は検索エンジン経由で(トップページを通らず)直接アクセスしてくる人が多いから、トップページにだけカウンターを設定しておいても意味がない。そのようなカウンター設定場所が年々増えていって、今では170個所を超えている。それらの個所をいちいち見ている訳にはいかないから、一覧表にして表示できれば便利であろう。そう思って作ったのが「Knuhsの書斎・アクセス数の一覧表」(図1)である。
 ①「タイトル」………掲示内容、
 ②「Access日時」……最近のアクセス日時、
 ③「Access数」………昨日までの総アクセス数、
 ④「最新値」…………現時点の総アクセス数

がそれぞれの列の枠内に表示される仕組みになっている。
 Access日時の表示がだとその日にアクセスされたことを意味し、だと前日にアクセスされたことが分かる。前日の記録からどう変化しているかが一目了然で分かるように工夫されている。

 このツールは、Perl言語で記述されている。出力はHTMLファイルで、ブラウザ上で結果を見ることができるようになっている。この表を毎朝最新のものに作り直してアクセス状況の変化を観察しているのである。時々刻々と変わっていくカウンター値(最右欄)を見るのは、なかなかのものである。

 このHTMLファイルは私のローカルなマシン上に置かれているが、実は、私のホームページ上にもこれと同類の“allcount.html”というファイルがあり、上記③が「月頭Access数」つまり「月始めの総アクセス数」に固定されて表示されている。これを見れば、月始めからどう変化しているかが分かるようになっている。 http://beam.to/knuhs で簡単にアクセス表示できるから、関心のある方は見てください。

(2)スパムメールの整理・後始末(アドイン)
 私めのところには、毎日200通あまりの迷惑メールが届く。メイラーのフィルター機能だけでは対処しきれないので、スパムメールキラーというアプリケーションを用いて一挙にそれらを排除することにしている。排除すると言っても、その中に間違って受け取るべきメールが紛れ込むこともあり得るから、一応は私的なごみ箱(1か月間は保管しておく)へ捨てる前にざっと目視で確認する必要がある。慣れてくると2~3分で済む作業である。

 スパムメールキラーでは、メールの発信月ごとに特定のフォルダー上にスパムメールをまとめてくれる。たとえば、2010年7月だと“201007”という名のフォルダーが作られ、その上に置いてくれるのである。新しい月の初日は“201006”と“201007”という二つのフォルダーに分けて保管してくれる。親切で、よくできた仕様だと思う。
 ところが、最近のスパムメールには発信日時を詐称するものが増えている。そうなると目視チェックを複数のフォルダー上で実施しなければならなくなり効率が悪い。そこで手作業で1つのフォルダー上にまとめてから目視チェックを行うことにした。面倒だがその方が早く済むのである。

 しかし発信日時を詐称するメールは増え続け、多い日には10個の偽フォルダーが作られたりする事態になってしまった。たとえば6月のある日の例では、
偽フォルダー名 詐称された年月(*1)
 200611    2006年11月
 201003    2010年 3月
 201004    2010年 4月
 201012    2010年12月
 202606    2026年 6月
 203006    2030年 6月
 203306    2033年 6月
 203406    2034年 6月
 203706    2037年 6月
 203801    2038年 1月

といった具合である。これでは手作業での対応は限界がある。そこで以下のようなバッチファイル(xmvfx.bat)をPerl言語で作りだすことにした。
【注】(*1)発信年月を詐称する(誤記する。あるいは“欺記する”と言うべきか)理由はよく分からないが、多分受信メールの一覧の先頭に表示させることを狙っているのではないかと思う。
●xmvfx.bat ファイルの内容例
@echo off
if (%1)==(1) %then% goto clear
move /y 200611\*.* 201006>nul
move /y 201003\*.* 201006>nul
move /y 201004\*.* 201006>nul
move /y 201012\*.* 201006>nul
move /y 202606\*.* 201006>nul
move /y 203006\*.* 201006>nul
move /y 203306\*.* 201006>nul
move /y 203406\*.* 201006>nul
move /y 203706\*.* 201006>nul
move /y 203801\*.* 201006>nul
echo:* 全メールを 201006 に集めました。
echo:* 内容をチェックしてください。
goto exit
:clear
echo:* 圧縮ごみ箱に移動してもよろしいですね?
pause
move /y 201006\*.* 圧縮ごみ箱>nul
cd 圧縮ごみ箱>nul
c:\tools\lha m 201007-pack *.txt *.001>nul
:exit

 これを
  xmvfx [Enter]  で呼び出せば一か所への“移動”を、
  xmvfx 1 [Enter] で呼び出せば“ごみ箱”へ、となる。
 この呼出し系列をスパムメールキラーのツールとして登録し、スパムメールキラーの中で利用するのである。もちろん、現在年月や詐称年月などは毎日変わるから、このバッチファイルも毎日作り直さねばならない。それを工夫するのがPerlプログラミングの面白いところである。ここでやりたい作業自体は一連のコマンド列で書き下せる程度のものだから、バッチファイルの形で簡単にツール類を作成しアドインできることになる。あなたも試してみませんか。

 ここで、ごみ箱の中身を圧縮したのは、スパムメールにはウイルスが付着していることが多いので、そのまま私的な“ごみ箱”に(少なくとも1か月間)置いておくと、ウイルス対策ソフトが「ウイルス発見!」と騒ぎ出すことがあるからである。圧縮したり、更にはパスワード付きで封印保管すれば万全であろう。

(3)ソースプログラム集(ツール)
 大学のプログラミングの授業で用いるプログラムのソーステキストを取り出すためのものである。毎回の授業に出席し、その場で指定された秘密のキー(*2)を入力すれば自動的にソースイメージが引き出せるようになっている。授業中にそのプログラムを用いて実行したり、改造したりして利用するためのものである。ただし、授業中しか引き出せないように工夫されているところがミソである(正確に言えば、その日の内なら授業の時間内でなくても引き出せるようにはなっている)。随分と意地悪な先生だと思われていることであろう。ただ、欠席して引き出せなかった学生も、プログラム自体は教科書に載っているのだから自分でシコシコとキー入力すればよいだけのことである。それ程意地悪とは思わないが、どうであろうか。
 このプログラムは、PerlとC/C++とを用いて作られている。
【注】(*2)この秘密のキーは、一定の規則に則って定められているが、今まで誰もそれに気が付いた学生はいない。

