2012年12月27日木曜日

大学の恩師

 大学時代の恩師、H先生が亡くなられた。ご高齢であったので、この寒い時季は特に心配していたところだった。

 先生に習ったコンピュータ関係の授業が契機となって、私は教師になる道をやめてコンピュータ関係の仕事へ進むことを決心したのである。大学卒業後もいろいろとお世話になってきた。コンピュータ関係から医用機器の仕事に転勤となった際はかなり落ち込んだが、報告がてら先生のお部屋を訪ねると、激励されるかと思いきや、意外にも「大学に戻らないか」と声を掛けられたのを覚えている。そんなことは無理であることを私は重々承知していたが、やはり救われたような気持ちになったものである。しかしその後も一度ならず声を掛けられたから、落ち込んでいる私を単に励まそうとされた訳ではなかったらしい。

 結局、先生の期待には応えられなかったが、大学のコンピュータ関係の科目で、指導教官がみつからない場合など、急遽先生から講師を頼まれることが多かった。負い目があったので、そういう時は必ず引き受けることにしていた。会社の了解を得て非常勤講師として学生を教えてきたのである。振り返ってみると、全部で6教科も担当したことになる。

 先生が定年で大学を退かれることになった時、先生が担当していた科目の「データベース論」も同じように引き継いでほしいと依頼された。しかしこればかりは任が重く、怖れ多いという気持ちもあってご辞退申しあげた。その後、お引き受けできなかったことが、ずっと悔いとして長く心に残っていた。先生逝去の報に接し益々その気持ちが強くなってきている。十分に職責を果たせたかどうか自信はないが、ここらで教師としての自分の仕事にも区切りを付ける時期にきたのではないかと思う。ご冥福をお祈りしたい。

2012年10月20日土曜日

変な日本語(7) 「真逆」

 先日、言葉の意味を間違って理解している人が多い例として、文化庁の調査結果からいくつかの例が紹介されていた。新聞のニュースなど読んだ方も多いと思う。
 「気が置けない
 「にやける
 「うがった見方
 「失笑
などである。
 その中に「正反対」の意味で「真逆」という表現を使う人が多いという記述があった。若い頃はまだ表現力が未熟だから、そんな間違いをしてしまうのかもしれない。もっと分かりやすい表現を覚えて、普通の言葉を普通に使うようになってほしいものである。
 こういうことを言うと「言葉は通じなきゃ意味がない。時代が変われば意味も変わっていく」などという反論をよく耳にする。「真逆」などという造語を作らなくても、「正反対」という言葉がある。それを使えばよいのである。そんなことを考えていたら、次のような新聞記事を発見した。


 いやはや、新聞記者ともあろう者が、記事の中でこんな表現を使うとは。多分、未熟な表現力しか持たない若者が、そのまま新聞記者に採用されてしまったのであろう。しかも「真逆」に「まぎゃく」などと 重箱読み のふりがなまで付けている。そんな表現法を使わなければならない必要がどこにあるのか。それをチェックしなければならない校閲やデスクも、その役割をはたしていない。彼等も同じように未熟な表現力しか身に付けていないのかもしれない。嘆かわしいことである。

2012年9月23日日曜日

スペード曲線を描く

 ハート曲線に続いてスペード曲線なるものを描いてみました。
 前提条件として、前作のハートマークの場合と同じように、円を出発点として作ることにしてあります(それに特別な意味はありませんが)。
かなり苦労しましたが、円からダイヤマークを作るのに比べれば、はるかに易しいと信じて取り組みました。これを“スペード曲線”と呼んでよいのかどうか分かりませんが、スペードの幹(?)の部分まで含めてスペードを描いたものは存在しないのではないかと思います。多分、世界初の完全な形(?)のスペード曲線を作成したのではないか、と愚考しているところであります。

