2017年9月28日木曜日

私の本棚(3):ゲーム:チェス


・ブログ( ドッと混む・Knuhsの書斎 )から転載

── ゲーム:チェス


私の本棚を紹介します。


 今回は、チェス(Chess)関連の本を取り上げました。


 上掲写真で、右から順に、
(1)「チェス」、
(2)「ボビー・フッシャーのチェス入門」、
(3)「チェックメイトの手筋」、
(4)「ヒガシコウヘイのチェス入門」、
(5)「THE ART OF CHESS」、

となっています。個々の情報は【解説欄】の「▼本の詳細」を参照してください。



【解説欄】
▼なぜか、古い本ばかりです
 最初の(1)「チェス」の本は、昭和35年発行のものですから随分古い本です。調べてみたら、私の兄のものであることが分かりました。兄の書棚から借りてきたまま私の書棚に居座ってしまったように見えます。しかし後で思い出したのですが、兄から「もう読まないからあげる」と言われてもらったものでした。

 (2)ボビー・フッシャーの「チェス入門」は暇を見つけては読み、中断し、また読むという読み方で楽に読めるようになっています。構成も面白くできていて最初に右ページのみを読み進みます。最後まできたら今度は本の上下をひっくり返し、再び右ページを読み進むようになっています。

 昔、サラリーマンだった頃、毎日の通勤時間(片道1時間半)の内電車に乗っている約1時間をどうやって過ごすかで悩みました。早朝は眠いですから眠って過ごすことが多かったのですが、眠くないときは仕事に関係する技術の勉強をしたり、小説を読んだり、… といろいろなことをやりました。その中の一つがチェスだったのです。

 将棋の詰将棋と同じように、チェスにもチェックメイトまでの手筋を考える「詰めチェス」があります。ボビー・フッシャーの「チェス入門」はその絶好の問題集だったのです。

 私は「詰めチェス」が専門で、本当のチェスはやったことがありません。それでも海外出張中にメキシコでチェス盤を買いました。


 白黒の石で彫られたチェスの駒は見事な出来でしょう。ゲームでは使わずに置物として存在しています。

 

 (5)の「THE ART OF CHESS By JAMES MASON」は、1971年頃、米国ボストンで購入したものと思われますが、はっきりとは思い出せません。

▼本の詳細
(1)「チェス」:昭和35年11月25日 7刷発行 倉田操, \200 虹有社

(2)ボビー・フッシャーの「チェス入門」:初版発行1974年12月20日, 東公平 訳, 河出書房新社 \1,200

(3)チェッス・マスター・ブック 3「チェックメイトの手筋」:初版発行1976年6月30日, Fred Reinfeld 著, 有田謙二 訳, 河出書房新社 \780

(4)ヒガシ コウヘイの「チェス入門 定跡編」:初版発行1975年12月25日, 東公平 著, 河出書房新社 \780:

(5)「THE ART OF CHESS By JAMES MASON」:Revised and Edited by Fred Reinfeld and Sidney Bernstein, DOVER PUBLICATIONS, INC. NEW YORK $3.00



2017年9月14日木曜日

私の本棚(2):プログラミング言語 Perl


・ブログ( ドッと混む・Knuhsの書斎 )から転載

── プログラミング言語 Perl


私の本棚を紹介します。


 第二回は、Perlを取り上げます。
 プログラミング言語 Perl 関連の本が9冊並んでいますが、ご覧の通り高さが不揃いです。こういう不揃いの本をまとめて一か所に置くのは空間の無駄なので、普段は三か所に分散して置かれています。


 「私の本棚」の内容を紹介する晴れの舞台(?)ですから、一か所に集めて写真を撮れるよう上掲のような舞台を設定しました。両側に無関係な本のタイトルが見えませんから記念写真を撮る場所としては最適でしょう。今後はこのスタイルで紹介することにします。


