2015年3月28日土曜日

河川敷スクワッティング

★本記事のリライト版を、ホームページ上に「河川敷」として掲載しました。(2015-4-2)

 私は天気の良い日は多摩川のサイクリングロードを歩くことにしている。昔はこの場所でサイクリングやジョギングをしていたのだが、この齢では余り激しい運動はできないからウオーキング程度にしておくのが安全というものであろう。

 家を出てからしばらくは幹線道路を歩くが、東名高速の下辺りから多摩川の堤に出て川上の方へと向かうことにしている。堤の左側には多摩沿線道路が走り、右側には広大な河川敷が広がっている。多摩川の水量は豊かであるが、河川敷には普段は川の流れに影響されない豊かな自然が残されている。

 堤の上のサイクリングロードを歩きながら遠方に見える山並みや東京方面の景色を眺めるのも楽しいが、毎度のこととなるとすぐ見飽きてしまう。その点、変化の激しい河川敷の様子を細かく観察することの方がはるかに興味深くまたストレス発散にもなっているような気がする。

 河川敷は木や草原で占められているが、堤に近い部分には企業の運動グラウンドやテニスコートなどがある。最近ではフットサルを教える運動クラブの施設なども作られている。これらは公に許可を得ているものであるが、個人が不法に占拠(スクワット(*1))して自分の耕作地にしてしまっている場所も多い。
【注】(*1)スクワット(squat)と言うとインターネットの世界ではサイバースクワッティングが話題になるが、ここでの“スクワット”は本来の意味である「無断居住」、「不法占拠」のことである。
 これらの不法耕作地は、自分の領域を明確にするためなのであろう例外なく垣根で囲われている。入口には扉を付けて鍵が掛けられるようになったものもある。物置を備えていたり、廃品を利用して作られた水槽など苦心の跡が分かるので、見ているとなかなか楽しい。
長年見ていると、不法耕作地のうちでその後放擲された区画は一つもないようだし、多分同じ持ち主(?)がずっと使い続けているように見える。不法地主は自転車などでやって来ては畑の作物の手入れに余念がない。多分、近隣に住む人達なのであろう。畑の耕し方などからズブの素人の畑仕事であることがすぐ分かる。しかし中にはかなり立派な畑もある。整然とした畝作りで季節ごとに植える物を切り替えたり休耕にしたりして農作業のプロとおぼしき人もいる。成果物の野菜類を台車に載せて運んでいるのを見ると、とても個人では消費しきれない量であるから多分八百屋等を経営している人ではあるまいか。

最初の頃は批判的に見ていた私も、長年(40年位になる)見ているうちに何となく彼らに親しみを持つようになってしまった。一方彼らは、私のような通りがかりの人を見ると、苦労して作った成果物を盗もうとしているのではないかと警戒の目で見ているような気がする。これは思い過ごしであろうか。

 こういった河川敷での不法占拠耕作地については、今まで何度も新聞等で報道されてきた。最近も多摩川の事例が地方版(川崎支局)で報道されたのを記憶している。その記事を読んで、これまでは不法地主の方を(心理的に)応援していた私も、これは整理しないといけないと思うようになった。

 そろそろ管理が厳しくなるのではないかと予想していたのだが、はたせるかな2月頃から川下の方で何か大掛りな作業を連日行っている様子が見えるようになった。かなりの作業員が関わっており、車も数台止められているようだ。ウオーキングで来る度に観察していると、川下から私がいる川上の方に向かって作業場所を少しずつ移動してきている。間もなくそれが何であるかが明らかになった。不法耕作地を整地して関係者以外入れないよう柵で囲っているのであった。
よく見ると、まだ整地されていない畑には注意書きが張られた看板が立てられている。立ち退きの要請が書いてあるのであろう。いろいろな廃品が持ち込まれているので後片付けも大変なようである。大型のごみを搬出するためのトラックも来ている。ものすごく時間が掛かる作業のようだ。

 私が堤に出て歩き始める位置にまでとうとう作業が到達した。これから先はグラウンドが続くので一区切り付く地点である。作業車に掲げられている看板には発注者名が「国土交通省 京浜河川事務所」と書いてある。県か市のやっている仕事かと思っていたが国の仕事だったのだ。なるほど、多摩川は一級河川であるから当然のことながら国が管理しているのである。

 この位置から川上に向かっては、企業の運動グラウンド、テニスコート、運動クラブ等が続いているので不法耕作地は存在しない。そして更にその先には舟島稲荷神社と二ケ領用水の取水口があり、その辺りにはまた耕作地が沢山ある。

次はそこへ作業が移るのだろうか。今のところまだ作業は始まっていないようであるが、私が見慣れた畑があるので少し心配である。
 気が付くとまた不法地主の方の心配をしている自分がいる。困ったものである。■