(4)課題提出状況の表示(ツール)
 授業では、毎週課題が出る科目もある。その回答を、期日までにメールで送付することになっているが、その管理が結構面倒なのである。少しずつプログラム化して自動処理化しようとしているところである。
 私は表計算ソフトで提出状況を管理しているが、学生の方も受理されたのかどうか知りたいから、提出状況の一覧がウェッブ上に表示されれば便利であろう。 そこで、私はメイラーから取り込んだデータをPerlで処理し(学籍番号と課題番号を抜き出す)、その結果を表計算ソフトへ入力する。表計算ソフトではVBマクロのプログラムを用いて管理表に登録(締切前か後か、1週間以上遅れているか等を判断)する。その一覧を定期的にHTML化して出力し、再びPerlで変換して表示形式を整えてウェッブ上にアップする。この一連の処理をPerlとVBマクロプログラムで半自動化しているのである。学生の回答が、締切日に遅れたり、誤って何度も同じ文面のメールを送ってしまったり(そういう例が結構多い)しても少しも驚かない体勢になっている。

 老プログラマにとって、アドインソフトやツールの作成は、ぼけ防止に最適であるように思う。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「日曜プログラマ」も参考にしてください。

2010年7月18日日曜日

書斎のテレビ

 最近、書斎で見るテレビをポータブルな物に入れ替えた。
 それまでは、パソコン1台でコンピュータ使用とTVを見るのとを兼用にしていたのである。コンピュータと兼用と言っても1セグのような解像度の悪い画面では満足できないので、普通のTVと同じ画質とサイズのものである。場合によっては、TV画面を小さくして(“ながら見”モード)コンピュータ作業を並行して行うこともできる。かねてから、こういう環境を構築したいと思っていたのでそれなりに満足して使ってきたのである。

 不満があるとすれば、TV画面の立ち上げに時間が掛かることであろう。使っているOSの Windows Vista の立ち上げには勿論時間が掛かるが、それはレジューム機能を利用してカバーすることができる。しかし、更にTV環境の立ち上げにもかなりの時間が掛かるのである。書斎に入って直ぐTVを見たいと思ってもそうはいかない。決定的な画面を見逃してしまうこともあるのを覚悟しなければならない。

 “ながら見”では、普通はメールチェックとか簡単な作業しかやらないから問題はないが、段々と複雑で大掛かりな仕事を始めてしまうことがある。それなら“ながら見”など止めればよいのだが、もともと「ながら族」なのでそれができないのである。特にTV側で録画の指定をした時などは、コンピュータ側で大掛かりな仕事をはじめてしまうとレスポンスが悪くなり、録画される画面の質にも影響してくることになる。

 これでは困ると思い、Windows 7 マシンが売り出されたのを機会に、もう1台コンピュータを購入してコンピュータ作業はそちらに移行させることにした。実は、意識的に移行させたのではなく、Windows Vista 環境より Windows 7 の環境の方が、はるかに使い勝手が良いので自然に使用環境が移って行ったというのが本当のところである。その結果、書斎の机の上は、左側に作業用コンピュータ、右側にTV用コンピュータという何とも贅沢(?)な環境になってしまった。大型の机なので2台も置くことができるが、このエコの時代にこんな電力の無駄づかいをしていてよいのだろうかという忸怩たる思いもあった。

 そこで、TV用コンピュータをやめて、専用のTVを購入して使用することにしたのである。電力もたいして掛からないし、見たい時には直ぐ電源オンできるのも良い。私の寝室にはTVを見る環境がないので、そちらで寝ながら見たい時は持って行ける程度のポータブルなものである。書斎で1台のコンピュータですべてを満たすという長年の夢は、実際にやってみると色々な問題があるということを学んだのであった。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「書斎のテレビ」も参考にしてください。

2010年6月6日日曜日

上書き保存による記憶の変質

 テレビを見ていたらニューヨークのマンハッタン周辺を空から紹介する番組をやっていた。最初に、スポーツカータイプの格好いい車が横付けされ、その車から案内役のヘリコプターの操縦士が降りてくる。その場面を見た瞬間、何故か不意に私の脳裏には仕事で初めてアメリカを訪れときの感激が、ほんの一瞬だけフラッシュバックのように思い出されたのである。初めてアメリカの文化に触れ、こんな素晴らしい所に住みたいものだとわくわくしながら将来の夢を思い描いていた青春時代のことが突然に思い出されたのである。

 しかし、そのわくわくするような気持ちは一瞬のことで、次の瞬間にはその気持ちを再び思い出すことはできなくなっていた。“一瞬の閃き”という感じで終ってしまったのである。なぜなのだろう。

 私がまだ独身の頃、米国西海岸のサンフランシスコ郊外マウンテンビューにあるソフトウェア会社へ共同開発の業務に参加するため派遣されていたのである。
 アパートで自炊しながら、車で職場のオフィスに通うという生活を数カ月間続けていた。アパートの部屋は広くて当時の日本の生活に比べたら格段に豪華であった。車はレンタカーだったけれど最新型のマスタング マッハ1(Mustang Mach1)に乗っていた。スーパーマーケットの駐車場に止めておくとアメリカ人の男性が「いい車ですねぇ」と車体を撫でながら声を掛けてきたことを覚えている。
 プロジェクトの米人リーダーを務めていた男は、もっと大きなサンダーバード(Thunderbird)という車に乗っていた。一度乗せてもらったことがあるが、その車は降りる時にハンドルを助手席側へスライドさせて乗り降りが楽にできるようになっていた。こういう車を見たのは初めてだったので、私は大いに驚き“アメ車”は凄いと思ったものである。

 オフィスは郊外の緑豊かな素晴らしい環境にあり、プロジェクト室は日本では考えられない程使いやすく工夫されていた。そこで行う仕事の内容は厳しく大変だったが、最先端の技術に取り組んでいるという満足感に溢れていたように思う。
 休日は車で観光に行ったり、日本にはない大型スーパーマーケットで買い物をしたり、百貨店でアメリカの生活用品を見て実に豊かな彼らの生活を実体験したような気分になっていた。
 天候は常に快晴、太陽の日差しも強く日本とは比較にならぬ程の爽快な日々であった。そういう夢のような環境で生活していたのである。

 毎朝、車でオフィスに向かう時は、カーラジオから流れるトム・ジョーンズの“デライラ”の歌声を聴きながら、起伏に富む眺めの良い道をドライブする。そういう時、自分は今何と恵まれた環境にいるのかと実感しつつも、夢の中にいるような気持ちがしたものであった。その頃のことは、その後も度々思い出し懐かしさに浸ることがある。よい経験をさせてもらったと思っている。

