2016年6月17日金曜日

依存症

----- コンピュータに係わる依存性
 元野球選手の覚せい剤取締法違反事件以来、我々は“依存症”というものの実態にかなり詳しくなったような気がする。
 昔は、依存症は単に“~中毒”などと呼ばれていた。アルコール中毒、ニコチン中毒、薬物中毒などいろいろあるが、要するに本人が努力さえすればやめられる類いのものと安易に考えられていたふしがある。しかし最近の科学の教えるところによれば、依存症の多くは脳に何らかの影響が及んだ結果であることが分かってきている。なかなか一筋縄では脱け出せない病気のようである。

 コンピュータの世界にもいろいろな依存症がある。ネット依存ゲーム依存メール依存スマホ依存、…。今後も新たな依存症が続々と登場してくることであろう。何事であれ、好きなことに熱中するのは良いが、度が過ぎて依存性が病的に進んでしまい「依存症」と呼ばれるようになるのは避けたいものである。


メール依存
 私が最初に依存性を意識したのはメールの利用であった。
 先ず、日々の仕事環境の中に電子メールが登場した。勤務先の全社的なメールシステムが利用できるようになり、そこで私は電子メールの基礎をその利点・欠点も含めて体験的に学ぶことができたのである。電子会議、電子掲示板、… などいろいろな交流形態があることも学んだ。そして、こんな便利なものはないと私はそのとき心底思ったのである。

 その後、一部の管理者だけは会社外から(つまり自宅から)電話を利用して会社のメールシステムにアクセスできるようになった。こうなると、帰宅後あるいは休日に家でも仕事ができるようになった。仕事関係のメールは、家から電話で会社のメールサーバーを呼び出して送信すればよい。電話回線を利用したデータ通信がまだまだ高額の時代だったので、文書をあらかじめ作っておき回線が繋がったらすぐさま送信して直ぐ切るというテクニックが必要であった。そういう、今から考えるとかなり不便な環境ではあったが、着実に私のメール依存性は深まっていった。

 休み明けの月曜日に出社してコンピュータのメールボックスを開くと、休み中に私宛てに送られてきたメールが大量に溜まっている。朝一番で最初にする仕事は、そのメールを一度に処理することであった。回答が必要なものはその場で返信を書くが、そのまま内容を読んで済ますだけのものもある。読むに値しないものも含まれているが、仕事に関係するものであるからいい加減には扱えない。お茶を飲むのも忘れて一心不乱にメールと格闘していると、それだけで午前の業務時間が終わってしまう。最初の頃はそれで物凄く仕事をしたような気になっていた。何しろ、午前中一杯脇目も振らずに業務に取り組んでいたのだから。

 しかし、あるときふと気が付いた。自分はこの間何か生産的な仕事をしていただろうかと。ただメールを処理していただけではないか。自分は、技術者として何かを生み出す仕事を期待されているのだ。メールの時間を削減しもっと生産的な仕事に取り組まなければいけないと思ったのである。それ以来私は、メールを使う時間に制限を加えるようになった。つまり、限られた時間帯だけメールと向き合うことに決めたのである。それ以外の時間帯は決してメーラーには触れないようにする。それには、普段はメール環境から距離を置くようにしよう。そう、断じて!そう決めたのである。

 インターネットの発展に伴いインターネットメールが実現し全世界的に使われるようになったのはその後のことであるから、そのかなり前から“メールの依存性”というものを意識していたことになる。しかし、依存症の本当の恐ろしさを知るようになるのは、インターネットが本格的に普及しネット依存、ゲーム依存などが原因で死者が出る事件が報じられるようになってからのことである。

 その後の科学技術の発展はメール環境から距離を置くという私の決心を脅かす様々な要因を作り出し、それとともにコンピュータに係わる環境は急速に変化していった。パソコンの普及、インターネットの常時接続、高速通信と廉価な通信料金、… そしてスマホの登場、… などである。その点では、現在のコンピュータ環境に慣れている多くの若い方々は気の毒だと思う。常に、新たな依存症の危険に曝されているのだから。

 現在でも、私の決心は「メーラーに触れるのは自分の書斎机の前に座っているときだけ」という形で継続されている。スマホなぞは、メール環境自体を常時持ち歩いているようなものであるから、私にとっては最大の敵なのである。

ゲーム依存
 もう一つ熱中したものとしてコンピュータゲームがある。パソコン黎明期の頃から各種のコンピュータゲームを体験してきた。しかし私は何かあるゲームが気に入ったとしても、同様のものを自作したいという気持ちが強くなる性格だったので、そのプログラム作りの方にすぐ関心が向いてしまう。そのため、幸いにも依存症を起こす程熱中することはなかった。

 しかしこの文章を書いていて思い出したのだが「倉庫番(*1)という有名なゲームだけは別格であった。私は当時、何か仕事に疲れると気分転換と称して倉庫番にチャレンジするのが習慣になっていた(もちろん自宅での話ですよ)。今も、久しぶりにまたやってみようかな‥‥ という気持ちになっている。もしかすると依存症寸前の状態にあるのかもしれない。
【注】(*1)倉庫内に点在する荷物を、一つずつ決められた場所に移動するゲームである。目的は単純だが、進行方向に荷物を押すことしかできない。最近の版では、最新の Windows 環境で動作するようになっている。

 しかし私が持っている倉庫番は、初期のバージョンなので現在の最新のコンピュータ環境下では残念ながら動作しない。そこで、倉庫番が動くはずの古いコンピュータ(Libretto 60 + Windows 98)を引っ張り出してきて、その上で動作させなければならない。どれ、ちょっとやってみようか。

倉庫番の画面

 倉庫番のプログラム自体は、外部ハードディスク(HD)上に大切に保存されているから、それを取り出して Libretto 上のHDに移して動作させればよい。しかし古いバージョンなのでフロッピーディスク(FD)ドライブが必要になる。以前ゲームを楽しんでいた頃は、FDドライブ付のコンピュータが普通だったが最近のコンピュータにはFDドライブなど付いていない。急遽FDドライブと3.5インチのFDとを探し出してきて接続した。よし、動いたぞ!
 やはり、こういう古い物も捨てずに取っておくべきなのだ。

フロッピーディスク(FD)ドライブ付きのコンピュータ

 私が熱中したゲームにはもう一つ3次元テトリスがあるが、これは瞬発力を競うゲームである。それに対し倉庫番は、思考力を試すゲームであり奥が深いので私の最も好きなタイプのゲームである。この原稿を書きながらも、私はまたもや気分転換が必要になったと称して倉庫番にはまり込んでしまいそうな気がしている。困ったものである。

 このように倉庫番依存症(?)が再発したのは今回が初めてではない。確か十数年前にも同じように再発していたから3度目ということになる。先回は、50画面をすべてクリヤーしても症状が治まらず、最後には自分でも新たな問題を創作したりした。それで一応症状は治まったのである。今回はどうなるであろうか。

 あっ! これ以上原稿に向き合っているひまはない。倉庫番、倉庫番、・・・・・・。■