2015年2月22日日曜日

インターネット検索でのつまみ食い

 つまみ食いというのは、実にいいものである。他の人をさしおいて一人でじっくりと賞味できる特別な行為だからであろう。ただ一つ欠点があるとすれば、それは多少の後ろめたさを伴なうことだ。大人になった今でも、それは少しも変わらないような気がする。そして、つまみ食いしたものは特に美味しく感じられる。多分、スリルという隠し味が ちょっぴり加味されるからであろう。

 私の子供の頃は終戦直後の食べる物のない時代であったから、尚更つまみ食いに対する憧れは強かったように思う。しかしどの家庭でも、当時は今よりかなり厳しい躾けがなされていたから、簡単につまみ食いができるような環境ではなかった。
 ある時、台所にある戸棚の引き戸を開けてみると小皿が一つ置いてあり、その上に小さな白い団子が三つほど「食べてください」と言わんばかりに置かれているのを発見した。一瞬食べようかと思ったが、そこはそれ、躾けのよい子(?)であった私は、もちろん手など出したりはしなかった。後で考えると、あれはネズミ退治のための“猫いらず”が入った毒団子だったのだと思う。戸棚を覗き込むこと自体が少し後ろめたい行為だったので、私は母親にそれを確かめるようなことはしなかった。つまみ食いと言うと、私はあの白い団子のことを今でも時々思い出すのである。

 インターネットの世界にも“つまみ食い”というのがある。
 我々はインターネット検索を利用して何でも簡単に調べることができる。検索システムにキーワードを入力しさえすれば、それに関連する情報をピンポイントで見つけ出してくれる。便利な世の中である。しかしインターネット検索に慣れてくると、そこで得られた情報を自分の思考を深めるために利用するのではなく、自分にとって都合の良い部分だけ抜き出して別の目的に利用するようになる(これが結構オイシイ)。

 得られたテキストの文脈全体から知識を得るのではなく、その中から自分が便利に使えそうだと思う“文脈の断片”だけを残し、それ以外の文脈はすべてそぎ落としてしまう。これが“つまみ食い”と呼ばれるものである。

 一度この便利さを経験すると、もうやめられなくなってしまう(つまみ食い依存症)。何かリポートの作成が必要になると、直ぐさまインターネット検索でつまみ食いを繰り返すようになる。そして、集めた文脈の断片を切り貼りすることによって自分の意見らしきものを構築していく術を身に付ける(コピペ依存症)。更に依存度が深まると、他人の意見を自分の意見だと勘違いするようになる。こうしてつまみ食いから得た“自分の意見”に頼るようになり、結果として非思考型の人間へと改造されていく。

 最近の若者達は本を読まないそうである。新聞記事(*)によれば、1日あたりの読書量が0分の大学生が実に4割を超えているという。本を読まない人がつまみ食い依存症になると更に困ったことになる。他人の主張に容易に乗せられてしまうからである。その結果、今話題になっている「過激な思想」にも簡単に染まってしまう。
【注】(*)大学生の1日あたりの読書量は
       0分 40.5%
       10分未満 1.8%
       10~30分 16.2%
       30~60分 20.7%
       60~90分 12.7%
       90~180分 5.1%
       180分以上 1.9%
       無回答 1.1%。

 たとえば、ある考え方を広めようと論文を作ることにしよう。これを図1で表すことにする。
(図1)

 この論文の要所には、他人の論文等からつまみ食いした断片(たとえば、①,②,③,④,⑤,⑥,⑦など)をはめ込んで議論のベースとして用いる。
(図2)

 ここでつまみ食いした部分は自分の意見ではなく、他人の意見であることを明確にしておく。ただ、自分に都合のよい形に解釈を微妙に変更してしまう場合もある。しかし読者はそれに気が付かない。いちいち原文を読んで確かめる人は少ないからである。
 つまり、公に認められている事実をベースに論文が書かれているように見せる。したがって、そこから導かれた結論は当然正しい! と思わせるためである。このようにして作られた論文(図3)は表面的にはもっともらしく見える。
(図3)

 しかし普段から書物を読みしっかりと勉強している人は、自分の頭の中に(図4)のような知識の体系ができているから騙されない。論理展開のベースとなる事実が疑わしいことにすぐ気が付く。もともと整合性のないジグソーパズルの小片(ピース)を無理やりに押し込んだものだと分かってしまう。
(図4)

 しかし本を読まず、その方面の知識の体系を身に付けていない人はたちまち騙されてしまう。そして「私はすべて読みました。そして全部、ちゃんと理解しました!」などと発言する学生がでてくるようになる(具体的な事例は「インターネット検索の功罪」を参照)。

 このように、文脈から切り離された知識を利用すれば、他人を惑わす論を展開することができる。普段本を読まず、つまみ食いに慣れていて非思考型の人は、それを逆に利用されて誤った方向へと容易に導かれていってしまう。論理の手順さえもっともらしく組み立てられていれば、ベースとして利用された事実(らしきもの)の信憑性には疑問を持たないからである。「インターネット上から得られた知識」というだけで信じてしまうようなものである。

 若者たちが、過激な思想に簡単に取り込まれてしまうのは、こんなことも影響しているのではあるまいか。