 今年の夏休みは、ハート曲線とスペード曲線に取り組んで過ごしました。楽しい遊びは終りました。

2012年8月27日月曜日

円からハート曲線を作る

 円からハート曲線を作ってみました。出来上がるまでの動きをご覧ください。
円からハート曲線へ

2012年8月2日木曜日

ハート曲線

「ハート係数」の rewrite版「ハート曲線」をホームページに掲載しました。

若者の社会常識

「学生のマナー」の rewrite版「若者の社会常識」をホームページに掲載しました。

2012年7月20日金曜日

学生のマナー

  企業で働いていた頃の友人と話をしていて、最近の若者のマナーの悪さが話題になることが多い。そしてその原因の一つとして、とどのつまりは学校時代に十分教育されていないからでは、ということになる。企業をやめて今や教育の場にいる私めとしては、いささが憮然たる心持ちになるのが常であった。

  そんなこともあり、私は毎回の授業の中で機会を捉えては「社会人になるに当っての心構え」として各種の社会常識を教えることにしている。何しろ、名前を呼ばれても返事ができない学生、はがきでリポートの提出をさせれば手紙の書き方も知らない学生、… など驚くべき状態の学生がときどきいるからである。

  前期の最後の授業では、今期のすべての予定が順調に消化でき余裕もあったので、残りの時間は社会常識、情報倫理、仕事に取り組む姿勢、などにしぼった話をして講義を締めくくった。そして資料を片づけ帰り支度をしてから、構内にあるバス停に並んで学生達と一緒にバスの到着を待つことにした。

  このバスは大学と最寄り駅とを結ぶ大学専用のものである。既に多くの学生達が並んで待っているが、この位置なら何とか座れそうである。しかし学生達は、仲間を見つけては前の方に割り込んでくるから、バスが来る頃にはかなり後ろの位置になってしまうことが多い。それはもう最初から覚悟していた。

  以前のことだが、足を怪我して松葉づえをついている学生が乗ってきたことがあった。バスが動き出しても誰も席を譲ってあげようとしない。ゆられて転んだらまずいと思った私は、立ち上がって席を譲ってあげることにした。しかしその学生は特に礼を言うでもなく、恐縮するでもなく、そのまま座って友人達と談笑していた。どうも社会一般の反応とは異なるようである。電車内で席を譲る行為も恥ずかしくてできない、あるいは躊躇したりする学生が多い。譲られる経験も少ないのであろう。

  バスを待つ学生がかなり増えた頃、やっとバスが到着した。その時私の真後ろにいた学生が、突然「木下先生。どんどん割り込んでいますよ!」と声を掛けてきた。振り向くと先程の私の授業に出席していた学生である。「どんどん割り込んでますよ。先生、前に行きましょうよ!」とかなり憤慨した様子である。なるほど、気が付くとかなりの人が前に割り込んだ結果、もうかなり後ろの位置になってしまっている。「そんなに割り込みが許せないのかい?」と私が言っても、視線を前方に向けたままで、まるで聞いていないようだ。次の瞬間「先に行きますよ!」と言って、一人で前の方に走って行き20人ほど追い越してさっさと乗車してしまった。

  私が日頃から情報倫理に関連して道徳とかマナーに言及することが多いので、私を公徳心の塊りのような人間と思っていたのかもしれない。その“公徳心の塊り”を追い越して割り込み行為に加わるには、一言断ってからにする必要がある、それが最低限の礼儀であるとでも思ったのであろうか。なに、教えていることと実際の自分とは別物だから“公徳心の塊り”を追い越しても何の不都合もなかろう。

  私はこの学生が取った行為に少し驚きながら、そのまま列の動きにしたがって乗車口へと進んでいった。私が動かなかったのは公徳心からではない。単に大人としてそんな恥ずかしい行為はしたくなかっただけのことである。

  さて、いよいよバスに乗ろうとした時、少し離れた所から一人の男性がカメラをこちらに向けて構え、バスの乗車口の様子を撮影していることに気が付いた。変に思ったが、私はそのまま乗車した。見ると先程の学生は後方の座席に自分の席をしっかりと確保したようであった。よかった、よかった。私は、もう最初から座るのを諦めていたから、多くの学生と一緒に入り口付近に立つことにした。

