2016年8月5日金曜日

20年前のたわごと

 以前(20年程前のこと)【素朴な疑問】という欄で
 『新聞はなぜ「ソフトウエア」と書くのだろう
 { http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/gimon04.htm }
という記事を書いたことがある。要するに「ソフトウェア」と書くか「ソフトウエア」と書くかの論争である。それが、何故か未だに読まれ続けている(しかも一日に複数回も)。

 どこが面白いのか、私はかねてから不思議に思っていた。今日、たまたま時間があったので自分も読んでみようと思い立ったのである。読んでみて、確かに面白かった。20年前にこんな「たわごと」を書き連ねていたのか、と。

 当時はテキスト入力法として「ローマ字入力」と「ひらがな入力」とが競っていた時代だった。これを読んで、現在のケータイやスマホ利用者が愛用しているであろう入力法をベースに考えると、どんな感想を持つか知りたくなったのである。

以下、本文は省略して【追記】の部分だけ紹介する。なお“悩める相談者”とは私めのことである。


【悩める相談者による追記】1997-01-27

 私がなぜこんな些細なことにこだわるのかというと、“ソフトウェア”というのは私の勤める会社の社名の一部になっているからである。よく、社内旅行などで温泉場を訪れると、団体バスで乗り付けた旅館の玄関には仰々しくも華々しくも、大きな黒い看板に白で“歓迎”の印とともに我が社の社名が大書されていたりする。それを見ると、何時も大抵はどこか字が間違っているのである。「東芝ソフトエンジニアリング御一行様」とか、「東芝ソフトウエアエンジニア御一行様」などと書いてある。こんなのはまだいい方で、「東芝ソフトエンジニヤリング御一行様」などと書かれていることもある。
 そういうのを見つけると私は、またかと思い、思わず「ニヤリ」と苦笑いしてしまうのである。

 しかし考えてみれば「ソフトウェア」も「エンジニアリング」も、彼ら旅館経営者にとってはまったく無縁な存在の言葉なのであろう。こんな些細な字の誤りなど「ニヤリ」と笑って見逃してあげるのが武士の情けというものである。

 ところが新聞紙上でこの字を見つけると、旅館経営者に対するのと同じような寛容な気持ちには決してなれない。「ソフトウェア」も「エンジニアリング」も彼らにとっては身近な話題でなければならないはずだ。とても「武士の情け」などとはいっていられないのである。

 こだわる理由はもう一つある。以前「ソフトウェアの法則」という本を書いたとき、夏目漱石「坊っちゃん」の一節を引用したことがあった。間違いのないようにと、私は夏目漱石全集を引っ張り出して詳細に文章をチェックしたのである。そして自信を持って原稿を編集者に渡したのであるが、やはり間違いを指摘されてしまった。編集者が言うには「坊っちゃん」ではなく「坊つちやん」なのだという。信じられぬ気持ちでもう一度本を出して調べて見ると、何と、確かに「坊つちやん」というタイトルになっているではないか。恥ずかしながら私はこれまで夏目漱石の名作の名を誤解していたのであった。同時に、編集者の実力の程を思い知り、ただただ恐れ入ったものである。

 こういう経験を何度かしてくると、人間どうしても正確な表現にこだわらざるを得なくなってくる。であるからして、私にとっては「ェ」と「エ」は大変な違いで、簡単には見逃せない大問題なのである。


 さて、私のこの【素朴な疑問】を掲示板上で読まれたのであろう、S氏が、これが参考になると言って私に「毎日新聞用語集」という辞典をくださった。それを見ると、Yさんが言っているように、確かに『原音で「ウィ、ウェ、ウォ」の音は、「ウイ、ウエ、ウオ」と書く』と記されている。
 しかし、新聞紙上では「ウィンブルドン」というのを実際に見かけたことがあるから、固有名詞は別扱いになっているのであろう。

 たとえば「ウェット」はこの規則では「ウエット」と表記されることになるが、前者では「ウェ」が「ッ」と跳ねるのに対し、後者では「エ」が「ッ」と跳ねることになる。これでは全く違った発音になってしまうではないか(え? 何を言っているのか分からない? 私にも分からない)。

