2015年8月26日水曜日

謝罪   .......... “謝らない日本人”でよいのか?

★本記事のリライト版を、ホームページ上に
謝罪
       ── 謝らない日本人”でよいのか?」

として掲載しました。(2015-9-1)

 安倍総理の「戦後70年談話」なるものを聞いて以来、私は 謝罪 についていろいろと考えている。
 70年談話 を私はテレビを通じて聞いたのだが、長い弁舌だったわりには心を打つような山場もないまま終わってしまったような気がする。長いなぁという感想だけが残った。今までの総理談話はこんなにも長いものだったのだろうか。

 表面的にさらっと聞き流すと、世情で注目されていた4つのキーワード“植民地支配”,“侵略”,“反省”,“お詫び”はそれぞれ登場しているから、何となく分かった積りになった人も多かろう。だが、私は何か解せないところがあった。そこで、翌日の新聞に掲載された全文をしっかりと読んでみた。その結果、これは(多分、官僚が作った)“巧妙に作られた下敷き”があって、その下敷きの枠に沿って書き上げられたものではないかと思うようになった。実に巧妙に構成されていたからである。

 全体は大きく二つの部分から成り、前半では日本の戦後70年の歩みが紹介されている。侵略 については、負の側面を薄めようとしているところもあって気になるが、ここでは深入りしないことにする。
 前述の4つのキーワードはこの前半部分に出てくるのだが、よく読むと「痛切な反省と心からのお詫び」という表現の主語があいまいで、“”(安倍総理)の言葉ではなく歴代内閣の表明をただ引用しただけであることに気が付く。そして「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないもの」であるとし“全体として引き継ぐ”という形で締めくくられている。つまり“”がお詫びをしている訳ではないのだ(実に巧妙である)。

 後半の部分は、これからの若い世代への期待と日本の世界に対する貢献が述べられている。この中に「あの戦争には 何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という部分がある。この部分が、安倍総理が一番言いたかったことなのであろう。

 新しい世代の子どもたちは、もうこれ以上「謝らなくてよい」ようにしたい。しかしこれでは諸外国からの反発が予想されるから、同時に抜かりなくこうも言っている。「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」と。

 我々日本人にとって、常に謝り続けるのは辛いことである。だから「謝らなくてよい」となれば、誰でも共感したくなる。しかし私は、やはり謝るべき時には、何時でも心から謝罪できる人間でありたいと思う。そのためには、何について謝罪するのかをしっかりと理解していなければならない。つまり日本の歴史をしっかりと頭に入れておかなければ、謝ろうにも何を謝ればよいのか分からないからである。

 安倍総理の「過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」という言葉とは裏腹に、日本の歴史教育は日本にとって不都合な歴史上の出来事はできるだけ教科書に載せない(あるいは触れない)方向へと動いている。不都合な歴史上の出来事を教科書に記載したりすると「自虐的歴史観」であるとして排斥され、教科書として採用されない。つまり、次の世代には教えないようにしているのである。

 その結果、日本の歴史を正しく理解していない若者が増えていくことが予想される。しかも、彼らは謝罪しなくてよいという免罪符を手に入れているから、日本の不都合な歴史上の出来事を知らず、謝ることもしない日本人がこれから続々と海外に出ていくことになる。これは由々しきことである。

 海外に行く目的が「買い物」や「観光」だけならあまり問題は起こらない。せいぜい「爆買」とか「マナー違反」でひんしゅくをかう程度であろう。しかし仕事や留学などで長期間海外に滞在する場合は、現地の人々と親しく交わる必要があり場合によっては歴史問題で意見を求められる、あるいは議論を挑まれる機会があるかもしれない。

 若者たちが日本という国に 引き籠って 外国へ出ていかなければ、多分歴史問題で自己の意見を求められる経験をすることはないかもしれない。日本に居て多くの日本人に囲まれて生活している限り、歴史問題でいくら世間に通用しない“とんでもない歴史観”を語っても恥をかくことはない(国会や地方議会の議員さんの中にそういう人が沢山いるじゃないですか)。しかし単身海外に出ていって、そういう環境に身を置いたとき、一人で自己の主張を通じて相手を説得することができるかどうか、という問題である。

 日本にとって不都合な出来事も含めて歴史上の基本的な知識を学んでいないと、国定教科書などで自国中心の歴史観を学んでいる外国人を前に、我々は正しい自己主張ができなくなる。そういう人間は卑屈になるか、あるいは無暗に反発するかいずれか両極端に走ることになろう。
 「私には分かりません」と逃げる手もあるが、それは欧米では通用しない。欧米で「ホロコーストを知らない」と言えば、相手から無知だと思われ相手にされなくなる。グローバリゼーションの時代に外国人に向かって日本の歴史や文化を説明できなければ、同じように無知だと思われることだろう。恥ずかしながら、私は何度もそういった経験をしてきたのである。

 「あの戦争に“何ら関わりがない”」と信じてきた人たちも、実際にそういう場面に遭遇すれば、実は“関わりがある”ということを納得できるであろう。日本の歴史を勉強して、必要なら躊躇することなく心から謝罪のできる人間になってほしいと思う。■

2015年8月24日月曜日

素朴な疑問:首相の女性観

 安倍首相のヤジが止まらない。

 ・5月28日の衆院特別委員会で、民主党の辻元清美氏に対し「早く質問しろよ」とヤジを飛ばした。 

・8月21日の参院平和安全法制特別委員会で、民主党の蓮舫代表代行の質問中、自席から「まあいいじゃん、そんなこと」とヤジを飛ばした。

 首相は日頃から「法案を丁寧に説明する」とか「国民に分かりやすく」とか言っている割には、実際の行動はそれとかなり乖離した行動を取っているように思う。偶然かもしれないが、安倍総理は女性議員から質問されると普段以上にエキサイトするようである。一般に女性議員の発言中はヤジを飛ばす議員が多いらしいが、これは女性に対する偏見からきているのではないか。安倍政権が成長戦略の柱として掲げる「女性の社会進出」というのもどうやらお飾りに過ぎないような気がしてきた。首相の女性観はどうなっているのだろう。分からないなぁ・・・。■