2011年8月21日日曜日

変な日本語(2) 「号泣する」

 雑誌の広告などで「号泣する」という見出しをよく見かける。号泣するとは、大声をあげて泣くことであるが、本当に号泣したのか、いささか疑問に思うことが多い。雑誌の読者は、実際に泣いてる場面を見た訳ではないので、その表現が正確なのかどうか確かめようがない。

 先日、ある大臣が国会の質疑の最中に、感極まって涙を流す場面を目撃した。すると翌日、メディアはこぞってこれを「号泣した」と報道したのである。この表現は明らかに間違っている。記者の国語力に、いささか疑問を感じる毎日である。こういう間違った使い方が定着してしまって、いずれ「俗語」とか「慣用語」とかの分類で、辞書に掲載されるようになるのであろうか。