  ところが、ふと見ると私の目の前の席が一つ空いているではないか。様子を見たが誰もそこに座ろうとしない。私は恐る恐るというか、これ幸いというか、その席に(できるだけ遠慮がちに)ゆっくりと座ったのであった。どうやら割り込んだ学生達も、年寄りの先生の為に一つだけ席を残しておいてくれたらしい。私はほんの少し、ほのぼのとした気持ちになった。やはり礼儀をわきまえた学生もいるのだ。

  それにしても、あの時私が学生と一緒になって前に割り込んだりしていたら(そんな可能性は全くないが)…、そうだ、あのカメラにしっかりと記録されていたかもしれない。「バスの乗車の列に割り込む先生」という傑作写真をものされていたかもしれない。その結果、授業で礼儀作法や道徳の話はできなくなっていたことであろう。危ういところであった。しかし、あのカメラは一体何だったのだろう。今もって分からないでいる。

2012年7月13日金曜日

ハート係数

  最近、インターネット上でハート曲線を表す式に出会った。見事なほどに美しい式である。


  この式が表現するハート曲線の形状をつぶさに見ていて、図の曲線が実は上下の方向に若干圧縮されていることに気が付いた。式の表すハートの型を作者の好みに合わせて修正したのであろう。
  もし圧縮されていなければ、この式はどういう形状になるのだろうか。私は知的好奇心を刺激され、早速コンピュータ上でやってみることにした。それが以下のものである。コンピュータ上で実装する際には、上下の方向に伸び縮みできるように、式を若干変更してみた。定数 h を導入し“ハート係数”と名付けてプログラム化したのである。


  ハート係数 h の値を 1.2 とすると程良い形になった。ハートの形とは不思議な物で、上下に長いと何か上品な印象を受ける。逆に短いと幼い感じになる。これは個人的な好みに類するものであろうが。
  私が推奨するハート曲線方程式は以下のものである。


  ハート係数の値をいろいろに変えて表示してみた。


  貴方(女)の好みのハート係数の値は、どのくらいですか。
プログラムの詳細は、いずれホームページ上に公開する積りである。

2012年6月30日土曜日

高齢化社会での交通標語

   交通標語で「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」というのがあったが、日本では車を使わず電車やバスや徒歩の方が早い場合が多い。特に年輩者にとって、歩くことは運動にもなるから、健康にも良いに違いない。高齢者による自動車事故のニュースを聞くたびに思うのだが、都会に住む高齢者に対して「そろそろ車をやめたらどうですか」とすすめたい。

   高齢化社会となる今後は
狭い日本、自分で歩かず どこへ行く
というのを交通標語として採用してもらいたいものである。

(賛同者は、この画像を自由に使ってください)

2012年6月11日月曜日

情報マナー・クリニック

  かねてから、自分が実行している情報セキュリティーに関するマナーを、まとめてみたいと思っていた。試作中のものは大学の授業で一部使用していたが、やっとある程度まとまりのある形になってきたので、ここに紹介しようと思う。

  大きく分けて以下の6項目であるが、ハッキング被害に遭わぬためにも是非参考にしてもらいたい。

・拡張子をよく見る
・パスワードの扱い方
・ファイルの開き方
・メール受信の仕方
・添付ファイルの扱い方
・USBメモリの扱い方


  詳しくは「情報マナー・クリニック」の方を参照してもらうが、特に二番目の「パスワードの扱い方」については、サイバー攻撃の被害に遭わないために、特に重要な部分なのでここに再掲する。

(1)安全なパスワードを使う(長さ、字種)
パスワードの長さは、必ず10文字以上とする。英字、数字、特殊文字を、それぞれ混在させる。英字も大文字と小文字を混ぜるとよい。
(2)同じパスワードを使いまわししない
誰しも、いろいろな場所で同じパスワードを使い勝ちであるが、一つ破られると被害が拡大する可能性がある。したがって、必ずそれぞれ異なるパスワードを使うようにする。
(3)パスワードは定期的に変更する
一定期間使い続けたら変更する習慣にする。
(4)パスワードを無闇にメモに残さない
手帳やメモ用紙、あるいは預金通帳等に不用意にメモ書き残さない。