 上掲写真で、右から順に、
(1)「Perlプログラミング」(通称「ラクダ本」と呼ばれている)
(2)「Perl 5 デスクトップリファレンス第3版」、
(3)「Perl書法」、
(4)「Perlの国へようこそ」、
(5)「Perlプログラミング for CGI」、
(6)「プログラミング言語Perlマスターコース」
(7)「Perlモジュール活用ガイド」、
(8)「Effective Perl」、
(9)「スクリプト言語Perl入門以前」


となっています(詳細は【解説欄】を参照してください)。クリックすると拡大され、より詳細に観察することができます。本の汚れまで見えてしまうかもしれません。

 私は、通常(1),(2),(9)の3冊を使って Perl のプログラム作りに励んでいますから、普段はこれらは「私の本棚」には置かれていないことが多いです。




【解説欄】
▼なぜ、Perlなのか
 最初に、なぜ私が Perl に入れ込んでいるのかを説明したいと思う。

 昔、大型機が主流であった頃、Multicsシステム環境下でソフトウェア開発に取り組んでいた時代があった。使用する端末はテレタイプ方式であったため、コンピュータの入出力はロール紙上に記録される。多くの研究者によって共用される端末機の周辺には、直前まで使っていたアメリカ人研究者の出力結果が沢山残されていた。私はそれを拾ってきて、彼らがこの先進的なコンピュータをどのように使いこなしているかを調べ参考にしようとしたのである。

・シェル
 そこで学んだことの一つは、彼らは「シェル」を多用して効率的に仕事をこなしているということであった。長い時間端末の前に座って膨大なデータを入力しているのではなく、自分のやりたいことをあらかじめコマンドの形で記述したファイル(コマンドスクリプトという)を用意しておいて、ただそれを起動するだけでよい。コマンドスクリプトのチェックが終われば、起動させて直ぐ端末を離れ部屋へ戻ってしまう。あるいは帰宅した後(休日でも構わない)、家から電話回線を通じてそういったファイルを起動することもできる。端末の前で一番長く時間を費やしている者が一番よく働いている、と考える日本人の発想とは異質のものであった。これは見習わねばならない。

・エディタ
 プログラム作りに使っているエディタはラインエディタであった。ラインエディタというのはデータを行単位で扱うから、現在主流のスクリーンエディタとはかなり異なる。まるで「真っ暗闇の中で、手探りで編集か所を見つけ出し、それを編集する」という感じである。手探りであるから、見つけたと思ったものが似て非なる別の場所であったりもする。したがって、暗闇の中でも的確に対象を見つけ出す能力が自然と養われていった。

 そのようにして、ラインエディタを使うプログラム編集自体もシェルと組み合わせてスクリプトファイル化され、大量のソースプログラムを一挙に編集してしまうという使い方も可能になったのである。極めて効率の良い使い方をしている。

 その後、端末はビデオ表示端末へと変わっていった。その結果エディタはスクリーンエディタへと進歩していくのだが、それは時間的にもう少し先のことである。

・パソコン環境
 日本に帰国してから間もなくパソコンの時代となり、私もその開発の一端を担うことになった。当時のパソコン環境は、大型機のソフトウェア環境と比べて恐ろしくお粗末な状態であったが、少しずつ使い易くなり CP/M から MS-DOS へと発展していった。

 しかし Multics や Unix の世界を知ってしまった私にとっては、到底満足のできるものではなかった。MS-DOS も Unix を参考にして進化していったが、もともと設計思想が異なるから外見だけ似せても使い難いことは変わらない。

・スクリーンエディタの欠点
 MS-DOS には、シェルはないがバッチファイルというものがあったので、私はこれを工夫して何とかシェルプログラムらしきことはできるようになった。しかし、まともなラインエディタがない!!