 この新聞社の定めた規則を見ていると、ジャパニーズイングリッシュを作り出しているのは実は彼らではないかと思いたくなる。日本人にとって発音しやすいようにという観点だけで適当に表記法を変えてしまっていると、結局原語とは似て非なるものになってしまうからである。

 我々が常日頃目にしているこういった“ジャパニーズイングリッシュ”は、アメリカへ行って使ってみるとまったく通用しないことが分かる。我々はその事実を実際に体験して初めて愕然とするのである。その結果、アメリカの空港でシカゴへ行きたければ「シコーゴ」と叫べとか、フィラデルフィアへ行きたければ「フルドフィア」と叫べとか、そういう生活の知恵を学ばねばならない羽目になる(これを知らぬととんでもない所へ連れていかれてしまう可能性があるのだ)。更には、マクドナルドへ行きたければ「マクダーナル」と発音する必要があることを承知していないと、とうていビッグマックにはありつけないのである(もっとも、マクドナルドの店が見付からなくても、どうということはないが)。

 このように自分の貧しい英語力を実感するたびに、私は思うのである。この責任は日本のお粗末な英語教育だけにあるのではなく、日本の新聞社が定めた表記規則にもその責任の一端はあるのではないかと。

 ところで、この表記法に関連する問題を、私はここで更に深く掘り下げてみたいと思う。ただ、これ以下に書くことは、私が常日頃尊敬して止まない「ローマ字入力者」(ローマ字入力法を用いている人達)の気分を損ねる可能性なしとしないので、これ以下は「ひらがな入力者」だけが読むことにしてほしい。






 よろしいかな。ひらがな入力者だけですぞ(以下で「彼ら」とは、ローマ字入者のことである)。あなたの後ろから“彼ら”が覗いていないかどうか、もう一度確かめてほしい。よろしいか。

 実は私は、この新聞社の定めた規則は、新聞記者用のワープロを用いてローマ字入力する際の利便を考えて作られたものではないかと疑っている。彼らの用いるローマ字入力法では、

 「ウィ」は「WI」と入力する。
 「ウェ」は「WE」と入力する。
 「ウォ」は「WO」と入力する、と言いたいが、これは「を」または「ヲ」になってしまう。したがって「ォ」だけは単独で入力するしかない。つまり統一的でないのだ。
 「ィ、ェ、ォ」を単独で入力するには(私の周りにいる「彼ら」に教えを請うと)「LI,LE,LO」と入力するのだという。何というお粗末な規則であることか。
 だとすれば、「ウォ」としたければ「ウ」を「U」で作り、ついで「ォ」を「LO」で作らなければならない。「ォ」のときだけはこんな面倒な手順を踏まなければならないとは、何という不統一な入力法であることか。こんな不統一な操作法では、頭の固い新聞記者に覚えさせるのは無理というものである。そこで、できるだけ「ィ、ェ、ォ」を使わないで済ませようと謀議を計ったのではなかろうか。

 彼らが信奉する入力法で「ウィリアムテル」と入力したければ「ULIRIAMUTERU」とキーを叩かねばならないことになる。 ‥‥何? 「ウリリアムテル」だ? そうか、そうか、彼らは「LI」と「RI」をこのように区別して使い分ける技を身に付けていたのか。大変だなぁ、彼らは。日本人は「L」と「R」の発音を区別するのが苦手であるというけれど、その原因はこんなところにあるのかもしれぬ。それにしても彼らは何時もこんな複雑な操作をしていたのか。何と彼らは頭が良い連中であることか。頭の固い私には、到底真似のできぬ技である。

 ローマ字入力は、頭を使うので惚け防止に最適であると主張していた人がいたが、こうやって見るとどうもその説は正しいように思われる。私もそろそろ惚け防止のための手を打たねばならぬ年代になってきているが、だからといってローマ字入力だけはやりたくない。それよりも、自分が惚けているかどうかを自分で判定することが、そもそも可能なのかどうかを疑問に思い、日々思い悩んでいるところである。   

【注】私は「ローマ字入力法」をよくは知らないがローマ字入力法にも色々なバリエーションがあるようである。新聞記者用のワープロについても全く知識がない。したがって、これらの指摘はまったくの見当違いかもしれぬ。いや、そうに違いない。許されよ。