2010年6月6日日曜日

上書き保存による記憶の変質

 テレビを見ていたらニューヨークのマンハッタン周辺を空から紹介する番組をやっていた。最初に、スポーツカータイプの格好いい車が横付けされ、その車から案内役のヘリコプターの操縦士が降りてくる。その場面を見た瞬間、何故か不意に私の脳裏には仕事で初めてアメリカを訪れときの感激が、ほんの一瞬だけフラッシュバックのように思い出されたのである。初めてアメリカの文化に触れ、こんな素晴らしい所に住みたいものだとわくわくしながら将来の夢を思い描いていた青春時代のことが突然に思い出されたのである。

 しかし、そのわくわくするような気持ちは一瞬のことで、次の瞬間にはその気持ちを再び思い出すことはできなくなっていた。“一瞬の閃き”という感じで終ってしまったのである。なぜなのだろう。

 私がまだ独身の頃、米国西海岸のサンフランシスコ郊外マウンテンビューにあるソフトウェア会社へ共同開発の業務に参加するため派遣されていたのである。
 アパートで自炊しながら、車で職場のオフィスに通うという生活を数カ月間続けていた。アパートの部屋は広くて当時の日本の生活に比べたら格段に豪華であった。車はレンタカーだったけれど最新型のマスタング マッハ1(Mustang Mach1)に乗っていた。スーパーマーケットの駐車場に止めておくとアメリカ人の男性が「いい車ですねぇ」と車体を撫でながら声を掛けてきたことを覚えている。
 プロジェクトの米人リーダーを務めていた男は、もっと大きなサンダーバード(Thunderbird)という車に乗っていた。一度乗せてもらったことがあるが、その車は降りる時にハンドルを助手席側へスライドさせて乗り降りが楽にできるようになっていた。こういう車を見たのは初めてだったので、私は大いに驚き“アメ車”は凄いと思ったものである。

 オフィスは郊外の緑豊かな素晴らしい環境にあり、プロジェクト室は日本では考えられない程使いやすく工夫されていた。そこで行う仕事の内容は厳しく大変だったが、最先端の技術に取り組んでいるという満足感に溢れていたように思う。
 休日は車で観光に行ったり、日本にはない大型スーパーマーケットで買い物をしたり、百貨店でアメリカの生活用品を見て実に豊かな彼らの生活を実体験したような気分になっていた。
 天候は常に快晴、太陽の日差しも強く日本とは比較にならぬ程の爽快な日々であった。そういう夢のような環境で生活していたのである。

 毎朝、車でオフィスに向かう時は、カーラジオから流れるトム・ジョーンズの“デライラ”の歌声を聴きながら、起伏に富む眺めの良い道をドライブする。そういう時、自分は今何と恵まれた環境にいるのかと実感しつつも、夢の中にいるような気持ちがしたものであった。その頃のことは、その後も度々思い出し懐かしさに浸ることがある。よい経験をさせてもらったと思っている。

 しかし今感じた“一瞬の閃き”として思い出された記憶の断片は、その記憶されていたはずのものとは明らかに異質のものであったように思う。これだ! あの時感じた夢のような気持ち、将来への希望に燃えていた頃の気持ちはこれだったと思った瞬間に、それは通り過ぎるようにはかなく消え失せてしまっていた。あわてて混沌とした記憶のもやの中を探しまわってみたが、残念ながらそれを二度と再び思い出すことはできなかった。

 人間の記憶の仕組みは、一体どうなっているのだろう。
 記憶というものは、その後何度も思い返している内に、新たなデータで補強され上書き保存されることによって少しずつ変質していくのではないだろうか。自分では明白な記憶として最初から変わることなく覚えている積りでも、次第に劣化したり、変質したりしていくのではないかと思う。たとえば、過去に見た風景などは、同時に撮った写真を後で見ることによって細部のデータが補強され、写真ではなく実際に見た風景として脳の中に記憶となって残されるのではないか。我々はそれを、本来の記憶のように錯覚しているのではないか。私が、自分の記憶だと確信していたものは、ずっと不変の記憶ではなく、劣化したり、変質したり、場合によっては実際とは異なる新たなデータが上書きされることによって異なる記録(記憶)となって保存されているのかもしれない。
 この経験を、こうやって文章として記述していること自体、記憶の上書きを引き起こす要因となっているのではなかろうか。

 しかし“一瞬の閃き”ではあっても、実際に思い出された記憶の断片が存在したということは、もしかすると上書きされないまま残されている可能性もあると思うのである。あのテレビの画面に映っていた何かが、私の記憶を刺激してあの“一瞬の閃き”の記憶の断片を思い起こさせたのである。その鍵は、多分
 ・輝くような陽光
 ・スポーツカータイプの豪華なアメ車
 ・トム・ジョーンズのデライラの歌声
 ・将来への夢、若さ
などのいずれか、あるいはそれらすべてがそろった時ではないかと思う。“若さ”の方は、もう期待できないのが残念であるが、何とか上書き保存されていない記憶の方を、もう一度思い出したいと思っている毎日である。
Delilah 

I saw the light on the night that I passed by her window
I saw the flickering shadows of love on her blind
She was my woman
As she deceived me I watched and went out of my mind
My, my, my, Delilah
Why, why, why, Delilah
I could see that girl was no good for me
But I was lost like a slave that no man could free

At break of day when that man drove away, I was waiting
I cross the street to her house and she opened the door
She stood there laughing
I felt the knife in my hand and she laughed no more
My, my, my Delilah
Why, why, why Delilah
So before they come to break down the door
Forgive me Delilah I just couldn't take any more

She stood there laughing
I felt the knife in my hand and she laughed no more
My, my, my, Delilah
Why, why, why, Delilah
So before they come to break down the door
Forgive me Delilah I just couldn't take any more
Forgive me Delilah I just couldn't take any more

Tom Jones

【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「記憶」も参考にしてください。