2018年12月15日土曜日

速音読


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── 速音読のすすめ


 歳を重ねると活舌が悪くなってくる。そこで、毎朝「天声人語」を声を出して読むことにしている。私は初見で一か所も読み違いなく朗読し終えることをめざしているのだが、そのためにはゆっくりとした口調で正確なアクセントで読み進める必要がある。常に口の周辺の筋肉の動きを意識し、しっかりと口を開いて発音するようにしている。家内が病気になる前は、先生について朗読を習っていたので、私は聞きかじりの知識でそうやって努力していたのである。

 しかし、これがどうやら間違っているらしい。私の目的は朗読ではなく老化防止の方であるから、そのためにはゆっくりと読むのでは必ずしも効果は期待できないようである。

 というのは、最近ラジオで「速音読(*1)」というのがあることを知ったからである。「速読」ではなく、ただ早く音読するのである。
【注】(*1)生島ヒロシのサタデー・一直線 | TBSラジオ | 2018/12/15/土 05:05-06:00
音声ボタン(後半の 9:24~17:00 あたり)
 速音読では、抑揚を付けながら早めに読むようにする。これが認知症の予防に効果があり、うつの症状が改善されたという報告もあるらしい。

 ラジオでは、生島ヒロシと内藤裕子の両氏がゲストの斎藤孝先生を相手に軽快なトークを展開する。斎藤孝先生のチャレンジで、漱石の「坊っちやん」の最初の1節(*2)を読むのに何秒掛かるかが競われる。
【注】(*2)『親讓りの無鐵砲で小供の時から損ばかりして居る。小學校に居る時分學校の二階から飛び降りて一週間程腰を拔かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が冗談に、いくら威張つても、そこから飛び降りる事は出來まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかひ)に負ぶさつて歸つて來た時、おやぢが大きな眼をして二階位(にかいぐらゐ)から飛び降りて腰を拔かす奴があるかと云つたから、此次(このつぎ)は拔かさずに飛んで見せますと答へた。』
 私が「タイムフリー機能」を使って、後で再度聴いて確かめたところでは、

 斎藤孝先生:26秒
 内藤裕子 :27秒
 生島ヒロシ:21秒

であった。生島ヒロシさんの記録は流石である。しかし、私がつぶさに確認したところでは、2か所ほど読み間違えたところがあった。普段原稿はすべて初見で読むと豪語しておられるが、その実態はこんなものなのであろう。お人柄が出ていて楽しい結果となった。

 しかし私も試みてみたがこれが予想外に難しい。31秒がやっとであった。生島ヒロシさんの記録には到底及ばないようである。■

2018年12月1日土曜日

私の本棚を更新しました



http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/wyoteiblog.htm

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38  海外文学:不思議の国のアリス  
2018-11-27 掲示中
39  (特定テーマ)月刊誌:NATIONAL GEOGRAPHIC(2006-5)
 ナショナルジオグラフィック日本版:ユダの福音書を追う
  
2018-11-27 掲示中




2018年11月28日水曜日

私の本棚(39):NATIONAL GEOGRAPHIC


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── ユダの福音書を追う


 私の本棚を紹介します。

 第39回は、特定テーマ月刊誌:NATIONAL GEOGRAPHIC(2006-5) から「ユダの福音書を追う」を取り上げます。


 上掲写真は、
特定テーマ月刊誌:「NATIONAL GEOGRAPHIC(2006-5) ナショナルジオグラフィック日本版:ユダの福音書を追う」です。

 2006年、衝撃的なニユースが流れました。20世紀後半に発見されていた古代文書の内容が一部公表されたのです。それによると、十二使徒(*1)の内、イエス・キリストを裏切ったと思われていたユダの人物像が一変してしまう可能性がでてきたのです。

 新約聖書(*2)によれば、イスカリオテのユダはイエス・キリストを裏切った人物とされています。イエスの死後、様々な教えを説く福音書(*3)が存在しましたが、新約聖書に収められているのは、その中で「正典」と認められた、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4つの福音書です。一方、ユダの福音書は「禁書」として厳しく批判されてきたのです。

