2020年7月8日水曜日

ラジオと私


・Knuhsの書斎 から転載

── ラジオを聞くと頭がよくなる?


▼ラジオの思い出
 私は昔からラジオを聴くのが好きだった。今でも毎日聴いている。
 ラジオとの最初の出会いはいつ頃だったのか正確には思い出せないが、疎開先の長野県蓼科で玉音放送を聴いたときの記憶だけは鮮明に覚えている。当時6歳だった私は、放送の内容もその意味もよく分からないまま近所の人たちと一緒に農家の庭先に整列し、直立不動の姿勢で家の中から聞こえてくるラジオを通しての天皇のお言葉に耳を傾けていた。後で「日本は戦争で負けたらしい」と教えられたのを覚えている。抜けるような青空の下でジリジリと照り付ける強い日差しと暑さだけが記憶に残っている。

 小学生時代の私は、終戦後の苦しい生活の中でラジオを聴くのが最大の楽しみの一つだった。戦時中は「警戒警報」の発令を聴くために各戸には必ずラジオがあったが、終戦後もそのラジオを使い続けていた。古いので故障したり聴き取りにくかったりと厄介な代物だったが、私は耳を押し付けるようにして夢中になって聴いていた。

 有名作家の作品を毎日少しずつ朗読する番組があり、私は久米正雄の作品を毎日欠かさず聴くのを楽しみにしていた。その朗読の最終回の日にたまたまラジオが故障して聞くことができなくなってしまった。そのときの口惜しさを今でも忘れない。後年、久米正雄の作品集から該当する作品を見つけようと試みたが作品のタイトルも内容もすっかり忘れてしまっていて口惜しさが倍増しただけであった。

 中学生時代だったと思うが、授業で鉱石ラジオを作成する時間があった。家で菓子が入っていた四角い小さな缶を見つけてきて、その中に組み立てた鉱石ラジオを入れ蓋をする。そして缶の側面に穴を空けてチューニングする部分を外に出し缶の外から操作ができるようにした。家でテストしたときはうまく聞こえたのだが、学校に持っていって先生に提出した後では何故かまったく聞こえなくなってしまったようだ。学友から「お前の、聞こえないぞ」と言われて口惜しい思いをしたのを覚えている。外見は一見素晴らしい出来栄えに見えたのだが、聞こえないのでは意味がない。大失敗であった。

 高校生時代の私は、自分専用のラジオを手に入れることに夢中になった。兄が読んでいた「ラジオ技術」という雑誌を見てポータブルラジオを自作しようと思い立った。当時、必要な部品を集めてセットにしたものが秋葉原の電気街で売られていたのである。それを買ってきて自分で(いや、兄に助けてもらいながら)組み立てた。自分専用のラジオを持つことができただけでなく、それを屋外に持って出て好きな場所で聞くことができたのが最大の喜びであった。私にとっては画期的な出来事だったのである。

 当時通っていた高校の英語担当のU先生はラジオ番組に投稿するのを趣味としておられた。夜、NHKの放送でクイズ番組を聴いていると突然投稿者として先生の名前が読み上げられ仰天したのを覚えている。
 しかし勉強中にラジオを聴くことはなかった。当時はまだ“ながら族”という表現は存在していなかったのである。

 企業人となってからは、通勤電車の中でどうやって時間(片道約2時間)を有効に使うかということで頭を悩ませることになる。普通は本を読んだり居眠りをしていればよいのだが、読む本がないときもある。ときには気分転換も必要になる。そんなとき、そうだ(!)ラジオがあるじゃないか、と通勤の行き帰りの4時間はラジオを聴くことを思い付いた。しかし残念ながら当時の携帯用小型ラジオはノイズを拾ってしまい音声をうまく聞き取れないのである。鉄路の上を走るのだから電車の中は特に強いノイズだらけでラジオを聴くには最悪の環境だったのである。

 仕方なく私は、家でカセットテープに録音したものを電車内に持ち込んで、コンパクトなテープ再生機で聞くことにした。こうすればノイズなしのクリーンな状態でラジオの音声を楽しめる。オートリバース機能を使えば1~2時間は連続して聞くことができた。このようにして私は通勤時間帯の厳しい環境を楽しい場へと変えることに成功したのである。

 その後、電車内でのノイズを消して聞きやすくした小型携帯ラジオが売り出された。私もそれを利用するようになったが、それでも聴き取りにくいところは完全には解消されていなかった。カセットテープの再生音の質の良さには到底及ばないと思ったものだ。

 仕事から引退した後は、家でラジオ三昧の日々を送っている。一緒に暮らす家族の者たちはほとんどラジオというものに関心がない。リビングルームの食卓周辺にはテレビはあるがラジオは置いてない。孫たちはテレビは見るけれど、それよりもYouTubeの方に夢中になっていることが多いようだ。世代によって主となるメディアは劇的に変わってきているようである。

 一方、私の書斎と寝室にはラジオがそれぞれ置いてある。私は朝ベッドの中で目覚めるとラジオを2時間程聞いてから起床する習慣にしているが、朝食時にも聞きたい番組が沢山あるので小型の携帯用ラジオをポケットに忍ばせてイヤホーンを用いて聴きながら食事をしている。平日の朝は、孫たちが登校するまでの騒がしい時間帯であるから、家族の者たちも私に話しかける余裕もなく丁度良い具合である。ラジオという有用な情報ツールがあるのに若い人たちはまるでそれを知らないようである。残念なことだ。