 しかし今感じた“一瞬の閃き”として思い出された記憶の断片は、その記憶されていたはずのものとは明らかに異質のものであったように思う。これだ! あの時感じた夢のような気持ち、将来への希望に燃えていた頃の気持ちはこれだったと思った瞬間に、それは通り過ぎるようにはかなく消え失せてしまっていた。あわてて混沌とした記憶のもやの中を探しまわってみたが、残念ながらそれを二度と再び思い出すことはできなかった。

 人間の記憶の仕組みは、一体どうなっているのだろう。
 記憶というものは、その後何度も思い返している内に、新たなデータで補強され上書き保存されることによって少しずつ変質していくのではないだろうか。自分では明白な記憶として最初から変わることなく覚えている積りでも、次第に劣化したり、変質したりしていくのではないかと思う。たとえば、過去に見た風景などは、同時に撮った写真を後で見ることによって細部のデータが補強され、写真ではなく実際に見た風景として脳の中に記憶となって残されるのではないか。我々はそれを、本来の記憶のように錯覚しているのではないか。私が、自分の記憶だと確信していたものは、ずっと不変の記憶ではなく、劣化したり、変質したり、場合によっては実際とは異なる新たなデータが上書きされることによって異なる記録(記憶)となって保存されているのかもしれない。
 この経験を、こうやって文章として記述していること自体、記憶の上書きを引き起こす要因となっているのではなかろうか。

 しかし“一瞬の閃き”ではあっても、実際に思い出された記憶の断片が存在したということは、もしかすると上書きされないまま残されている可能性もあると思うのである。あのテレビの画面に映っていた何かが、私の記憶を刺激してあの“一瞬の閃き”の記憶の断片を思い起こさせたのである。その鍵は、多分
 ・輝くような陽光
 ・スポーツカータイプの豪華なアメ車
 ・トム・ジョーンズのデライラの歌声
 ・将来への夢、若さ
などのいずれか、あるいはそれらすべてがそろった時ではないかと思う。“若さ”の方は、もう期待できないのが残念であるが、何とか上書き保存されていない記憶の方を、もう一度思い出したいと思っている毎日である。
Delilah 

I saw the light on the night that I passed by her window
I saw the flickering shadows of love on her blind
She was my woman
As she deceived me I watched and went out of my mind
My, my, my, Delilah
Why, why, why, Delilah
I could see that girl was no good for me
But I was lost like a slave that no man could free

At break of day when that man drove away, I was waiting
I cross the street to her house and she opened the door
She stood there laughing
I felt the knife in my hand and she laughed no more
My, my, my Delilah
Why, why, why Delilah
So before they come to break down the door
Forgive me Delilah I just couldn't take any more

She stood there laughing
I felt the knife in my hand and she laughed no more
My, my, my, Delilah
Why, why, why, Delilah
So before they come to break down the door
Forgive me Delilah I just couldn't take any more
Forgive me Delilah I just couldn't take any more

Tom Jones

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「記憶」も参考にしてください。

2010年5月21日金曜日

二分木 と ルーツヒーリング

 私は毎週1回は、K市にある大学のキャンパスへ講義のため通っている。電車で2時間以上はかかるので、電車事故などでダイヤが乱れると大幅な到着遅れとなって授業にも差し支えることになる。それを避けるため私は二つの通勤ルートを用意していて、順調に運行している方のルートを選んで大学に向かうようにしている。そのため、出勤の日は朝からラジオの交通情報に耳を傾け、家を出る直前にはインターネットで交通の事故情報を確認するのを習慣としている。

 こういった事故情報では、事故原因が“人身事故”となっていることが多い。春先など学期の初めには、特に人身事故に起因する電車事故が多発するようである。人身事故と聞いても我々は何気なく見過ごしてしまうが、たいていは飛び込み自殺であることが多いらしい。多くの人は「また事故か」と自分の被る迷惑の方に関心を向けてしまうが、その陰では人知れず悩んだ末に自身の人生に区切りをつけてしまった人がいるのかと思うと、痛ましいことだと思うのである。

 大学で若者達に接していると、彼らが青年期特有の色々な悩みを持ちつつも、着実に生きていってほしいと思う。新たな環境で学業や仕事を始める時は、いろいろとストレスに直面し悩むことも多いであろう。そういう壁を乗り越えていくための参考になればと、私は授業の中でストレスへの対処法など、多少なりとも役立つような経験談を語って聞かせることにしている。

 少し専門技術の話になるが、私はプログラミングの授業の中で二分木(binary tree)を取り上げることがある。周知のように二分木というのは1つの数値と2つのポインタ(番地)情報から成る構造体データのことである(図1参照:画像の上にカーソルを置くと図番号が表示されます)。
 この二分木の左右の枝に同じ構造の二分木を何重にもつないでいって、木構造を構築していく手法を教えているのである(図2)。 左右のポインタの指す先に何もデータが無ければ(図3、点線の矢印で示した部分の枝)、
その枝を書かないで済ますことにすると、図4のように表わせる。 

 この木構造を扱う時、私は何時も家系図に似ているなぁと思うのである。たとえば、図4の上下を逆転させた図5では、AさんとBさんが結婚して子供Xが生まれたことを示す図と考えれば家系図の表現そのままである。このXを自分だと仮定すると、将来、図6のようになるのではないかと想像することができる。

 この図6を見ながら、もし自分が若くして死んでしまったら、ここから派生する下方向への枝はすべて存在しないことになる。今ここに自殺したいと思っている人がいるとする。自分が死んでも誰も悲しむ人はいないから、と後腐れなく死んでしまいたいと考えている。しかし、たとえそう思ったとしてもこの図を見れば思い返してくれるのではないか。将来自分の子孫となるはずの人達が大変な迷惑(?)を被るではないか、と。いや、迷惑と感ずるためには存在しなければならないのだが、その存在そのものを否定されてしまうのである。そのことに思い当ってくれないものだろうか。

 昔見た「Back to the Future」という映画にも似たような場面があった。この図から、そういう教訓的な話が引き出せないものか、と私はかねがね考えていたのである。ところが、これがなかなかうまく説明できないのである。Xが存在しなければ、そこから派生する下向きの枝にぶらさがるすべての二分木が消えてしまうことになる。それを劇的に表現できるような図を作りたいのだが、まだうまくいっていないのである。2次元表示の図では、そういう家系図を作るのが難しいのかもしれない。

