2015年11月26日木曜日

続々・素朴な疑問 テロとカミカゼの違い

 欧米では、テロのことを“kamikaze”と呼んでいるらしい。一部のメディアでは、カミカゼは自爆テロやテロリストを表現する言葉として使われている。どうやら自殺攻撃(suicide attack:スーサイドアタック)のことを“kamikaze”と総称しているように思われる。

 これを伝え聞いた日本のメディア関係者は「特攻隊はテロリストとは違う」と主張している。私も最初はそう思った。しかしよく考えてみると、少し似ているところもあるなぁ~。いや、著しく似ていると言ってもよいくらいだ。

 逆に、カミカゼとテロリストとは一体どこが違うのだろう。分からないなぁ。


【テロリストと特攻隊員の違い】
●美化について
▼テロリストは「神は偉大なり」と叫びつつ銃を乱射したり自爆したりする。特攻隊員も「天皇陛下万歳」と叫びつつ敵陣に突っ込んで行き自爆する。
▼いずれも、若者たちを引き込んで誤った教育で洗脳し「お国のために(あるいは大義のために)」と信じ込ませる。若者たちは自分というものを見失ったまま死んでいく。
▼死者ともなれば「国(あるいは特定の集団)のために尊い犠牲となられた」とか「英霊」あるいは「幸せな來世がある」と言って美化し、更なる愛国者を募るのに利用する。
▼それをけしかけた者たちは、必ず後方の安全地域に居て生き残り、彼らの行為を美化し続ける。
▼この美化が、他の国(あるいは集団)からは決して理解されない。
(例えば、我々が、イスラム過激派がテロの成果を賛美するのを理解できないのと同様に、他国は、日本の指導者が靖国参拝するのを理解できないであろう。お互いに逆の立場に立って考えれば明らかである)
▼残された遺族も美化されるが、遺族がそれを喜んでいるかどうか、その本心は分からない。

●戦う相手の違い
▼イスラム過激派とは、イスラム教という宗教の名を借りて過激な行動を取る集団である。
▼特攻隊を操った集団も、その実態は日本の一部過激派集団と考えられる。
▼したがって、攻撃相手が国か特定の集団かの差はあまりない。
▼攻撃する相手が一般市民か軍隊かの差はあるが、同じ人間の死という点では同じである。
▼最近、日本の「一部過激派集団」の活動が目立つようになってきた。困ったものである。匿名で難癖を付けてくる者が居たら、それは過激派集団の一味である可能性が高い。気を付けよう。


 いろいろ考えてみたが、やっぱり分からないなぁ~。
私も、過激派集団に難癖を付けられないよう、この位にしておこう。■

2015年11月24日火曜日

続々・素朴な疑問 “W杯”

 世の中の人は“W杯”と書いて「ワールドカップ」と読んでいるらしい。私は頑固だからそうは読めず、常に「ダブリュウはい」と読むことにしている。このことは13年程前に「続・素朴な疑問(21)」“人はなぜ“W杯”を「ワールドカップ」と読めるのだろう”に書いた通りである。

  齢を重ねて私もだいぶ性格が丸くなったためであろうか、最近はこの単語に出会うと「俺も頑固よのぅ~」と心の中でつぶやきながら、やはり今でも「ダブリュウはい」と読み続けているのである。しかるに、今日の新聞を読んでいたら以下のような記事に遭遇した。

 そうです“W杯”の杯(はい)にふりがなが付いているのを発見したのである。安心してください、“はい”とありますよ。
 これを書いた新聞記者はしっかりと「ダブリュウはい」と読んでもらう積りで書いている。それにも関わらず、世の中の人はどうして「ダブリュウはい」と素直に読めないのだろう。分からないなぁ‥‥。

2015年11月18日水曜日

私のコンピュータ遍歴

      ━━ 表示方法への工夫

 以前から、自分がこれまで使ったことのあるコンピュータ類をすべて洗い出しリストアップしてみたいと思っていた。過去のコンピュータの“終活”である。

 コンピュータ(電子計算機と呼んでいた時代もあった)の名称を思い出してはメモに書き止めていたのだが、次第にその写真も集めるようになった。しかしこれがなかなか難しい。インターネット上で探しても期待したようなものが見つからないことが多かった。記憶力の低下もあって名称を正確に思い出せないものもある。

 そうやって何度も挫折しては、またしばらく時間を置いて再び挑戦するということを繰り返してきた。最初にメモを作った時のファイルのタイムスタンプを確認すると「2007-7-29 18:23」となっいるから8年以上経ってしまったことになる。その結果、折角手に入れた写真の出典も曖昧になりつつある。

 うまくまとめられない原因はどこにあるのだろう、と私は考えてみた。
 そもそも、何のためにまとめようとしているのか。それは成果が得られたら自分のホームページ上に掲載したかったのである。それなら「どのように見せるか」の方から考えた方が良いかもしれない。

 見せたいと思っても、他人のコンピュータ遍歴に関心を持つ人はそう多くはあるまい。しかし昔の仕事仲間の同僚たちが見てくれたら、間違いなく関心を持ってくれるであろう。更に表示方法を工夫すれば“もの好きな人”が現れて、少しは関心を持ってくれるかもしれないと考えたのである。

 思うに情報というものは、ただネット上に並べただけでは見てもらえない。その量が大きくなればなるほど、逆に先を読み進もうとする意欲が減退してくるものである。
 私は、博物館や美術館を見てまわっているときの経験で、膨大な展示品をただ順繰りに見てまわっているだけだと、自分が今全体のどの辺りを見ているのかが分からなくなり、そのうちに疲れ果ててしまうことがある。後どのくらいのエネルギーを残しておけばよいのか。目の前の展示品に関心が向かなくなると、ただそれだけで疲れてしまうのである。もしトップダウンに全体を見渡すことができれば、特に関心のある部分だけを集中して見ることもできるはずである。そういった不満を何時も抱えていたので、この機会に何とかその問題に取り組んで、何らかの解決策を見つけたいと思ったのである。

 そこで私は、以前ホームページのサイトマップを作製した時に用いた技術をここで活用し、表示方法を工夫してみようと思い立った。
 このような経緯で表示方法の枠組みが出来あがると、作業は驚くほど急速に進捗するようになった。盛り込みたいコンピュータの種類も増え、忘れていたコンピュータの名称も何故か急に思い出したりするようになった。登録した各コンピュータには自分の“思い出”も書き添えることにしよう。計算するための道具(計算器と呼ぶべきもの)も盛り込んでしまおう、‥‥という具合に色々なアイディアも浮かんできた。

 その結果出来あがったのが「私が使用したことのあるコンピュータの一覧私のコンピュータ遍歴(my Computer Career)である。もちろんこれで完成ではない。これからも新しいコンピュータが登場するかもしれない。忘れていたコンピュータを思い出し、突然登録したくなるかもしれない。個々のコンピュータには“コメント”を書き込む欄が用意されているので、個々のコンピュータに関して思い出したことがあれば、それを少しずつ時間をかけて書き込んでいこうと思う。まだまだ内容が更新される予定なので、更新履歴が分かるように“バージョン番号”を付すことにした。興味のある方は、是非一度見学に訪れるよう期待しています。もちろん入場無料です。■