2014年12月25日木曜日

微分解析機

 先日“微分解析機」再生”というニュースが新聞各紙で報じられた。国内で唯一現存する微分方程式のアナログ計算機が、東京理科大学の近代科学資料館で70年振りに再整備され動作するようになったという内容であった。

 たまたまこの日は、同期の友人達が久しぶりに学内を見学したいというので、私は案内役を依頼され集まることになっていた。そのため、私はその新聞を読む暇もなく朝早くに家を出てしまっていた。集合場所に着くと友人の一人がこの新聞記事の切り抜きを取り出して「これを是非見たい」と言う。私はそのニュースのことは知らなかったが、最初から資料館を見学コースに入れていたので丁度良いタイミングだと思ったのである。

 そこで、卒業以来一度も大学を訪れたことがない友人もいるので、一応構内を歩き主だった建物を見学した後、近代科学資料館へと向かった。

 東京理科大学の近代科学資料館は、科学技術の発展の基礎を担ってきた計算技術の発展の歴史をたどることができるよう「計算機の歴史」が展示されている。古代から現代までの代表的な計算道具、計算機械を網羅する世界有数のコレクションを誇っている場所である。先人達がいかに努力を重ねて今日の社会を築き上げてきたか、その道筋を実物によって体感できる貴重な場となっている。また江戸時代の和算書や明治初期の理数教科書の所蔵館でもある。

 概略以下のような計算道具が展示されている。以前私が訪れた頃より更に内容が充実してきているようだ。

(1)算具・そろばん
 算木、そろばん
(2)計算尺 機械式計算機Ⅰ
 フーラー計算尺、手動計算機、クルタ計算機、アリスモメーター計算機
 電気計算機、マーチャント電気計算機
(3)機械式計算機Ⅱ 
 手動計算機、タイガー計算器
(4)電子式計算機
 電子式卓上計算機
(5)大型計算機
 Bush式アナログ微分解析機
 FACOM201パラメトロン電子計算機
 UNIVAC120(真空管を用いた第一世代コンピュータ)
(6)パソコン・コンピュータゲーム


 さて問題の微分解析機は、大型計算機のコーナーに置いてあった。見覚えがある! なつかしい! 私の在学中、2号館のお濠りが見える側のフロアーにそのまま置いてあったのを思い出した。何しろ図体が大きくて適当な置き場所がなかったのであろう。場所としてはお濠りの見える側の絶好の位置に置かれていたが、ところどころ部品が欠けていたりして到底動作しそうには見えなかった。それを動作するよう整備し直したのだから驚きである。確か、清水辰次郎先生が大阪大学から移って来られたときに持ってこられ、大学に寄贈されたものと聞いていた。

 微分解析機コーナーのそばの柱には、清水先生の写真が額入りで掲げられていた。見学している友人の中に清水先生のゼミの一員で、当時先生にお世話になった人がいたので当時のことに話が及んだ。私を含めてその場にいたほとんどの者が清水先生の「実用数学」の授業を受けていたのである。授業の課題のレポートで苦労したことも思い出された。

 解析機のそばでそんな思い出話で盛り上がっていると、近くにいた研究者の一人が我々に近づいてきて話に加わり、微分解析機の説明と再整備の苦労を自ら詳しく話してくれた。
 微分解析機は、積分器3台、入力卓1台、出力卓1台で構成されていた。当時はそこまで理解することはできなかったが、古いものをそのまま保存することの大切さ・難しさ実感したのであった。

 話に加わってくれた研究者が今度は逆に我々に質問してきた。清水先生の写真を指して「なぜ白黒写真しかないのですか?」と言う。私は一瞬びっくりしたが「当時はカラー写真はなくて、モノクロばかりだったんですよ」と答えた。

 いや、いつ撮影された写真か分からないから何とも言えないが、正確に言えば、カラー写真はあったと思う。しかし高価でかつ技術的に色調の経年変化に耐えられない時代だったから肖像写真には向いていなかったと考えるべきであろう。

 「古いものをそのまま保存することの大切さ・難しさ」というのは計算機械に限らず、あらゆる技術分野で考慮されなければならない問題だと思った次第である。
 そうだ、私の持っている「世界初のノートパソコンT1100と「初代ラップトップコンピュータ(T3100)も、いずれはこの資料館へ寄贈することにしよう。

2014年12月3日水曜日

「便器のふた」をホームページ上に掲示しました

トイレでは、便器のふたを閉じてから流す」のリライト版を「便器のふた」というタイトルでホームページ上に掲示しました。

 http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/sture120.htm