 ユダの福音書は、後の弾圧によってほとんど破棄されてしまったのですが、1945年、考古学史上を揺るがす驚くべき発見がありました。それがナグ・ハマディ文書と呼ばれているものです。
 これら資料の発見と盗難、修復や鑑定の過程を克明に追った迫真のノンフィクション『ユダの福音書を追え』 ハーバート・クロスニー著, 2006/4/29 が出版されています。本書で紹介されているのは、そのダイジェスト版ということになります。

【基礎知識】

【注】(*1)十二使徒とは?
 イエスに宣教者として選ばれた弟子で、以下の12人。(1)シモン・ペトロと兄弟の(2)アンデレ、ゼベダイの子(3)ヤコブと(4)ヨハネ、(5)マタイ。(6)フィリポ、(7)バルトロマイ、(8)トマス、アルファイの子(9)ヤコブと(10)タダイ、(11)シモン、そして(12)イスカリオテのユダである。

【注】(*2)聖書とは?
 紀元前3世紀頃までに書かれたユダヤ教とキリスト教共通の正典『旧約聖書』と、紀元1~2世紀に書かれたイエスや使徒の言行、各地の教会への手紙などを収めた『新約聖書』とで構成されている。

【注】(*3)福音書とは?
 イエスの言行録の形をとった文書。教会が認める正典として新約聖書にされたのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4書。聖書から外されたキリスト教文書(外典)にも福音書とされるものが多数あり、『ユダの福音書』はその一つである。


【解説欄】

特定テーマ月刊誌:「NATIONAL GEOGRAPHIC(2006-5) ナショナルジオグラフィック日本版:ユダの福音書を追う」


 ( 表紙 ) 



 ユダは裏切り者ではなかった ━━ 1700年前のパピルス文書が明かす、衝撃の物語。


 パピルスに記された文書は、エジプトの砂漠にひっそりと眠ったまま長い歳月が過ぎ去った。再び見いだされた時にはパピルスはぼろぼろに朽ちかけ、その内容は永遠に失われる寸前だった。


 「イスカリオテのユダとの対話でイエスが語った秘密の啓示」━━『ユダの福音書』冒頭より


 「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」━━イエスがユダに語った言葉


 初期キリスト教の思想家たちは、教団がユダヤ教の一分派という地位から脱却をはかる過程でイエスの捕縛とと処刑の責任をユダヤ民族に負わせたほうが都合がよいと考え、ユダをユダヤ人の典型として描く傾向を強めていった。新たに発見された「ユダの福音書」に描かれたユダ像は、従来の記述とはまるで違っていた。次のページには、「福音書の紛失と発見の歴史」が詳細に紹介されている。


 1945年、エジプトの町ナグ・ハマディの近郊で農民が偶然掘り出した土器の壺の中から、長年地中に眠っていた文書群が発見された。そこには『トマス福音書』『ピリポ福音書』『心理の福音書』など、キリストの教えを記した未知の文書が10点以上含まれていた。そして今回新たに見つかったのが『ユダの福音書だったのである。


 このページに、最も重要なことが書かれています。


 「聖書に描かれたユダ像」:
 確かに、悪意に満ちた記述になっているように読めますね。


 最後の晩餐におけるユダとされる人物の位置

▼本の詳細
『ナショナルジオグラフィック日本版』「NATIONAL GEOGRAPHIC (2006-5)」『ユダの福音書を追う』p40 から p59:文=アンドリュー・コックバーン, 写真=ケネス・ギャレット, 訳=杉浦茂樹, 2006年5月号(第12巻 第5号 通巻134号)、日経ナショナルジオグラフィック社
(c)日経ナショナルジオグラフィック社, ISSN 1340-8399


私の本棚(38):ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── 不思議の国のアリス


 私の本棚を紹介します。

 第38回は、不思議の国のアリスを取り上げます。


 上掲写真は、
・「不思議の国のアリス」(ルイス・キャロル著, マーチン・ガードナー注)
です。「鏡の国のアリス」も同時に購入しましたが、現在行方不明となっています。

【解説欄】

 本書の「序」で、マーチン・ガードナーが紹介している通り「アリス」の物語は、学者の研究対象となっており 今や「古典文学の墓石のような灰色の記念物になりつつある」と記されています。ギルバート・K・チェスタートンは、著者ルイス・キャロルの生誕百年祭の折に「アリスが可愛そうで、可愛そうでたまらない」と嘆いたそうです。