▼視覚情報優位の社会
 そんなある日、私はラジオで興味深い話を聞くことになる。
 そのときラジオでは「ラジオと脳」というテーマで話題が盛り上がっていた。聞くところによると、ラジオ業界には「ラジオを聞くと頭がよくなる」という通説があるのだそうである。誰が言いだしたのかは定かではないが、恐らく自分たちの業界の発展を期待して無責任(?)に言い始めたものであろう。しかしこの通説が世界で初めて(!)検証されたのだ。そして、耳からの情報が脳を成長させることが分かってきたのだという。

 普段ラジオを全く聴かない大学生と、ある程度聴いている大学生とを対象にして1日2時間以上1か月間ラジオの放送を聴いてもらい、その前後にMRI検査をして比較してみると右脳が2倍以上活性化されていたという。脳の部分でそれまで使われていなかった(寝ていた)部位が活性化され(起きた)状態になったという。人間の脳は意外に使われていない部分があって、それが使われ始めたというのである。

 右脳と言えば、ひらめきや直感といった機能を司ると思われているが、空間をイメージする役割もあり、脳がしゃべり手の言葉を想像力で補うことで右脳が活性化したのではないかというのが専門家の意見らしい。ラジオから天気予報が流れてきたら、天候と場所とを想像力で結びつけようとする。この作業が右脳を働かせているのではないかという。

 聞き手の脳は、しゃべり手が次に何を言うのか無意識に予想し補完しようとする。脳がしゃべり手と一緒に雑談をしているように情報を処理しているらしい。日常よく聴いている番組では、聞き手にしゃべり手の口調がうつることがよくあるそうだ。頭の中で話し手の話し方を再現するからであろう。

 今回の検証は大学生を対象にしているが、脳の成長に年齢はまったく関係がないという。いくつになっても脳を成長させることができるそうである。

 ラジオ業界の人が言い始めた通説がこうして具体的な成果に結び付いてきたのは結構なことだが喜んでばかりもいられない。実は、日本人は聞く力が衰えてきているという。脳の中はいろいろな部位に分かれていて、それぞれ役割を担っている。その中に、耳から入ってきた情報を活用する部位があり、聴覚に特化した部位が理解力や記憶力を司る部位と密接な関係にあるという。

 今まで世の中では、聴覚視覚からそれぞれ情報を取り入れていたが、スマホが普及した現在では、ほとんどが視覚からの情報を扱うようになってきている。つまり目から入ってくる視覚情報優位の社会になってしまったのである。

 脳というのは、視覚優位になると相対的に聴覚系の部位がうまく働かなくなるという。一方、脳の容量は増えることはないのでどちらかが増えるとどちらかが減ってしまう。その結果、視覚優位になると人の言葉を理解したり記憶する部位が阻害されてしまう。これによって様々な弊害が起きてくる。たとえば、人の話を聞いてもその内容を覚えられない。集合場所とか集合時間とかを指示されても、昔は一発で覚えられたのに、命令を声で伝えられるようになると何回繰り返しても覚えられない人が増えてきているという。こういう経験のある人は視覚優位の“スマホ脳”になっているのかもしれない。

 したがって、生の人の声を聴く機会を作って聞く力を意識的に鍛える必要がある。現在はテレワークの時代でありリモート会議が盛んでリアルな会話がしにくい環境ではあるが、リアルな会話でなくても脳がしゃべり手と雑談している感覚になれるラジオ放送を聴くのが鍛えるツールとして良いのではないか。

▼終りに
 実は私は、以前から聴覚重視派だった。学生時代の試験勉強では、テキストを読んでいて重要な文章に出会うとその部分を声を出して読みながら頭に叩き込むことを無意識の内にやっていたように思う。更に言えば、最近では聴覚視覚の両方を同時に使うと、もっと良い結果が得られると思うようになっている。

 “読み上げる声を聴きながらテキストを読む”という方法である。これが一番記憶に残る勉強法であると信じている。たとえば、私のホームページ上の「私が耳にした健康情報」という欄を見ると分かると思う。ここでは、聴覚視覚の共用を実践して読者が健康情報を理解しやすくなるよう工夫されている。

 ただ一つ問題があるとすれば、音声情報のファイルは大きな容量を占めるので保存が難しいという点である。私の場合、自分のホームページの領域内に保存していたので、あるとき突然満杯になってしまい一切の登録ができなくなってしまったことがある。慌てて調べて見ると、音声ファイルが増え過ぎてテキストファイルを置く場所がなくなってしまっていた。解決策として、取りあえず音声ファイルを大量に削除しなければならなくなった。この問題を根本的に解決するまで、健康情報の欄はしばらく休止状態になっている。

 無料で使えるブログを利用すれば、テキスト情報や画像情報の保存は容易であるから保存上の問題はない。しかしなぜか音声情報だけのファイルは保存が許されていない。保存方法について、どなたか良い知恵があれば教えていただけると有難いのですが。

 例えばツイッターでは、投稿できる文字情報は140文字に限られているが、これからは音声情報なら140秒(2分ちょっと)以内であれば投稿できるようになると聞いている。音声情報ファイルの重要性を見直す時期にきているのではないでしょうか。

 最後のまとめ部分は、最新版見てください