 もっとも、今まさに死にたいと思っている人にこんな話をしても何の効果も期待できないであろう。健全な心理状態の人に教えておいて、将来壁にぶつかった時に思い出してほしいと思うのである。残念ながら、あまり説得力のある話にまとめることはできそうにないのだが。

 ところで、先日ラジオを聞いていて偶然「ルーツヒーリング」という言葉に出合った。正確には聞き取れなかったが、多分“Roots Healing”ではないかと思う。これは自分の家系図を見て先祖の人々のことを振り返ることによって、心の癒しを得るというものである。なるほど、自分の親類・縁者や先祖の人々がどんな人生を歩んできたか、どういう足跡を残してきたかを知ることは、連帯感を育み、必ずや自分に生きる喜び、希望、勇気などを与えてくれるのではないか、と実感したのである。
 私の“二分木”による教訓話も、あながち的外れではないと勇気づけられたのであった。ルーツヒーリングを加えて、もう少し考察を進めてみようと思っているところである。
【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「二分木」も参考にしてください。

2010年5月9日日曜日

まっとうな日本語を身に付ける

 速読法というものがある。この技術を身に付けると文章を驚くほど速く読めるようになるらしい。大量の本を短時間で読了できるのなら、試験勉強の時など便利だろうから私もやってみたいと思わないこともない。しかしその技術の核心が、どうやら「文章を読まない」というところにあるらしい。そうだとすれば、やはり二の足を踏んでしまうことになる。

 私は、どちらかというと遅読の方である。ゆっくりと個々の文章を味わって読むような読み方をしている。こういう読み方を昧読(まいどく)と言うのだろうか。心に響くような素晴らしい文章に出合うと、その部分を繰り返し読んだりメモしたりして記憶に焼きつけようとする。後で思い返すと、どの本のどの辺りに書いてあったかまで鮮明に思い出せることもある。だから私は、速読法で文章を読まずに、ただ内容だけを短時間に把握できても、少しも有難いとは思わないのである。もちろん、評論家のように短時間に大量の文書を読みこなす必要のある人には有用な技術なのかもしれないが、特別、速読を必要としない人が、あえて速読する意味はどこにあるのだろうかと不思議に思う。しかし人には、それぞれ好みがあるから他人の読書法についてとやかく言う積りはない。

 私は自分の長い人生の間に、新聞や書物を通じて様々な文章に出合い、それをじっくりと読むことによって自らの貧弱な頭脳に少しずつ知識を蓄えてきた。そのことが自ら文章を書く上での財産となり、役立っているのではないかと思う。本当は、ただ黙読するだけでなく、声に出して読むようにしていればもっと良かったのだがと思う。声に出して読むと、脳を活性化させる(1*)だけでなく漢字の読みを確認する動機にもなり大変に有効なのである。
【注】(1*)周知のように、日本語は表意文字と表音文字で構成されている。その日本語の文章を脳でどのように処理しているかというと、まず文字列を視覚パターンとして後頭葉に描き、既知パターンとの一致を求める。一致したら頭頂葉で意味処理を行い前頭葉で論理処理を行っている。
 つづりと発音とが一致しない言語(英語等)では、頭の中だけで発音してみる過程が加わり脳の聴覚機能が働くが、日本語の仮名を読む時は聴覚機能は働かない。したがって声に出して読めば脳の聴覚に関わる部分が活性化されるのである。
 漢字の場合は文字パターンが複雑なため、最初の後頭葉でパターン処理する段階で、より広い面積が活性化され、他の言語では左脳だけで処理が済むところを右脳まで総動員して処理しなければならない。このように、日本語の文章を読むということは、他の言語に比べて脳のいろいろな部位を活性化させていることが分かる。
 日本語として正しい文章、良い文章を数多く読んでいると、我々は日本語として正しい言い回し、表現方法を自然に身に付けるようになる。それを最初から記述できなくても構わない。少なくとも読んでみて、それが正しい(まっとうな)日本語の文章であるかどうかを判断できる“文章力”は身に付くであろう。

 最近、言葉の乱れが話題になっているが、その原因の一つは本を読まなくなったからだと言われている。たとえば、若者の間で「全然かまいません」とか「全然いいです」という様な言い回しが使われていて話題になっている。“全然”の後には、否定形の表現が続くのが普通だから、使い方に間違いがあるという指摘である。こういう議論になると必ず文法的な議論になり、肯定形が続いている例を持ち出してきて「全然いいです」は正しい使い方である、というような主張が展開されたりする。

 我々は(文法学者ではないから)文章を記述する時、いちいち文法のことを意識したりせず、自分の思いを自然のままに書き連ねているはずである。したがって、読み返してみて不自然な文章は、文法的に正しいかどうかを議論するまでもなく、やはり不自然で、まずい文章なのである。それは到底、良い文章とは言えないであろう。誤解を恐れずに書けば、やはり、まっとうでない“間違った”文章なのである。

 我々は不自然な表現に出合うと、その部分が気になって読みの連続性が乱されてしまうことが多い。不自然さがひどいと、読んでいる文章全体に対する共感が得られず、場合によっては内容全体に対する信頼性さえも失われてしまうことになる。不自然さのない“まっとうな文章”であるかどうかを判断するには、沢山の文章を読んで自分の“文章力”を鍛える以外に方法はない。日々交換しているケータイ・メールのいい加減な文章ばかり読んでいても、決してこの“文章力”は身に付かないであろう。ツイッターの、つぶやき程度のいいかげんな文章を読んでいても、多分得られるものは少ないと思う。私は、プロの書き手によって作られたすぐれた文章に数多く接することを薦めたい。それを続けていれば“不自然さ”を嗅ぎわける“文章力”を自然に身に付けることができると思うのである。

 私は他人の書いた文章を査読したり、添削したりすることを仕事の一部としてやってきた。その時、読んでいて不自然なところは、できるだけ直してあげようとする。「たとえば、こう表現したらどうですか」という程度の指摘であるが。
 先の「全然かまいません」などという表現は、明らかに不自然な表現と言える。私だったら「全くかまいません」と直すところである。“全然”と“全く”の使い分けをうまくすれば簡単に解決する問題なのである。それを知らないから“全然”という表現にばかりこだわって、不自然な文章にしてしまうのではないかと思う。まっとうな文を書けるかどうかは、その人が良い文章をどのくらい多く読んでいるかで決まるのではないかと思う。もちろん私も、まだまだ勉強中の身であり、この拙文の中に「不自然な」記述があるかもしれない。その際は、ご容赦願いたい。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「日本語力」も参考にしてください。