 確かに、さまざまな問題で「アリス」が引き合いに出され研究対象になるだけでなく、様々な問題で言及され、あるいは試験問題の題材としても取り上げられたりしているようです。

 現代の我々が読んでも容易には理解できないところが多々あります。「アリス」はもともと一世紀前の英国人を対象として書かれたものですから、我々には理解できないジョークが頻繁に登場するのは仕方ないことかもしれません。したがって本当に理解しようと思うのなら、それと本格的に取り組むことが求められます。それにはガードナーの解説付きで読むのが最も賢い読み方となるのではないでしょうか。

 ガードナーによると、この本の注釈はおとなたち━━特に科学者たちや数学者たち━━が永遠に生きる「アリス」を楽しんでいるので、そういうおとなたちの参考のためにのみ書いたものである、と記しています。

 ところで、私がこの本を購入したいと思った動機は「不思議の国のアリス」の中の一場面を詳細に読みたいと思ったからなのです。それも、プログラミング演習の問題で「アリス」を題材として取り上げようと考えたからです(【素歩人徒然(167)】「重力と私」━━ アリスは墜落死したか; 参照)。
 もしかしたら、コンピュータのプログラミング教材として「アリス」を最初に取り上げた事例として記録されることになるのでは・・・(そんなこと、あり得ません!)。

▼不思議の国のアリス


 ( 帯付きの表紙 ) 


 ( 裏表紙 ) 


 ( 表紙の表裏 ) 


 ( 扉 ) 


・各章の挿絵が素晴らしい


 ( 第1章の挿絵 )  ( 第3章の挿絵 )  ( 第5章の挿絵 ) 



  
ルイス・キャロル(Lewis Carroll)  マーチン・ガードナー(Martin Gardner)
(Wikipedia から引用)


▼本の詳細
「不思議の国のアリス」(ルイス・キャロル著, マーチン・ガードナー注, 石川澄子訳) Alice's Adventures in Wonderland : 1980年4月15日 第1刷発行, 1984年6月5日 第9刷発行, 定価 980円, 東京図書株式会社, 0097-7741-5156

「鏡の国のアリス」(ルイス・キャロル著, マーチン・ガードナー注, 高山宏訳) : 同時に購入しましたが、現在行方不明となっています。


2018年11月21日水曜日

素朴な疑問:菅野投手の完封勝利


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

素朴な疑問:菅野投手の完封勝利


 菅野投手(巨人)が沢村賞を獲得したそうですね。新聞には“記録ずくめ”とか“異次元の投球”とか書かれています。たいしたものですね。

 最多勝、最優秀防御率、最多奪三振のタイトルを総なめにしたのですから当然ですよね。2年連続での沢村賞獲得だそうです。たいしたものですね。文句の付けようがありません。

 でもねぇ~、何か引っ掛かるんですよ。パ・リーグ(*1)の投手たちは何をしていたのかなぁ~、と。別に菅野投手の活躍にケチを付けている訳じゃないんですよ。

 でもねぇ~、DH(指名打者)制のあるパ・リーグの投手たちは息を抜く暇がありませんからね。DH制とは無縁のセ・リーグ(*2)の投手と比べるのは酷ですよね。パ・リーグの投手の成績争いはセ・リーグよりも激しいんです。「2年連続で最多勝、最優秀防御率、最多奪三振のタイトルを取る」なんて到底無理なんですよ。

 いえ、別に菅野投手の活躍にケチを付けている訳じゃないですよ。菅野投手は15勝のうち8勝が完封ですからね。とても真似ができませんよ。

 詳しく見ると、セ・リーグのすべての球団(カープ、タイガース、ドラゴンズ、スワローズ、ベイスターズ、そしてロッテ)から完封勝ちを記録しているというじゃないですか。凄いですねぇ~。あっ! ロッテだけはパ・リーグじゃないですか。やっぱり!