  これらの注意事項は、誰でも知っていることばかりである。しかし、いずれも“言うは易く、行うは難し”なのである。
  これらをすべて実践するには、それなりの技術コツが必要になる。しかし、その方法をここに具体的に記すわけにはいかないので、各人が工夫し実現してほしい部分である(*)。
【注】(*)ここに書き記すと、自分のパスワードを世間に公開するようなもので、愚かな行為というべきであろう。

  授業では「他言無用!」という条件付きでそのやり方を教えたのであるが、学生達が本当にこれを実践してくれているか、残念ながらそれは確かめようがない。

2012年4月8日日曜日

「数独ボード v2.1」をリリースしました

  数独ボード SDB v2.1 が完成しました。説明書「数独ボード v2.1 の使い方」も出来上がったので同時にアップしました。
  特に“先読みモード”の使い方の例を豊富な掲載しました。活用してみてください。難しい問題で使ってみた経験が、そのまま記録されています。
  以下の場所からダウンロードし、自由に利用できます。
  「数独ボード」のダウンロード

2012年3月31日土曜日

「数独ボード v2.1」を開発中

  「数独ボード」の第2版を2月にリリースしたが、利用してくださる方が徐々に増えてきたようである。うれしいことである。
  しかし最も利用しているのは、もちろん私めであろう。ただ、使っている内にすぐ改良したくなるのが欠点で、今は v2.1 という版を使っている。近く公開したいのだが、あまり頻繁にバージョンアップしたのでは利用者に迷惑をかけるような気がして控えている。使い方の説明書が完成したら公開の時期を考えることにしたい。

2012年2月20日月曜日

自作ソフト「数独ボード」の第2版

  私の友人に数独の問題を作るのを趣味としている男がいる。市販の本にする度に私に贈呈してくれる。そういう贈呈本がもう3冊にもなる。
ところが、彼の作る問題は難しい問題ばかりである。私の能力ではなかなか対応できない。一般に数独問題を解くには、論理的にこの手しかあり得ないと判断できる“自明な手”を続けていって、最終局面に至るのが本来の姿だと思っている。次の一手が分からないので適当にうめていったら完成してしまった、というのでは本当の意味で解決したとは言えない。少なくとも私はそういう姿勢でゲームに臨んでいる。

  そうなると、彼の作る難しい問題に挑戦するには、かなり先まで読まなければならない。それにはどうしたらよいか。たとえば“自明な手”を発見できなかった場合、あるます目に対して【2】か【3】のどちらか、までは分かるがそれ以上は判断できない時、一応“自明でない手”ではあるが【3】をうめることにする。その後“自明な手”を続けていって、もし行き詰まったら最初の“自明でない手”【3】が間違っていたことになる。つまり【2】の方が“自明な手”であったと判断できることになる。その時点まで逆戻りすればよいのである。そのための手順を助ける機能を、第2版では追加した。

  同時に、取り組んだ数独の問題をデータベース上に保存しておいて、後で再度挑戦できるような環境も用意した。こういう動機で作ったのが「数独ボードV2.0」である。是非活用してみてください。詳しくは http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/suudoku.htm を参照してください。

  V2.0 では、以下の機能が新たに付加されています。

・ボード上のデータに名前を付けて保存できる。
・保存したデータをボード上の取り出すことができる。
・先読みを助ける「Test Mode」機能が付加された。
・問題集を他の利用者と共有できる。
  たとえば、朝日新聞 土曜版に掲載された数独の問題(過去4年分)をダウンロードできるようにしたかったのだが、朝日新聞beパズル係に許可申請したのだが返信がない。多分、拒否されたのであろう。

2012年1月16日月曜日

変な日本語(6) 「マジ」

「マジ」はNASAでも普及している?

