2010年8月23日月曜日

コンピュータを隠し持つ

 コンピュータ開発の黎明期の頃から、自分の家にコンピュータを備えるということは科学者や技術者にとって最大の夢であった。ソフトウェア技術者だった私めも、自分の家に自由に使えるコンピュータ(当時は電子計算機と称した)があれば、どんなに素晴らしいことかと夢想した内の一人である。

 コンピュータで何をやりたいかというと、数学の未解決の問題を解くために用いるのである。数学の世界には、まだ証明されていない未解決の定理が沢山ある。それを否定的に解くのに利用しようと思ったのである。つまり、その定理が間違っていることを示す例を一つでもいいから見つけ出せれば、一夜にして定理の解決者としての栄誉が得られることになる。否定的に解くのは、肯定的に解くよりもはるかに容易なことのように思われた。

 もし家にコンピュータがあれば、それを24時間連続稼働して未解決の問題を解くプログラムを動作させ、しらみつぶしに当たっていって答を見つけ出せばよいのである。そういうプログラムを作るのは自分の本業であるから、コンピュータを動作させる電気代のことだけ心配すればよかった。プログラムが昼となく夜となく解を捜し求めている間も、本人は遊んだり別の仕事をしていられるのだから楽なものだ。
 そう夢想していた時、私が空想の中でコンピュータを設置する積りだった部屋は6畳間ほどの広さであった。これは、その当時の中型のコンピュータが何とか納まる程度の広さである。

 時代は進んで、大型コンピュータによるタイムシェアリング全盛の時代には、家にテレタイプ型の端末を置くことを夢見たものである。公衆回線を使って職場(当時はアメリカの研究所にいた)の大型コンピュータを呼び出して使うのである。この頃にはもはや夢ではなくなっていた。端末は研究所からの借り物で、電話料金は(アメリカでは)基本料金で済むから負担にはならない。とにかく家でコンピュータを使えるようになったのである。しかし残念ながら借り物なので“私のコンピュータ”という実感は得られなかったし、日本ではまだまだ実現の難しい夢のような環境であった。

 時代は更に進み、マイクロコンピュータの出現によってパーソナルコンピュータ(パソコン)の時代になった。当初は、いわゆるマイコンを家に置いて、おもちゃで遊ぶような感覚で使っていたものだが、その後コンピュータの性能は飛躍的に高まり、普通のプログラム言語が使えるようになった。そして、再び自分の家に(おもちゃではなく本物の)コンピュータを備える夢が、実現可能な夢として再燃してきたのである。

 特にパソコンの出現は“私のコンピュータ”を沢山持つという贅沢な夢を現実のものとする上で大きな役割を果たしてくれた。もはや、設置場所として6畳間の空間など必要としないのである。私は、実に30台ものコンピュータを自分の家に“隠し持って”いた時代があった。なぜ(豪邸でもない)個人の小さな家に、30台ものコンピュータを隠し持つことができたのか。それはもちろん、私がコンピュータ開発という仕事に携わり、ハードウェアそのものを手に入れる機会に恵まれていたからであるが(詳しくは【素歩人徒然】「コンピュータショウ」参照)、最も重要な点は、コンピュータを隠す技術に長けていたからである。その隠す技術の中でも、特に重要なものはノートパソコンの発明にあるのではないかと思う。この技術の存在なくして、30台ものコンピュータを家人に知られずに家の中に隠し持つことなど不可能であったろう。

 家人の目を逃れるには、もちろん色々なテクニックを駆使しなければならない。デスクトップ型の大きなコンピュータを2~3台、所せましと並べて意識的に家人の不満をそちらに向けさせる。その状態を目くらましにして、残りのノート型のコンパクトなものは、家人の目に触れないように巧妙に隠すのである。応接間の大型ソファの下、椅子の下などが最適の隠し場所となる。本箱や押入の奥にさりげなく置くのもよろしい。一か所にまとめないで、いろいろな場所に散在させるのがコツである。本箱の本と本の間に縦にして置くのは、保守上からは勧められない。むしろ並べた本の上の空間に、水平に置くべきであろう。

 このような高度なテクニック(?)を使って隠し持っていたコンピュータは、古いもので、もはや動作しないものばかりであった。その後いろいろな事情があって、ほとんどの物を手放してしまったが、最近、また集めだしている。使い込んだ愛機を、壊れたからといって廃棄処分することができないのである。修理するとなると、大抵は基板の取り替えが必要となり5~6万円は費用が掛かる。これは新しいマシンを購入できる値段である。しかしそれでも修理して動作する状態にして保存したいと思う。私の書斎のデスク周辺には、そういう稼働するけれども特に使う予定のないマシンが、わさわさと存在するのである。このようにして台数が増えていくと、またぞろ“コンピュータを隠し持つ”ためのテクニックを発揮しなければならなくなるかもしれない。困ったことである。
【追記】本文のリライト版【素歩人徒然】「コンピュータと私」も参考にしてください。