2010年4月22日木曜日

花粉症

 環境省が、今春の花粉の飛散が終息する時期を発表した。それによると、地域によって多少の違いはあるものの概ね4月下旬には終息するそうである。花粉症に悩まされる季節もこれでやっと終わることになる。私は毎年、花粉症で悩まされてきたが、意外なことに今年は何の症状も出なかった。私にとってこれは特筆すべき出来事なのである。この様な経験は今までに一度としてなかったと記憶している。なぜそうなったのか、その原因をつらつらと考えてみた。

 以下のような原因が考えられる。
(1) 花粉の飛散量が例年に比べて劇的に少なかった
(2) 年齢を重ねたので症状が出なくなった
(3) 新しい点鼻薬を使ったことによる効果
(4) 寝具に付着するハウスダストを徹底的に取り除いた

 まず(1)の飛散量だが、今年はニュース等であまり花粉のことが取り上げられなかったような気がする。それは飛散量が少なかったからなのか、それともインフルエンザ等の他の出来事が多かったせいなのか、そこのところはよく分からない。多分、今年は飛散量が極端に少なかったのではないかと思う。

 (2)の年齢によるものかもしれない。噂では、ある年齢(人により異なる)に達すると突然症状が出なくなり全快してしまうという経験談をよく耳にすることがある。私もそういう年齢に達したのかもしれない。もしそうなら嬉しいことなのだが。

 次に(3)は、治療薬の進歩によるものである。毎年、医者から薬を処方してもらっているが、残念ながらそれが効いているという実感はまるでなかった。それでも毎年薬をのみ続けてきたのは、もし薬をのまなかったらもっと症状が酷くなっていたかもしれない、という思いがあったからである。薬をのんでいたからこそ、症状が軽くて済んでいたのかもしれない。のみ薬の他に、時々は点鼻薬を処方してもらったこともあるが、これはすぐ薬がなくなってしまい、まじめに使い続けてきたとは言えない。
 ところが今年は、一日一回(左右交互に1噴霧ずつ2回で、計4回)の噴霧で1容器当たり4週間(!)はもつという薬を処方されたのである。怠け者の私には最適の薬である。これを真面目に噴霧し続けてきた。朝1回「シュッ、シュッ」とやればそれで終わりである。この薬による効果が出たと思いたいところだが、それではあまりにも劇的過ぎる。そんなに急に効く薬はかえって心配になる程だ。

 最後の(4)について、これは布団、毛布、タオルケット等に付着しているハウスダストがアレルギーの原因になると言われているので、それへの対策をしたのである。
 寝具の手入れ交換等は、昔から家内にまかせてきたのでその点への私の関心は薄かった。ところが、ここ数年家内は病気でそういうことが一切できない身になってしまった。そこで、家内の指示にしたがって私が一人でやっていたのである。季節ごとの布団、毛布、タオルケットの入れ替えは、ほこりを吸い込まないようマスクを着けて作業するほどの注意を払ってきた。ここ数年、それを続けていながら、私は気が付いていない点があったのである。

 私のアレルギー症状は春と秋の2回、季節の変わり目に起こることは以前から知っていた。しかしそれが、寝具を入れ替えた直後に起こっていたことに迂闊にもまるで気が付いていなかったのである。自分で入れ替え作業をするようになって2~3年経ってから、ハタと気が付いたのである。なぜ今まで気が付かなかったのか。実に迂闊であった。
 これは寝具に付着しているハウスダスト(主に家ダニの死がいであると言われている)が原因でアレルギーが起こっているに違いない。夜、寝ようとして寝床に入ってから具合が悪くなることがしばしばあったことも思い出された。そこで、布団を入れ替える時に、強力な掃除機を用いて徹底的にハウスダストを除去することにした。布団や毛布の裏と表を、それからベッド周辺を徹底的に掃除することにした。これが功を奏したのかもしれない。

 これらの原因と思われる項目の内、いずれが花粉症の発症を防ぐ上で効果があったのか、今のところ定かではない。しかし多分、来年にはある程度明らかになるのではなかろうか。私の予想では、(3)(4)のいずれかではないか、あるいはその両方かもしれないと思っている。
 しかし、往々にして問題の原因が複合的に関わっていることがよくあるものだ。一つの原因で、事がすべて解決するという程単純なケースは稀ではないかとも思う。私が関わってきたコンピュータのソフトウェア開発という分野では、トラブル発生の原因は、大抵は各種の要因が複合的に問題解決に関わっていることが多かった。その教訓に従えば、そう単純に物事が解決するとも思えない。来年もまた根本的な解決には至らない恐れもある。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「原因の究明」も参考にしてください。

2010年4月5日月曜日

ウイルス感染 と 感染恐怖症候群

 3月26日、厚生労働省は新型インフルエンザの集団発生に関する観測を当面休止すると発表した。新型インフルエンザの大流行も、やっと一段落したようである。

 確か、昨年の暮れの頃は新型インフルエンザが日本に上陸し、その流行が本格化した頃であった。その結果日本では、誰もが感染を予防することで必要以上に神経質になっていたように思う。私も、ウイルスが日一日と我が身辺に迫りつつあることを実感したのを覚えている。もしウイルスが我が家に侵入してくるとすれば、それは同居する孫が幼稚園からもらってくるケースが最も可能性として高いと思っていた。

 ウイルス感染を予防するには、外出時のマスクの着用、帰宅時の手洗いと嗽(うがい)の励行が言われている。しかしマスクを着けてもウイルスは防げないという説もある。手洗いも、かなり綿密に洗わないと意味がないらしい。その結果手の洗い過ぎで皮膚科に来る人が増えたという話を、後になって聞いた。私も、電車の中で吊革を握るのさえ躊躇したのを思い出す。これは 過度の反応、神経質 と言えるであろう。

 電車の中で、酔っ払った年輩の男が二人連れの女学生に向かって「お前らが不潔だから感染するんだ!」などと悪態をついているのを目撃したことがある。その時期、学生を中心とした若者から感染が広がっていたからである。集団生活で接触機会の多い学生が感染源となったケースが多かっただけのことなのだが(誤解、偏見)。