 やっぱり引っ掛かるなぁ・・・・・

【注】(*1)パ・リーグ(Powerful League)
   (*2)セ・リーグ(Second League)。


2018年11月20日火曜日

恐竜博の記録

恐竜博の記録

【経緯】
 Yahoo!ジオシティーズのサービス終了にともない、Knuhsの書斎「分室3」は移転を余儀なくされ、「恐竜博の記録」をこの場所に持ってくることにしました。移転に際しては全体を作り直しています。


【 目 次 】

ルーム1:恐竜博2002(幕張メッセ 2002-9-17)

ルーム2:恐竜博2005(国立科学博物館 2005-4-27)


作成:shun kinoshita / knuhs

2018年10月27日土曜日

重力と私


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── アリスは墜落死したか


 最近の私は、日々 重力と戦っている。
 足が重い。腰が重い。肩も重い。そして口も重い(これは若い頃からだが)。今や昼間でも瞼(まぶた)が重くて普段は眼を細くして物を見ているような状況である。重みに耐えかねてか、全身の皮膚も弛(たる)んできた。筋肉も同様である。身長も少し縮んでしまったようだ。髪の毛が頭部から顔の頬や顎の部分へと移動(落下)してしまったのも、多分 重力のせいではないかと疑っている。

 重力の厄介なところは、次第に加速度が付いてくるところにある。高校時代、物理の授業で習ったところによると、物体の落下速度は時間とともに加速度的に早くなるという。

 ここで、重力加速度の時間(t)は“”の単位で表現するのが普通で、そのことからも分かるように重力加速度は秒単位で急速に増えていく。しかし私の実感では“”の単位で変化する側面にも目を向けるべきではないかと思う。これは、高齢者になって経験してみないと分からないことではあるが。

 思えば、重力の加速度など知らなかった子供の頃が懐かしい。始終飛び跳ねて野外を自由に遊びまわっていた頃は実に楽しかったものだ。高いところから跳べば下に落ちるのはごく自然なことであって、私は何の不思議も感じなかった。重力などという概念を知らなくても、落下するのは当然のこととして理解されていた。

 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」を読んで、アリスが兎穴に落ちる場面では、初速度のままゆっくりと落下していく様子にわくわくしたものだ。アリスは落下しながら棚に置いてあるものを取り上げたり、また棚に戻したりしている。あれは明らかに重力の加速度など存在しない(あるいはゼロに近い)世界のようであった。

 子供たちが、そういう理解のまま軽い気持ちで高いところから飛び降りたりしたら、それはそれで大問題であるが、厳しい現実を知っている子供たちはそんな間違いを起こしたりはしないだろう。高いところに立つと本能的に恐怖心というものが湧いてくるからである。
 それなのに、何故か最近は学校の校舎の窓から、あるいはマンションの屋上から飛び降りたりする子供が増えてきているというではないか。

 思うに、我々は重力の加速度という概念を知ってしまった頃から、夢のある幸せな世界から厳しい現実の世界へと放り出されてしまったのではないかと思う。しかし齢を重ね高齢になるまでは、決して重力の加速度の本当の怖さを身にしみて感じることはないだろうと思う。
 重力の加速度の怖さを(重力のことなど気にもしない)若者たちに知ってもらうには、これはもう絶対に「アリスが兎穴に落ちる話」を持ち出して話すしかないと私は思うようになったのである。

 大学の教師をしていた頃、私はプログラミングの授業でアリスが兎穴に落ちる様子を表示する問題を教材として取り上げた。時間の経過とともに落下距離を求めて画面上にプロットしていくプログラムを作るのである。縦軸に落下距離(y)を、横軸に経過時間(t)をとり放物線状に表示してみる。これにより、急激に重力の加速度が増していく様を見ることができる筈だと考えたのである。しかし

という式をそのまま用いたのでは、余りにも急激に落下してしまい限られた画面上にうまく放物線を表示することができないことが分かった。そこで、加速度を表す係数 g を 1/10 にしたプログラムを作って用いることにした。


図:アリスの墜落プログラムの実行結果

 教育現場での話であるから「アリスの墜落死」という悲惨な結果にならないよう工夫し「アリスの墜落事故」程度で収めることにしたのである。

 人間は自然落下している間は重力を感じないが、落下して着地する瞬間にはそれまでの全重力速度に匹敵する衝撃を受けることになる。その衝撃の程度をこの実行結果からしっかりと読み取ってほしいと思ったのである。その結果、この地球上にいる限りは重力を普段少しずつ受けている状態の方が安全だということを分かってもらえる。重力は放射線と同じ様に少しの量なら良いが大量に受ける(浴びる)と危険である。同様に、重力は少量でも高齢者になるまで長期間受け続けると、これもまた危険なことになる(と、私めは信じるようになった(★))。