  「マジ」という表現は、もう十分に日常会話に浸透しているから、これに異議を唱えたりしたら逆におかしいと思われるであろう。
  この表現は、多分「真面目に言って」の“真面目”から発しているのではないかと思う。相手の発言に「マジですか?」と応じたり、「マジで・・・」と強調したりするときに用いるらしい。“らしい”と書いたのは、自分では使ったことがないから、正確なニュアンスをまだ身に付けていない恐れがある。それで、少し遠慮して書いたのである。

  この表現は、自分が会社勤めをしていた頃から既に若い技術者間でしばしば使われていたように思う。今ではどの職場でも普通に使われている表現ではなかろうか。その証拠に、テレビドラマの中では中年の男女が普通に使っている場面をよく見かける。もうそろそろ、新聞記事の中にも登場するのではないか、と私は半分は冗談で思ったりしていた。ところが本当に登場したのである! しかも、NASAの専門家も使っているらしい?!

  太陽のすぐ近くを通過した彗星が、予想に反して消滅しなかった事実を観測した米航空宇宙局(NASA)の専門家が「マジで度肝を抜かれた」とのコメントを発したという紹介記事(2012-1-4付)を発見したのである。新聞記事として登場しただけでなく、もはやNASAの専門家の間でも「マジ」という表現が普及していたとは!(まさかねぇ~)。
  マジ、驚いた次第である。(初めて“マジ”を使ってみましたが、これでよいのでしようか。やはり普通の会話体の中でないと変ですね。ここは、「マジ、驚いた!」と言い切るべきでしょうね。)

2012年1月6日金曜日

変な日本語(5) 「そうですね」

  この正月休みの間、私はテレビでスポーツ番組を見る機会が多かった。そこで気になったのは、アナウンサーの問いかけに対して、スポーツ選手、テレビ解説者、あるいはコメンテイター達が、先ず最初に一言「そうですね」と言ってからコメントを始めていた点である。

  私はアナウンサーが質問を発する度に、また「そうですね」と応えるのではないかと思い聞き耳を立てていると、果たせるかな「そうですね」の一言が返ってくる。必ずと言ってもよいくらいのものだ。こうなると耳障りになってくる。気にしなければ何でもない一言が、一度気になるとその異常なくらいの繰り返しに「もう、何とかしてくれ!」と叫びたくなるくらい嫌な表現になってしまう。不思議なものである。

  この「そうですね」は、先ず質問者の考えに同意する姿勢を示しておいて、それから自分の話を展開していこうとするもの、との説があるらしい。もしそうなら、その反対語は「て言うか…」なのかもしれない(これも嫌な表現ですね)。

  しかし私は少し違うのではないかと思う。質問されて「そうですねぇ~」と暫し考え、それからおもむろに自分の考えを述べる時などに使うべき表現ではないかと思う。英語の“Well, let me see. …”みたいなものではないか。「そうですね」の一言の後、間髪を入れずにコメントし始めるのだから事実上不要な表現であるとも言える。だから、この「そうですね」は単なる口癖なのではないかと思うのである。

  日常会話の中で、癖のある表現を繰り返し用いていると、聞き手にとっては聞き苦しいものになる。できるだけ無駄な表現は排除して、なめらかに話す努力をすべきではなかろうか。
  ところで、貴方(女)はどう思いますか? (決して「そうですね」と応じてはいけませんよ)

2012年1月1日日曜日

「変更通知の法則」は正しかった?

  今年も年賀状が届いた。
  去年の年賀状では、住居表記の変更を報せる文を書き添えておいたのだが、残念ながらその効果はなかったようである。今年の年賀状の約3分の1は、旧住居表記のままであった。昨年は、確か以下のような法則も書き添えておいたのだが・・・。

【変更通知の法則】
・どんな変更も、最初は「たいした影響はない」
  ように見える。
・したがって、変更を通知しても誰もそのこと
  に関心を払わない。
・変更にともなうトラブルが発生すると、初め
  て問題の重要性が理解される。
ゆえに、変更を伝えるのは無駄である。

  残念ながら、この法則の正しさが証明されてしまったようである。
  最近は、住所録がパソコンで管理され、そのままはがきに印刷されるので変更が反映される機会、努力も少なくなっているのが一因かもしれない。困ったことである。