 一方、私の勤め先の大学では、学生がインフルエンザ病欠の証明書を私の所へ持ってくるようになった。その証明書を受け取りながら(恥ずかしいことに)私はいささかひるんでいたように思う。もちろん、そんな用紙からウイルス感染するはずがないことは十分に承知していたのだが(偏見)。
 教室の出入口には常時、速乾性の消毒液が置いてあるのだが、私は決してそれに手をのばすことはなかった。学生達を前にして、あまりに神経質になっている自分を見せたくなかったからである。ウイルス感染など少しも恐れていないという風な顔をしていたかったのである(神経質、見栄)。

 そうこうする内に、とうとう我が家にもウイルスが侵入してきた。それは孫ではなく父親(私にとっては義理の息子)の方からであった。
 その時点で私が考えたのは、これはまずいぞ。もし自分が感染したら授業を2~3回は休まなければならなくなる。下手をすると私の科目が取れないため単位不足で卒業できない学生が出てくるかもしれぬ、という心配の方であった。受講する学生が感染するのと違い、先生が感染したのでは受講者全員に影響する事態になってしまう。休講にしないよう無理をして、かえって感染を広めてしまうことも起こり得る。それに何よりも、先生が真っ先に感染しては、何ともみっともないという気持ちの方が強かった。病気で体調を崩す心配よりも、他人に迷惑をかけるのではないかという心配、あるいは他人からどう思われるかという心配の方が先だったのだ。幸いにして、それ以上家族に感染が広がることはなく、事なきを得たのであるが(過度の心配、見栄)。

 その時の経験から、私はウイルス感染を防ぐのは本当に難しいと実感したのである。ウイルスという敵は目に見えないので、どこから襲ってくるか分からないからである。それに比べ、コンピュータウイルス(eウイルス)の方なら何とか予防する手立てはある。敵はどこにいるか、プロの眼で見ればある程度分かるからである。その点インフルエンザウイルスの方は、まったく手の施しようのない極めて厄介な存在であるように思えた。

 ソフトウェア開発の仕事をしていた頃のことだが、コンピュータウイルスに感染した場合には、その事実をIPA(情報処理振興事業協会)に報告することになっていた(現在はIPA/ISEC(情報処理推進機構 セキュリティセンター)が行っている)。コンピュータウイルスがまだ今ほど多くなかった頃、その集計結果を一度見たことがあった。それによると、2000年から2001年頃にかけて急速に件数が増加していた(図参照)。ところがその件数の多くは「コンピュータに感染する前に検出された」という分類になっていて、「コンピュータに感染した」と報告された件数はそれ程増えてはいなかった。それを見て私は不思議で仕方がなかった。そんなはずはない。これは私の推測だが、恐らくコンピュータがウイルスに感染したという不名誉を隠すため、かなりの件数が「感染前に検出された」という分類で報告されていたのではなかろうか。

 プロのソフトウェア開発者にとって、コンピュータウイルスに感染するというのは大変に不名誉なことである。普通彼らは、感染しないために何をしたらよいかの教育を受けている。その教えにしたがって、感染予防策を日々講じていなければいけないのだが、それを実行していないいい加減な開発者もいる。これはある種のしつけ、マナーのようなもので、それが実行できないようでは“プロの技術者”とは言えない。いい加減な対応によって開発されたソフトウェアが、ウイルス付きで出荷されてしまったという事例もあるくらいである。そうなると会社の信用に関わることにもなる。

 ソフトウェア開発の仕事から離れて以後も、私はこのしつけ・マナーを忠実に守ってきたので、幸いにしてコンピュータウイルスに感染したことはない(こんなことは大声で自慢することではないが)。しかし、今回のインフルエンザ感染の騒ぎを通じて(これは、本物のウイルスの話であるが)実際に感染した人の心理を考える機会を持つことができた。同時に、感染していない人の心理も(!)考えさせられたような気がする。

 日本人の何パーセントが新型ウイルスに感染したのかは知らないが、感染しなかった人も、やはり同じように“感染していた”のではないかと思う。彼らは(私も含めてだが)間違いなく“感染恐怖症候群”に罹っていたのではないか。
 感染恐怖症候群は特に伝染力が強く、その典型的な症状は上記の私の症例、つまり
 ・極端に神経質になる
 ・自分が感染したらどうしようかと思い悩む
の他に、次のような症状をていすることが多い。
 ・感染者を(特に若者を)非難、差別する
 ・手を洗いすぎて皮膚科のお世話になる
 ・外では物に触りたがらない
 ・マスクを買い占める
 ・初対面の人の前でも決してマスクをとらない
 ・………

 これからは、インフルエンザの流行する時期になると必ず“感染恐怖症候群”の患者が多発することであろう。感染恐怖症候群に罹らないようにするには、早めにインフルエンザに罹ってしまって“免疫力”を得るのも一つの方法である。しかし“免疫力”だけでは不十分で、同時に“感染者の心理”も学び取ることが必要であろう。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「ウイルス感染」も参考にしてください。

2010年3月23日火曜日

eウイルスと雑菌

 新型インフルエンザウイルスの大流行は、やっと一段落したようである。今から思うと、あの騒ぎは一体何だったのかと思うことがある。

 一般に“ウイルス”と言えば、インフルエンザウイルスに代表される生物学的なウイルスのことであるが、この世にコンピュータウイルスが登場してからは、単に“ウイルス”と言っただけではどちらを指すのか曖昧になってしまった。もちろん多くの場合、前後の関係から判断してどちらを指すかは容易に判断できることが多い。しかし、たとえば文章の中に“ウイルス”という語が出てきたとき、どちらを指すのか分かるまでにはかなり文脈をたどらなければならないこともある。そこで、正確さを重視してコンピュータの場合には「コンピュータウイルス」と書くことにしたのである。

 ところが、コンピュータウイルスの知識が世間に広まるにつれて、特に断らなくても“ウイルス”と言えばコンピュータウイルスを指すと理解されるようになってしまった。つまり、生物学的なウイルスよりもコンピュータウイルスの方が、我々には身近な話題になってしまったのである。これが良いことなのかどうかは分からない。
 そこに、新型インフルエンザウイルスが登場し、世間を騒がせる事態になった。そして生物学的ウイルスの方が、再び我々にとってより身近な存在に返り咲いてきたのである。