 そう信じるようになった経緯をここで説明しておこう。私の経験では、重力を長年受け続けるとその部位が痛くなることを学んだ。たとえば、立ち続けていると足の裏が痛くなる。膝が痛くなる。座り続けていると尻が痛くなる(これは本当につらい)。それなら寝ていればよいかと言えば、そんなことはない。背中が痛くなってくる。ところが起き上がれば痛みはなくなる(病院で診てもらってもどこにも異常はないという)。この痛みから逃れたかったら始終動いていると良いことを体験的に学んだ。寝ているときも時々動いていると良い(半分眠りながら寝返りを打つには、かなりの体力を要することも学んだ)。すべて動いていることが最大の防御になることが分かってきたのである。

 それでは重力による痛みに耐える(*1)にはどうすればよいか、一部重複するところもあるが以下にまとめてみよう。日頃の生活の中で重力による痛みに耐えるには、先ず筋力をつけることが第一である。しかしこれは高齢者には限界がある。そこで、できるだけ重力をまともに受けないように“重力を逸らす技術”を身に付ける必要がある。じっとしていると身体の特定の部位に重力が集中する恐れがあるので、できるだけ重力を分散させて身体全体で受け止める努力をするとよい。最も手っ取り早い方法は、前述した通り始終動きまわっていることである。
【注】(*1)重力に耐えられなくなると普通は重みが痛みへと変わっていく。足、膝、腰などに痛みが発生してくる。しかし痛みが発生しない部位もある。そういう場合は、何とかなるものだ。たとえば瞼が重くなったのなら開くのをさぼって細目で済ませばよい。上唇が重くなったのなら口をあまり開かずにしゃべる。多少、活舌が悪くなっても仕方がない。あるいは黙っているという手もある。女性は、そういう状態でもしゃべらないではいられない性格のようだ。男性も見習うべきであろう。

 普段から座り続けている人は、一定の時間間隔で立ち上がっては身体全体を動かすことが重要である。それを習慣化するため、私は“30分インターバル運動”というのを推奨している(【素歩人徒然(126)】参照(*2))。

 先日、私は高校時代の同期会に出席したのだが、参加者の中に数人だが杖を使っている方々がいた。それを見て私は「なるほど、重力を逸らすには最適の方法だ」と感じ入ったのであった。重力を3本の脚で受け止めて分散させているのだ。うまい方法ですねぇ~。

 実は、私も杖を持っている。同期会で会った連中の杖は太くて立派なものだったが、私が持っているのは5つ折りにできる安物である。これを常時肩幅程度に短くしておいて“護身用の杖”として用いている(【素歩人徒然(117)】参照(*2))。歩道を歩いているとき、突然やってくる暴走自転車から身を守るためのものである。これからは暴走自転車に備えるか、重力に備えるか とくと考えねばならなくなった。

 最後に、私が経験した出来事の内から今回のテーマに関連するエッセイを以下に列挙する。重力との関連性に触れたものは無いが、今から思うとすべて関連しているような気がするのである。
【注】(*2)
【近頃腹の立つこと(5)】「自転車
【素歩人徒然(89)】「歩き方について
【素歩人徒然(103)】「痛みについて
【素歩人徒然(117)】「護身用の杖
【素歩人徒然(126)】「30分インターバル運動
【素歩人徒然(129)】「しっぽの痛み
【素歩人徒然(136)】「
【素歩人徒然(143)】「私のボケ防止法
【素歩人徒然(161)】「ウォーキング考



(★)老婆心ながら・・・
 最初は冗談混じりの話でまとめる積りだったのですが、段々真剣になってきて真贋入り混じってしまいました。私の経験そのものに嘘はないのですが、身体の経年変化の原因を重力のせいとしたのは私の推測に過ぎません。

2018年10月1日月曜日

「私の本棚」をアップデートしました


http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/wyoteiblog.htm

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35  海外文学ハックルベリー・フィンの冒けん  
2018-10-01 掲示中
36  特定テーマ月刊誌大きな文字の文藝春秋(2013-9)  
2018-10-01 掲示中
37  プログラム言語:FORTRAN IV  
2018-10-01 掲示中