2020年9月15日火曜日

とっておきの話「コワイ先生」


・Knuhsの書斎 から転載

── もはや時効となったお話


▼担任の先生
 小学校時代の話である。当時通っていた学校には校内一怖いと言われている教師がいた(M先生としておこう)。多くの生徒たちが「あの先生、コワイよね」と話していたのを覚えている。本当かどうか疑わしい武勇伝を話す子もいた。私が五年生になるときにたまたまその怖い(コワイ)と言われているM先生が私の担任になってしまったのである。それまでは、ずっと女性教師が担任だったので男性教師は初めてである。増々怖さがつのってきていた。

 最初の授業の日、まだ全員の席次も決まっていないので皆教室の後ろの方にたむろして立ったままでM先生がくるのを待っていた。まもなくM先生が教室に入ってくると我々の方を見て突然叫んだのである。「帽子を被っているのは誰だ!」

 それは明らかに私のことであった。当時は学生帽などなかったので私は野球帽か何かを被っていたのだと思う。教壇の前に出てくるよう命ぜられた。まずいことになったと思ったが隠れている訳にはいかないので前に出て行った。私以外にも帽子を被っていた者がいて、結局3人が叱られることになった。

 私はぶん殴られるかもしれないと覚悟していたが、意外にもやさしい声で「帽子はどこで被る物なのかな?」と聞かれたので「外です」と答えた。叱られる場合は相手の顔に視線を向けて話を聞くよう教育されていたのだが、M先生はウルフの様な鋭い眼光の持ち主だったので私は正視するのが怖くて、何となく先生の口元辺りに視線をずらしてお説教を聞いていた。その後はやさしい口調で諭されただけであったが、最初の怒りはどこへ行ってしまったのか、口元の形はどう考えても微笑んでいるようにしか見えない。今は叱ることを楽しんでいるように見える。不思議な先生だなぁと思ったものである。
 どうやら、最初にガツンとやって全員の気持ちを引き締めておこうという作戦だったようだ。私は絶好の獲物にされてしまったのである。

 以後、M先生を良く観察していてどんな場合に叱るのかが分かってくると段々と叱られないで済むようになってきた。ずっと女性教師だったので緊張感が足りなかったのだ。私はこのとき、男社会の中で生きていく上での厳しさ(?)の一端に初めて触れたのかもしれない。そして、もっと強い精神力を持つ必要があると学んだのであった(おい、本当かよ?)。

 先生は運動ができるし、絵を描いたり粘土で焼き物を造ったりするのが得意で何でも器用にこなす素晴らしい先生であることが分かってきた。以後、卒業までこのM先生のお世話になった訳である。

▼お米を貸して
 ときどき家庭訪問ということでM先生が予告もなく家にやってくることがあった。家の中に入る訳ではなく庭先に突然姿を現し縁側に座って母親と話し込んでいたりする。私はM先生の姿を見つけると素早く姿を消すようにしていたので、何を話していたのかは分からない。

 ある秋の夜のことであった。家族全員が寝てしまった深夜になって庭に面した雨戸をホトホトと叩く音がする。内に向かって呼びかけている声も聞こえてくる。母親が雨戸を少し開いて何か話している。月明かりの中で母親と何か押し問答をしているようであった。どうやら相手はM先生の声のようである。「お米を貸して欲しい」と言っている。

 後で母親から詳しく聞いたところでは、先生はどうやら麻雀に夢中になって最終電車に乗り遅れ帰宅できなくなったらしい。当時は食糧事情が悪く米が不足していたので、どこかに泊りたければ必ず米を持参する習慣になっていた。そこで、M先生は私の家で米を借りて学校の宿直室にでも泊めてもらおうと考えたのだろう。家には米はあったと思うが、母親はM先生をそのまま返す訳にはいかないと考え、先生を家に泊めてあげようと押し問答をしていたらしい。
 母親が戻ってきて事の成り行きを説明してくれた。M先生は客間で寝てもらうことにしたとのことで、一同安心して眠りに着いたのであった。

 翌朝眼が覚めると、M先生が家で寝ていることを思い出した。同時に私は重大なことに気が付いたのである。このままでは、先生と一緒に朝食を摂ることになるかもしれない。朝食を摂ったらすぐ学校に行く時間になるから、当然先生と一緒に家を出て登校することになる。途中では先生と何を話せば良いのか。普段先生とは一対一で話をしたことなどない。物凄く気づまりである。学校まではかなりの距離があるから、その間どうしたらよいのか。もし級友に出会ったらどうしよう。先生と一緒に登校してくる生徒などどこにもいないから、当然うわさが流れて悪友たちにからかわれることになるに違いない。不安の種が後から後から頭に浮かんでくる。これは困ったことになった。

