2014年1月20日月曜日

“ながらスマホ”の時代

 歩きながらスマートフォンを使うことを「歩きスマホ」と呼ぶようになって間もないのに、もうこの言葉が国語辞典等に取り上げられているという。驚きである。これは、歩きスマホという行為が世間に及ぼす影響の大きさを示すものでもあろう。歩きながらケータイを使うのに比べて、スマホの場合ははるかに危険な行為であることが分かってきたからである。

 「走りスマホ」と言うのもある。これは、マラソンや駅伝の選手がスマホを活用して自分の予想ラップタイムを確認したり、コーチからの指示をメールで受け取ったりするのに利用する行為(そんな訳ないだろ)… ではなく、自転車で走りながらスマホを利用することを言う。まあ「自転車スマホ」と呼ぶ方が分かりやすいかもしれない。

 私は先日、この「自転車スマホ」をしている人にたまたま遭遇してしまった。それはそれは見事にスマホを使いこなしているように見えた。両腕を肘のところで曲げて自転車のハンドルの上に置き、肘から下の腕の部分だけでハンドル操作をする。そして空いている両手でスマホを持ち指先で画面操作をしながら時々前方に視線を走らせる(実は、このとき私としっかりと視線が合ってしまったのだ)。このようにして、ゆっくりと、ゆっくりと自転車を走らせていたのである(決して真似をしてはいけません)。

 「授業中スマホ」と言うのもある。授業中、講義も聞かずに机の下あるいは机上に置いたスマホの画面を指の先でつついている姿をよく見かけるようになった。もちろん私は「授業中スマホ」を禁止しているのだが、そんな注意は聞きもしない。注意した直後は止めた振りをするが、しばらくするとまたスマホに没入してしまっている。困ったことである。
 「久しぶりにスマホに90分間触らないでいました」という感想を寄せた学生もいた。他の授業の先生は、まったく注意をしていないらしい。

 企業人から大学教師に転じた当座、私は授業中の私語(おしゃべり)に悩まされたものだが、ある年を境にして授業中の私語がまったくなくなった。後から気が付いたのだが、それはケータイが流行りだした頃であった。私語するよりケータイで遊んでいる方がはるかに楽しかったのであろう。このように、携帯端末の存在が授業に及ぼす影響は年々大きくなってきている。そして今年は、スマホの存在(とその性能)が授業に影響を及ぼした年として後々まで記憶されるのではないかと思う。「授業中スマホ」を禁止しても、もはや守られなくなった年として。

 更に、スマホの充電能力が貧弱なので授業中に充電しようとするけしからん輩が増えてきたことである。家で十分に充電しておいても、大学へ行くまでの電車の中で使い、授業中にも使い、休憩時間にも使い…していると、その日の午後になるともう電池切れになってしまうのだという。したがって常に学生達は電源を求めて歩き回っている。いつでも充電、どこでも充電… と。

 私は「情報倫理」の授業中に、教室の後ろの方まで歩いていった折に教室の隅のコンセントに2台のスマホが接続されて充電中であるのを発見した。こういう行為を「盗電」と呼ぶことを事前に教えていたのであるが。
 授業のついでに充電していると言うよりも、充電のついでに講義を聞いているという感じなのである。

 食事中のスマホ、授乳中のスマホ、デート中のスマホ、… 。
 恋人同士が手をつないで歩きながら、それぞれの空いている方の手にスマホを持ち、それぞれがスマホを指で巧みに操っている。これが普通の風景となる日も近いのではないか。いよいよ「ながらスマホ」の時代になったということであろう。