2016年2月19日金曜日

情報難民とならないために

 中東紛争から端を発した難民の大量流入により欧州各国は混乱をきたしているが、インターネットの世界も同じように 難民問題 を抱えている。
 質の良い情報質の悪い情報ジャンク情報)とを区別できない情報判断力に起因する格差が生じているのだ。その結果、いわゆる“情報難民”と呼ばれる人たちが急増している。所得格差の問題と同じように、インターネットの世界では情報判断力の差による“情報格差(*1)の拡大”が大きな問題となってきているのである。

【注】(*1)情報格差にもいろいろな種類がある。
 ・経済力による格差
 ・技術力による格差
 ・情報判断力による格差
 ・行動規範(倫理観)による格差
 インターネットの世界で良質の情報を得たければ、質の高い情報の発信源をよく知っておく必要がある。そういった情報源を“ハブ”として用い、そこにリンクを張ることによって常に良質の情報が得られるようにするとよい。同時に自らも情報の価値を適切に判定できる情報判断力を身に付け、その能力を磨き続けることが求められる。この情報源のハブを選び間違えると、ジャンク情報の泥沼に落ち込んでしまう可能性があるから注意が必要である。信用の置けないサイトには、興味本位で無暗に近づいたりしない方がよい。

 良質の情報を選択的に豊かに享受している人たちが居る一方で、良質な情報とジャンク情報とを区別できない人たちも沢山居る。その格差が急速に拡大し、ある分野では情報の無政府状態が出現しかねない状況になっているという。更に悪いことに、情報の良否を判断できない人のところにはジャンク情報が排他的に蓄積されていく傾向があると言われている。

 情報の良否を判断できない人たちの特長は 話を単純化したがる ことだという。それゆえ、彼らは最も知的負荷の少ない解釈法を好む。たとえば 陰謀史観 はその最たるものであろう。つまり「世の中のすべての不幸は、それによって利益を享受している悪の張本人のしわざである」とする考え方にすぐ飛びついてしまう傾向がある。しかも彼らにとっての最大の不幸は、自分が 情報難民 であるという事実に全く気が付いていない点にある。

 そうならない為には、良い情報源を手に入れることが増々重要になってくる。質の高い情報の発信者を見つけるには、日頃から新聞や書物などをよく読んで見聞を広め、信頼できる人物、評論家、あるいはジャーナリストなどを見つけておくことが重要である。同時に自らも 良き情報受信者 としての立場を築くよう努力する必要があろう。情報受信者として信頼されれば、自然に信頼できる人々の輪の中に入れてもらえるようになり 信頼できる情報 が定常的に送られてくる身分になれる(かもしれない)。

 良き情報受信者たる者は、ジャンク情報が多いと分かっている情報サイトには近づかない。たとえば、猟奇的な事件が起こり犯人と思われる容疑者が浮上すると、週刊誌や特定のサイト上に関連する真偽不明の身辺情報が溢れるようになる。私はミーハー的なところがあるから何となく覗いてみたくなるが、決して覗いたりはしない。いや、断じて覗かない(!)と自分自身に言い聞かせている。ひとたびそういう真偽不明の情報に触れてしまうと、必ず何らかの影響を受けてしまうからである。

 良き情報受信者になりたければ、インターネットの世界では常に 実名 を用いて活動すべきである。私はインターネットの世界で情報発信を始めたときから常に実名で通してきた。その代わりウェッブ上では「議論したければ実名でお願いします」と言って、匿名の人から議論を挑まれても安易に受けないよう注意している。実名で議論しないと責任ある発言が期待できないからである。
 私は自分のホームページの読者からいろいろと感想やコメントをもらうことがあるが、そういう場合はもちろん匿名であってもしっかりと対応している。しかし難しい議論にまで深入りすることはない。周知のようにインターネットの世界では(特に日本では)匿名で活動するのが主流であり、残念ながら全員が実名で自由にやり取りする環境を期待するのは不可能に近い。

 しかし Facebook が登場してからは、実名でしか登録できないシステムであることを知って我が意を得たりと参加することにした。私はこれまで HTML形式のホームページやブログを使って情報発信してきた。それに比べて Facebook の世界は不自由な点も多々あるが、「友達」や「フォロー」する人を自分で選べるので、実名を名乗って議論し合える環境を構築することができる(多分)。

 Facebook では、友人の数が増えると、直接の「友達」でなくても「友達の友達」あるいは「友達の友達の友達…」の発信した情報が共有され表示されることがある。そのため、自分の知らない分野の知識が得られ視野が広がっていく利点がある。それに伴い自然に友達の数も増えていく。「いいね」ボタンを押したり「シェア」(あるいはツイート)できるので情報共有が容易で非常に興味深いシステムだと思う。

 ただ問題があるとすれば「友達」の数が増え、その数がある限界を超えたときであろう。「友達の友達…」による情報がたまたま共有され表示されると、その中に想定外のジャンク情報が含まれていることがときどき起る。しかも「こういう事も知ってもらいたい」というようなコメントが付加されていたりするから、積極的に広めようとしている様子が読み取れる。本人はその情報がジャンクであることに気が付いていないのであろう。

 そういった明らかなジャンク情報には極力触れたくない私は、いささか気分が悪くなってくるのである。同時に、現在の著しく右傾化しつつある日本社会の現状の中にいると「もしかすると、自分の方が実は 情報難民 になってしまっているのではないか‥‥」と一瞬 疑心暗鬼に陥ることがある。Facebook を使う際は、重々気を付けたいと思う毎日である。

2016年2月3日水曜日

節分

 節分の頃になると私のホームページのあるページが頻繁にアクセスされるようになる。昨日などは38回も読まれたようである。「何だ、たったそれだけか!」と思う人がいるかもしれないが、私のホームページは田舎の過疎地にある“あばら屋”なので滅多に人が訪れることがない。これは極めて珍しいことなのである。

 この時期だけそんなに読まれる理由を私は分かっている積りだが、さすがに書かれている内容の方が心配になってきた。何しろ13年前に書いたものだったからである。

鬼と福はどちらが先なのだろう?」(2003-03-01)


 そこで、久しぶりに読み返してみた。
 なるほどそういうことか。この時季、豆を撒くときに「鬼は外、福は内」と叫ぶか「福は内、鬼は外」と叫ぶか迷っている人が多いのであろう。私は、以前自分で書いたものを読んで、あらためて教えられたりしている。何ともはや。■