 起床してみると先生はまだ客間で寝ているとのことであった。ホッとした私は先生が起きて来る前に食事を済ませてさっさと学校へ行ってしまおうと考えた。幸いにも、出かける時間になっても先生はやはり起きてはこなかった。豪傑だなぁと私は思ったものである。

 私は一人で家を出て学校へ向かったが、何も慌てることはない。先生は遅刻するに決まっているから、ゆっくりと登校すればよいのだと自分に言い聞かせた。学校に着き教室で皆と一緒にいつものように先生がくるのを待つ。先生はなかなか現れない。先生が時間通りに現れないなどということは今までなかったので皆は不審な顔をしていたが、すべての事情を知っている私は知らん顔をして何も言わないことにした。母親から口止めされた訳ではない。自分の判断でここは黙っているに限ると腹を決めたのである。皆と一緒に待ち続けることにした。

 先生は大分時間が経ってから教室に悠々と現れた。そして何事もなかったかのように普段通りに授業を始めたのである。私以外の生徒たちも何事もなくいつも通りの授業風景に戻っていった。この出来事を、今では誰も憶えていないと思う。しかし大きな秘密を抱えてしまった私だけは、容易には普段の状態に戻れなかったのである。

▼便所の落書き
 帰宅後、更に驚くことがあった。便所に入ると便所の壁に大きな落書きがしてあったのである。私は先生が書いたものだとすぐ分かったが、多分母親は信じないであろうとも考えた。こういうことは男の子がするものであって、年齢的にも私以外に犯人は考えられないからである。そう考えて、私は大いにうろたえることになった。

 しかし落書きをよく見ると、これは私には到底描けないことが明白となった。壁には鉛筆で直径約50センチ程のかなり大きな円(それも美しい真円だった)が描かれていて、その中に目鼻口が書き加えてある。大人にしか描けないような手慣れた作品(?)だったからである。私が描いたと思われる可能性はほとんどないことが分かった。私は直ぐに母親に報せて自分の無実を確実なものとした。母親はそれを見て唖然としていたが、それ以上何も言わなかった。先生は一体何を考えてこんな落書きをしたのだろう。変な先生だ。

 先生のこの落書きは、しばらくの間はそのままになっていたが、いつの頃か母親がきれいに消し去ってしまった。私は少し残念な思いが残ったが、何も言えなかった。現在のスマホ文化のもとで育っ者だったら、早速カメラで撮影し記録に残していたことだろう。

▼酔っぱらいの豪傑先生?
 大人になってから思い返してみると、先生は酔っぱらっていたのだろうと思う。大体、麻雀に夢中になって遅くなり帰宅できなくなったというのからしてウソくさい。お米を貸して欲しいと言うのは本心ではなく、泊めてもらう積りで家に来たのだろう。本当のところは、どこかで酔いつぶれてしまい終電車に乗り遅れたのではないかと思う。今では、実に豪快な先生だと思うようになっていた。

 私は、先生が引き起こしたこの破天荒な出来事の詳細をこれまで誰にも話したことがない。当時の同級生に対しては申し訳ない気持ちだけは残っている。
 もし同級生に話すにしても、それにふさわしい懇談の場で話すのなら可能だが、文書にして公開するような話題ではないと思ったからである。

 しかしコロナ禍以後、私の考えは少しずつ変わってきた。例年開かれていた同窓会、同期会、クラス会などの行事が軒並み無期延期となってしまったのだ。今の情勢では再び開けるようになるとは思えない。私の年齢から考えて、もう昔の仲間に会って話す機会が再び訪れることはないかもしれない。そう考えて小学校の同期生のために作ったブログ(http://kinutas27.blogspot.com/)上にこの文章を掲載することにした。もはや時効であるから構わないことにしよう。

 同期会の再開は、そのうち政府が“Go To 同期会”キャンペーンでも始めてくれることだろう。それを待つことにしようではないか。

●言葉遊び

▼パンデミック「集会禁止、どうしよう」

同窓会どうそうかい、どうしょぅかぃ?

同期会どうきかいどうスル気かぃ? 

クラス会くらすかいおくらすかぃ?