 エディタはほとんどのものがスクリーンエディタになってしまっていた。スクリーンエディタは常に画面に表示された部分を編集の対象にしているから使い勝手が良いように思われるが、シェルプログラムを重視する私のような利用者には向いていなかった。画面を見ながらの編集ではなく、暗闇の中で手探りでの編集が可能でなければシェルプログラムには使えないからである(*1)
【注】(*1)その後、エディタにマクロを追加する形で、手探り編集も可能になった。
・救世主 Perl の出現
 そこに登場したのが Perl だったのである。Perl はもともとは Multics や Unix 環境で使われていた awk, qed sed ... などのテキスト変換ツールから発展してきたものである。これが、MS-DOS の世界でも使えるようになったのだ。gnu のソフトとして登録されたものを MS-DOS 版に焼き直してくれた奇特な人がいたのである。

 最初は英語版だけだったが、その後日本語版も作られ jperl と呼ばれていた。このソフトの凄いところはフロッピーディスク1枚に収まる程コンパクトな作りだったことである。しかも無料で使えたのだ。この無償で使わせるという Perl の開発者 Larry Wall の考え方は真に尊敬に値する。私にとっては神様のような方である。

Larry Wall
(Wikipedia から引用)

 私がこのソフトウェアに飛びついたのは当然の成り行きであった。今でも私のコンピュータ上には、この初期の版が保存されている。そして立派に動く。
 システム全体の圧縮ファイルは、jperl14.lzh / 385,605Bytes。実行ファイル jperl.exe はたったの 424KB である。

 以来、インターネットの時代を迎え、一度は古いソフトウェアとみなされていたツールがウェブソフトの開発用ツールとして再び脚光を浴びるようになった。それとともに、オブジェクト指向の機能も追加され新たなプログラム言語として発展し続けているのである。

・Perl を教える
 その後、教師になったとき、たまたま1枠あるからプログラミングの授業なら何でも良いからと任されたとき、私は迷わずPerlの授業をやろうと決心した。資料の(9)「スクリプト言語Perl入門以前」は、その授業で用いるテキストとして作成したものである。いまでは、Perlで分からないことがあると直ぐ参照するようにしている。

▼本の詳細
(1)UNIX Programming 「Perlプログラミング」:1994年2月10日 第3刷発行 Larry Wall and Randal L. Schwartz 著, 近藤嘉雪 訳, \4,500 ソフトバンク株式会社(なお、最新版は 2002年9月発売の「プログラミングPerl第3版(全2巻)」\5,724 です)

(2)Perl 5 Pocket Reference, 3rd Edition 「Perl 5 デスクトップリファレンス第3版」:2000年11月21日 初版第1刷発行, Johan Vromans著, 歌代和正 監訳, 三島純子 訳, 発行/オライリー・ジャパン, 発売/オーム社 \1,200

(3)「Perl書法」:1994年5月21日 第1版第2刷発行, 増井俊之著, \3,200, 発行/株式会社アスキー

(4)「Perlの国へようこそ」:1993年5月25日 初版第2刷発行, 著者 前田薫, 小山祐司, 斎藤靖, 布施有人, \2,472, 発行/株式会社サイエンス社

(5)「掲示板・アンケートで覚える Perlプログラミング for CGI」:2000年8月10日第5刷発行, 増田若奈著, 発行/株式会社ディー・アート, \2,000

(6)「プログラミング言語Perlマスターコース 構文からオブジェクト指向まで」:2000年12月15日 初版第1刷発行, アンドリュー・L・ジョンソン著, 星睦訳, 発行/株式会社ピアソン・エデュケーション, \3,400

(7)「Perlモジュール活用ガイド かんたんオブジェクト指向プログラミング」:2000年5月10日 初版第2刷発行, エリック・フォスター・ジョンソン著, 三島俊司監修, アーク・シンク・タンク訳, 発行/株式会社翔泳社, \3,800

(8)「Effective Perl - Programming Writing Better Programs with Perl」:1999年3月21日初版発行, Joseph N. Hall / Randal L. Schwartz著, 吉川邦夫訳, \2,800, 発行/株式会社アスキー

(9)「スクリプト言語Perl入門以前」:2003年9月 初版発行, 東京理科大学 応用プログラミング論テキスト, 木下恂著, \2,000, 発行/エース出版


2017年9月1日金曜日

私の本棚(1):手塚治虫


・ブログ( ドッと混む・Knuhsの書斎 )から転載

── 手塚治虫ワールドのすべて


私の本棚を紹介します。
   

 第一回は、手塚治虫関連の本を取りあげることにします。先ず、好き勝手に覗いてみてください。4つの書棚の各ブロック上にカーソルを置くと内容の概略が表示されます。クリックで画像の拡大表示ができます。最後に解説欄があります。興味のある方は読んでください。