 これからは、単に「ウイルス」と言えば、インフルエンザウイルスが流行る時期は、インフルエンザ等の生物学的ウイルスを指し、コンピュータウイルスが猛威を振っている時期はコンピュータウイルスの方を指す、と巧みに区別しなければならないことになった。これは、かなりやっかいなことである。
 そこで、後発のコンピュータウイルスの方が一歩譲って、これからはコンピュータウイルスは eウイルス と書くことにしてはどうかと思うのである。「eブック」、「eラーニング」、「eメール」、「eコマース」等の前例があるではないか。

 しかし生物学的ウイルスの複雑・精緻な構造に比較して、コンピュータウイルスの構造はいかにも粗雑である。あれは“ウイルス”などと呼べる代物ではなく、精々が“雑菌”程度のものではないかと思う。世のクラッカー達は、あんな雑菌程度のもの(「e雑菌」と呼ぶべきか?)を喜々として作り、自慢げにまき散らしたりしている。まさに笑止千万!ではないか。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「ウイルス感染」も参考にしてください。

2010年3月8日月曜日

怒りの感情を抑えるには

 自分の感情、特に喜びや、悲しみ、怒りなどの激しい感情を抑制するのは大変に難しいことである。私の場合、怒りの感情を抑えるのは特に難しいと実感している。抑制できずに随分と失敗を重ねてきている。

 一般に自分の感情をコントロールするには、まず他人に話して同感してもらえる程度にまで、自分の感情を抑制し平静さや落ち着きを取り戻すことが必要である。
 自分の気持ちを聞いてくれて、それをよく理解してくれそうなのは、やはり肉親あるいは友人など自分の周辺に居る人たちであろう。理解してもらえる可能性の高い順に並べると、
 (1)肉親
 (2)友人
 (3)知人
 (4)見知らぬ他人
のようになるのではないかと思う。
 インターネットの時代では、(4)の見知らぬ他人に理解してもらうことが可能となった。人によっては、(1)(2)よりも(4)の方が、よりよく自分を理解してくれると思う人が増えてきている。しかし、この方法には危険もともなうのである。

 自分の周辺に(1)(2)(3)に該当する人が居なければ、最初から(4)に頼ることになる。インターネット上で、運よく心を癒やしてくれる見知らぬ他人に出会えればよいが、必ずしもそうはならない。出会った人が同感してくれないかもしれない。逆に攻撃されてしまったりもする。あるいは、誰も話を聞いてくれなくて、結果的に無視されてしまうことも起こり得る。そうなると、もはや相談できる相手は誰もいなくなってしまい、逆に怒りや悲しみに火がつくことにもなりかねない。

 我々は、怒りや悲しみに陥って逆境にあるとき、内に引き籠って孤独の中で過ごすよりも外に出るべきであろう。インターネットの世界の見知らぬ他人から解決法を得ようとする前に、見知らぬ他人が生活している実際の世間そのものに、まず出て行くことから始めるべきである。

 周辺の人から同情を得て自分の心を癒やすのもよいが、それは一時的な対症療法に過ぎない。その「怒りや悲しみ」など全く関知しない「見知らぬ他人」と一緒に時間を過ごすのが、一番の解決方法なのである。そして、そんな悩みのことなど何も知らない人々と日々生活するのである。それが、心の健康を取り戻すための一番の近道ではないかと思うのである。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「怒りを抑える」も参考にしてください。

2010年2月2日火曜日

授業に出席することの意味

 学生を相手に授業をしていると興味深い経験をすることが多い。学生の考え方に驚くとともに、考えさせられたり教えられたりすることもある。
 ある時、女子学生がやってきて病気で入院していたので、その間の授業を出席の扱いにしてほしいと言う。「病気で休んだのなら欠席ですよ」と言うと、「病気になったのは私の所為ではないから、当然出席の扱いにすべきです」と主張するのであった。私が受け付けなかったので、彼女は大いに不満そうであった。他の授業では、それで通用していたのであろう。

 このことがあってからは、私は最初の授業の時に「病気で欠席したのを“出席”にして欲しいなどという無理は、言ってこないでください」と念を押しておくことにした。
 ところが、次の授業の時に今度は男子学生がやってきて「この時間は毎週歯科医で歯の治療を受けなければならない時間なんです。ずっと出られないのですべて出席の扱いにしてくれませんか」と言う。「そんなことはできませんよ。欠席は欠席です」と答えると「そんな理不尽な!」とあきれた顔をされてしまった。私の判断が理不尽なことなのだろうか。治療時間は変えられないと言う彼に向って「それでは、直ってから私の授業を受けに来たらどうですか」と言うしかなかった。すると「ずっと治療を続けねばならないので、それでは永久に卒業できません」と言う。あきれた顔をするのはこちらの方であった。

 要するに、彼らにとって授業に出席するということは、授業の内容を学ぶことではなく出席記録を残すことなのであろう。他の先生方は、このような要求をそのまま受け入れていたらしいのである。

 最近の新型インフルエンザの大流行で、大学も特別な対応を迫られることになった。インフルエンザに罹ったら無理に登校せず、休むようにと学生を指導している。後で証明書を発行しそれを提出すれば“出席”の扱いにするよう先生方にも通達が出された。どうやら大学側も、出席記録にこだわっているらしい。こうなると私も、インフルエンザ病欠者を“出席”の扱いにせざるを得ない。しかし、その間に出された課題を欠席のために出来なかった学生はどのように扱ったらよいのだろうか。出席記録の変更だけで事が済む話ではないのである。

 一般社会では、インフルエンザに罹ったからと言って会社が出勤扱いにしてくれる訳ではない。無理して出勤するか、あるいは休むかは自分で決めなければならないのである。そこで大人の判断が求められるのだ。普通は休むであろうが、自分が出かけて行ってその日の内に手続きをしなければ会社の存続にかかわるような問題を抱えているのであれば、当然出かけていかなければならないであろう。休んでしまって、後でインフルエンザに罹ったからと言い訳はできないのが一般社会のルールである。社会人ともなれば、常にどう行動したらよいかと自分で適切に判断しなければならない。それを出来るのが社会人なのである。

 インフルエンザに罹った学生に対して“出席”の扱いを認めるのは、実は学生を一人前の大人とみなしていないことを意味するのではないか。出席記録を残したくて無理に登校し、それが原因でインフルエンザ感染が広がってしまっては困った事態になる。大人ならどう行動すべきか自分で判断することが出来るが、学生の場合はその判断が出来ない可能性があるから、一律に“出席”の扱いにしているのである。私は学生にこう話している。「君たちは一人前の大人とみなされていないんですよ」と。
 学生は「“出席”の扱いにしてもらえた」と喜んでばかりいてはいけないのである。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「大人の判断」も参考にしてください。

