2010年11月17日水曜日

ネット世論

 インターネットが普及して以後、“ネット世論”という言葉がよく使われるようになった。ネット世論(つまり、ネット上で大勢となっている意見)が世の中の意向を正しく反映しているかと言えば、それは明らかに否であろう。インターネットを利用する人達の中のほんの一握りの人達が、掲示板やブログ上で発言しているだけかもしれないのだ。その一方で、大多数の人達は沈黙してそれを見守っているだけ(ROM:Read Only Member)というインターネットの世界特有の現象を正しく理解しておく必要がある。場合によっては、同一人物が名前を変えて同じ主張をあちらこちらで流している(MultiPost)こともある。

 このことを、私は大学の講義の中で取り上げようとしたのだが、その説明をする前に「世論」という字を示して「普段、これを何と読んでいますか?」と学生達に尋ねてみた。すると全員が「よろん」と読むと答えたのである。別の読み方をしている学生は一人もいなかった。これは予想通りの結果ではあったが、全員がそう読んでいたのは意外であった。私は「これは“せろん”と読むのだと思いますよ」と少し控えめに述べ、それから本論へと移ったのである。

 なぜこのような質問をしたかと言うと、それは世の中の人達が(メディアも含めて)“世論”(せろん)を「よろん」と読んでいるらしいと最近になって気が付いたからである。今頃気付くとは随分ととろい話だと思われるかもしれないので、もう少し正確に書いておこう。そう発音している人が多いという事実は以前から承知していた。しかし「せろん」と読んでいる人がほとんどいないという事実に気が付いて、これは問題だと意識し始めたというのが正確なところである。多分貴方(女)も“世論”を「よろん」と読んでいるはずです。違いますか?

 私が“世論”という言葉に出会ったのは、正確には思い出せないが、中学生か高校生の頃ではなかったかと思う。その時、最初は「よろん」と読んだが、“与論”という言葉もあることを思い出し辞書で調べてみることにした。すると、手持ちの国語辞典には「せろん」と読むと記されていた。世論と与論の意味の違いを、私はこの時に学んだのである。以後、私は「世界のセ」と心の中で唱えながら「せろん」と正しく読めるようになろうと自分自身を鍛えてきた。
 したがって“ネット世論”という文字に出会っても、私は何の疑問も抱かずに「ネットせろん」と心の中で発音しつつ読んでいたのである。しかし、これがどうやら世間の動向とは著しく異なっているらしいことに気が付いた。それはテレビニュースのキャスターが「よろん」と発音しているのに(私は当然“与論”と解釈した)、画面上では“世論”という文字が表示されていたからである。これまでは「あれまぁ、また表示を間違えて・・・」と思いつつ、そのままにしていたのだが、テレビキャスターまでもが!「よろん」と発音している事実に気が付いて心底驚いたのである。

 これは見過ごしにはできない問題であるように思えてきた。
 与論(よろん)とは、公的な関心事について理性的な討議・討論を重ねた末に導き出された社会的な合意(public opinion)のことであり、合意に至るまでには当然長い時間が必要である。逆に、一度確立されると簡単には覆らない。ある程度の期間は批判に耐え得るものであると言えよう。昔は“輿論”と表記していたが、漢字制限の影響で“与論”という字が使われるようになった。

 一方、世論(せろん)とは、情緒的な私的心情であり、一般大衆の気分あるいは人気(popular sentiments)に基づく意見・感想のようなものである。よくよく考え抜いた末の見解ではないので、時間とともに変化しやすいと言えるであろう。
 最近は、世論(せろん)を「よろん」と読む人が増えたせいか、辞書には世論の項に“慣用読み”として「よろん」という読みも加えられている。このことを知っていたので、私は学生に対して「せろんと読むのだと思いますよ」と控えめに話しておいたのである。

 この解釈に従うと、総選挙の結果のようなものは国民が考え抜いた末に投票という行為を通じて意志表示したもので、その結果は与論(よろん)と呼んでも良いのではないかと思う。したがって、少なくともその任期の間は政権が維持されてしかるべきものであろう。
 それに対し、数か月毎にメディアが実施する内閣支持率調査などの結果は、世論(せろん)と呼ぶべきものである。支持率調査の対象にたまたま選ばれて突然電話を通じて意見を求められても、十分な考察もせずに世の中の空気を読んで適当に回答している人が多いのではないか。それなら、これは人気投票に過ぎない。「あの人はKYだ」などと言って、空気が読めない存在になることを極端に恐れている人達にとって、単なる人気調査をされたに過ぎないのである。

 若い世代の人達が、世論を「よろん」と読むようになったのは仕方ないとしても、世論と与論の本当の意味の違いだけは理解していてほしいと思う。更には、ネット世論と世論の違いの方も当然理解していなければならない。国民が良識ある判断を下せる手掛かりとなるのは、信頼性の高い順に書くと 与論 > 世論 > ネット世論 の順になるのではないかと思う。

 日本の政治の貧困は、政治家が与論ではなく世論(せろん)ばかりを気にして政治を行っているからではないか。中にはネット世論を、世論あるいは与論と勘違いして、自分は若者の間で人気があると思い込んでしまった首相もいた程である。その結果、人気投票のランク付けのように、首相が毎年交代するような国になってしまった。政治の貧困は、このような国語力の低下、つまり言葉の意味の取り違えから端を発しているとすれば、国民にもその責任の一端はあるのかもしれない。

 最近話題の尖閣諸島領有権問題でも、中国のネット世論を中国の与論と勘違いして大騒ぎしているメディアが多い。騒ぎ過ぎではないか。日本のような言論の自由が(比較的)保障されている環境では、信頼度の高い順に 与論 > 世論 > ネット世論 となろうが、言論の自由が認められていない独裁体勢の環境下では、官製の“えせ与論”、“えせ世論”がはびこっていて、我々の参考にはならない。我々が国民の生の声に接することができるのは、ネット世論しか存在しないことになる。そういう国のネット世論の信頼度を、我々はどう解釈したらよいのだろうか。私には皆目分からないのである。
【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「ネット世論」も参考にしてください。