書棚A(クリックで拡大表示されます)
(6)
(5)
(4)
(3)
(2)
(1)

書棚Aの内容:手塚治虫漫画全集(講談社)#1 ... #90
 (1)ジャングル大帝(#1)~スリル博士(#20)
 (2)0マン(#21)~きりひと賛歌(#34)
 (3)アポロの歌(#35)~ハトよ天まで③(#49)
 (4)夜明け城(#50)~ふしぎ旅行記(#59)
 (5)ファウスト(#60)~アリと巨人(#72)
 (6)化石島(#73)~アラバスター②(#90)


書棚B
(11)
(10)
(9) 
(8) 
(7)

書棚Bの内容:手塚治虫漫画全集(講談社)#91 ... #174
 (7)ダスト8(#91)~三つ目がとおる⑧(#108)
 (8)三つ目がとおる⑨(#109)~タイガーマスク⑤(#125)
 (9)タイガーマスク⑥(#126)~バンパイヤ③(#144)
 (10)ぼるぼら①(#135)~ブラック・ジャック⑦(#157)
 (11)ブラック・ジャック⑧(#158)~鬼丸大将①(#174)


書棚C
(16)
 (15)
(14) 
(13)
(12)

書棚Cの内容:手塚治虫漫画全集(講談社)#175 ... #258
 (12)鬼丸大将②(#175)~ミクロイドS③(#185)
 (13)マグマ大使①(#186)~ナンバー7③(#195)
 (14)ナンバー7④(#196)~ザ・クレーター③(#220)
 (15)鉄腕アトム①(#221)~鉄腕アトム⑱(#238)
 (16)ショート・アラベスク(#239)~雑巾と宝石(#258)


書棚D
(20)
(19)
(18)
(17)

書棚Dの内容:手塚治虫漫画全集(講談社)#259 ... #300, 絶筆、その他
 (17)地球をのむ①(#259)~ふしぎなメルモ(#280)
 (18)新宝島(#281)~ブッダ⑭(#300)
 (19)陽だまりの樹(一)~(七)(小学館)、
   ネオ・ファウスト(絶筆)(朝日新聞社)、
   手塚治虫はどこにいる(筑摩書房)
 (20)手塚治虫物語(オサムシ登場)、
   手塚治虫物語(漫画の夢、アニメの夢)(朝日新聞社)、
   その他:少年クラブ、冒険王、少年画報



【解説欄】
▼はじめに
 最初に、なぜ「私の本棚」という欄を作ることになったのか を説明することにしよう。

 全国で書店の数が激減しているというニュースが流れている。紙の本を読まない世代が増えたからだろうが、それだけではなく雑誌や週刊誌などは駅売りやコンビニ店で買うのが普通で、わざわざ書店まで行くまでもなくなった。あるいは、通販を利用して購入する世代が増えたのも一因であろう。そういった生活基盤の変化が、結局は多くの昔ながらの書店経営を続けられない状態にしてしまったのだと思う。

 書店の書棚から本を取り出すときの、あの“未知の本との出会い”を期待する「トキメキ感」を経験してきた世代の私めには、甚だ残念なことである。私は電子書籍も利用しているが、やはり紙の本の方が圧倒的に多く、かつ思い出して再読する機会も多いような気がする。

 私は、誰でもよいが自分の書籍棚の前に座って撮影された写真などを見つけると、その人物が普段どんな本を読んでいるのか興味を持ち、背後に写る書棚の本を観察するのが好きである。その中に私が読んだことのある本を見つけたりすると、途端にその人物に親近感を持つようになったりする。

 そういう訳で、私は「自分が他人の書棚の中身を見たいのだから、他人も私の書棚を見たいに違いない」と勝手に思い込んでしまった。そして「私の本棚」をここに紹介することにしたのである。もし私の勘違いだったら、・・・許されよ。