2010年1月16日土曜日

好都合な真実

 情報倫理の授業の中で、私は学生に“多様性”ということを教えなければならない。つまり多様な意見の存在を認めようということである。意見を異にするからといって阻害したりせず、意見が違うことを認めた上で共存することの重要性を教えるのである。その際に、航空幕僚長の地位にいた人の書いた論文に言及したことがあった。日本が、かつて侵略国家であったか否かの論文で物議をかもし、辞任に追い込まれた事件の直後だったからである。そして、あれは公の地位にいる人の発言としては好ましくないということで問題になったのであって、私人なら何の問題も起こらない。人は誰でも自由に意見を表明できるという話をしたのである。更に、これは言わなくても良かったのだが、「他の歴史学者の著作の中から自分に都合の良い主張だけを集めてきて、自身の主張を展開しているらしい」と、どちらかと言えば批判的に、新聞紙上から得た知識を紹介したのである。もちろん、その論文をどう解釈するかは学生の皆さん個人の問題ですが、と抜かりなく言い添えておいた。

 授業が終わってから一人の学生がやってきて「先生はあの論文を読みましたか?」と質問してきた。私が読んでいないと答えると、「私はすべて読みました。そして全部、ちゃんと理解しました。先生は読んでいないのに批判するべきではありません!」と言うのであった。「私は読んでいないけど、自分の意見を述べるのは構わないと思いますよ。意見を述べるな、と発言を封ずるのは間違っています」と私は答えたのである。

 たった今、多様性について教えたばかりなのに、自分の気に入らない意見はすべて封殺しようとする姿勢が見え見えであった。最近、こういう若者が増えてきているのはよく指摘されるところである。インターネット上の掲示板などで論争が起こると、必ず誹謗中傷、暴言へと変わっていくのは誰でも知っていることだ。私がその論に関して何か論文を発表するのなら、それは当然読む必要があろう。しかし単なる意見を言うだけなら、新聞の解説記事から得た知識程度で十分であろう。私は読む必要を感じていなかっただけのことである。もっとも、大学の先生というものは学生に対し常に中立の立場でものを言うことが求められると錯覚している人も多いから、微妙な問題で自分の意見を表明する先生が珍しかったのかもしれない。

 その学生との議論はそこで終わったのだが、私は、本当はその学生にこう言ってあげたかった。もし、貴方がもっと日本の歴史を勉強していれば、簡単にはその主張に同意できなかったでしょう、と。「私はすべて読みました。そして全部、ちゃんと理解しました」という一言が気になったのである。著者の主張に不都合な真実はすべて無視し“好都合な真実”だけを集めてきて構築された主張に対し、日本の歴史をよく勉強していない人が疑問を差し挟むのは難しいであろう。ましてや反論などできるはずもない。

 ところで、我々はインターネット上の検索システムを用いて色々なことを調べられる世界にいる。その結果、学生が提出するレポートの多くが、検索結果の切り貼り(“コピペ”と言うらしい。いやな略語だ)で作られていて問題になっているのはよく知られた事実である。私自身も、ちょっと疑問に思ったことは手軽に調べられるので、検索結果から便利に知識を得ている一人である。

 しかしインターネットのない時代には、我々は書物を読むことによって多くの知識を得ていた。一冊の書物を苦労して読み、自分なりに理解し、その過程で少しずつ自分の頭の中に知識の体系を構築していったものである。つまり本を読むという作業は、その本全体の文脈をたどりながら、自分の中に新たな知識の体系を移し替えていく作業と言えるのではないか。自分が以前から持っていた知識と織り交ぜ、必要なら修正をほどこしつつ構築していくのである。

 一方、インターネットを通じて知識を得る場合は、そのような過程を通らないことが多い。検索結果から得られる短い情報からは、原文全体の文脈をたどることはできない。自分の欲しい情報だけを“つまみ食い”しているようなものだからである。知識として消化し自分のものにする前に、その記述自体を自分の知識と錯覚しダイレクトに使ってしまうのである。そして、それが習慣になってしまうと、つまみ食いされた“好都合な真実”のみを用いて、結果として“不都合な真実(主張)”をでっち上げてしまうことになる。先に述べた論文を書いた人も、それを読んで「ちゃんと理解した」と信じてしまった学生も、私自身も、たいして変わらないことを日々やっていたような気がしてきたのである。反省すべきであろう。

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「インターネット検索の功罪」も参考にしてください。

2010年1月1日金曜日

初心者ブロガーの経験

 私めは、昨年の4月に初めてブログを開設した“初心者ブロガー”である。

 ブログを開設する気になったのは、今流行りのブログなるものを自分も一度は経験してみたかったからである。それまで長年に渡ってHTML形式のホームページを構築してきて、少し疲れを感じていたこともある。毎月定期的にエッセイを書き、それを友人達に読んでもらった後で(まぁ、査読してもらっていた、ということですね)多少の手直しをしてからホームページ上に掲載するという“楽しみ”を長年続けてきた。しかし最近は、病妻の介護という仕事が増え、大学の授業の準備、学生から提出された課題レポートの処理・・・と、いろいろな仕事が増えてきてじっくりと時間を掛けてエッセイなど書いている心理的な余裕がなくなってきたのである。妻の介護度が更に高くなるのにともない、そろそろホームページの運営も限界だなと感じてきている。そこで、もっと手軽に書ける(ように思われる)ブログに目を付けたのである。9か月ほどブログを楽しんできたが、これも残念ながら尻すぼみになりつつある。新しい年を迎えるのを機に、もうひと頑張りしたいと思っているところである。

 短い期間ではあるがブログを使ってみて、HTML形式のホームページとの違いが明確になってきた。ブログに掲載される記事は、常に先頭にあるものが最新の記事であり次の記事の掲載とともにプッシュダウンされて次第に下の方へ沈んでいく(要するに古くなるということですね)。下に沈んでいったものは、物好きがサルベージしない限り、二度と読まれることはないように思われる。それに対し、HTML形式のホームページ上の記事は、うまく整理し分類しておけば何時までも新しい記事と同様に読まれる可能性を持っている。もちろん、そのためには記事内容の鮮度が高くなくてはならないが。

 この両者の特長を生かすにはどうしたらよいかが、ホームページとブログとをドッキングさせる上での課題であろうと考えている。詳しくは 素歩人徒然「ホームページとブログの併用法」欄を参照されたい。