▼手塚漫画の思い出
 私が手塚治虫の漫画(*1)に初めて接したのは、小学生の頃に読んだ少年向けの雑誌が最初ではなかったかと思う。しかし私の記憶に残っているのは「新宝島」を買って読んだときのことである。斬新な表現と内容に圧倒されてしまった。
【注】(*1)最近は「漫画」のことを「マンガ」、「アニメ」などと表現することの方が圧倒的に多い。
お小遣いをためて、やっと本屋で購入した新宝島を、私は家に帰るまで待ち切れずに歩きながら読んでいた。そのとき突然、大声で叫んでいる声が私の耳に飛び込んできたのだ。何んと! 私は小田急線の駅の近くの遮断機の降りた踏切の真ん中にいたのである。そして遮断機を操作する踏切警手が旗を振りながら、必死に早く踏切の外に出るよう叫んでいるのに気が付いたのであった。それほど子供を夢中にさせるものがあったのだ。この私の失敗を今まで誰にも(親にすら、いや親だからこそ!)話していない。歩きスマホを注意する資格は私にはないのである。

 そして、そうです! 私はあの新宝島初版本の持ち主となったのです(過去形なのが悲しい)。今なら数万円はすると思うが、残念ながら学友の兄に盗られてしまった。「貸して欲しい」と私の家にまで押しかけて来たので いやな予感がしたのだが、年上の子に言われるといやとは言えなかった。その後、返却を求めると「無くしてしまった」と言って返してくれない。結局そのままになってしまった。当時からいじめはあったのだ。今でも思い出すと悔しい。

 大人になってから手塚治虫漫画全集が刊行されると知って、私は再び新宝島を読みたくて買うことに決めたのである。最初の配本は、ジャングル大帝(#1)で 1977年6月15日発行だった。そして最後の配本が、その新宝島(#281)で 1984年10月3日発行となっていたから、購入申込みをしてから実に7年間も待たされたことになる。この一冊を手に入れるために7年間に渡って300冊を買い続けてきたのである。

全300巻完結!!


パンフレット:手塚治虫漫画全集 全3期 1977年6月 - 1984年10月


パンフレット:第1期 1977年6月 - 1979年8月


パンフレット:第2期 1979年10月 - 1981年11月


パンフレット:第3期 1982年2月 - 1984年10月
 

手塚治虫の死後、第4期として1993年1月から1997年12月までの間に新たに100冊が刊行され全400巻となったが、私は新宝島を手に入れてしまったのでもう買うことはなかった。

▼書棚について
 300冊の手塚本を大切に保管するために今まで大変な苦労をしてきた。私の書斎(あるいは私が常時居る場所と言った方がよいかもしれない)の移動、家の改築、引っ越し、家の建て替え・・・ などで何度も移動を繰り返してきた。

 その経験から、最も保管し易い書棚を造ることにした。B6判(高さ約18センチ)なので棚の高さを21センチ~22センチにして空間を無駄にしないよう設計した。棚の奥行は十分とってあるので本を前と後ろに二重に置くこともできたが、手塚本だけは取り出しやすいよう二重にはせず、4個の書棚を手塚治虫本の専用にした。
 書庫の入り口から見て左右の最上段2段をこれに当て、書庫A、Bと書庫C、Dとを作った。台の上に乗って手を伸ばせば、手塚本の取り出しと収納は難なくできるようになっている。

 しかし今回写真を撮る際には、カメラを両手で支えながら頭の上まで持ってゆき、更に腕を伸ばさないと最上段の撮影ができないことが分かった。出来上がった写真でピントが甘かったり、画面が歪んでいたりで良いできとは言えない。許されよ。

 なお、この文中では書棚A、B、C、Dで表示して本物らしく表現してあるが、実際は別物であり縦の区切りはない。

▼過去の遺物
 書棚Dの(20)には、古い 少年クラブ、冒険王、少年画報等が一緒に置いてある。これは私の投稿作品が掲載されているので捨てられず、今に至るまで保存されているのだ。
 手塚治虫氏の影響を強く受け漫画家になりたいと思っていた頃の遺物であるから、私にとっては手塚治虫と密接に関係のある物、としてここに置かれている。■