2016年4月21日木曜日

エイプリルフール後日談

 ━━ うるう秒とうるう年
 小学生の頃、エイプリルフールといえば公式に嘘を付いてもよい日と聞いていたので、私は毎年この時期になると張り切って嘘を付いて人をだまそうと思ったものだ。しかし普段から嘘ばかり付いている(?)くせに、いざとなるとなかなか気の利いた嘘を付けないものだということを経験した。そして自分は、きっと生まれつきの正直者であるに違いないと確信した… いや、今から思うと誤解したのであった。

 当時は、新聞のニュースやラジオの番組を通じて嘘が流され、それを真に受けた人たちが大騒ぎするのが後日談として報じられ人々を楽しませてれていた。しかし最近はIT企業などの新興企業が中心になって、かなりの資金を投じて準備された嘘を流すようになってきた。会社の宣伝にもなるのであろう。最初から嘘に違いないと分かっていても、つい本気にして騙されたくなるほどの出来栄えであることがた楽しい。

 今年のエイプリルフールの前夜(3/31)、私は自分のホームページの4月分の更新作業をしていたとき、突然自分エイプリルフールの嘘を仕掛けてみたくなった。小学生時代の楽しかった思い出がよみがえってきたのである。

 丁度、カラークロック・プログラム(*1)をトップページに設定する予定だったので、これを材料にしよう思った。このプログラムは、現在時を24時間表示で「13時45分05秒」のように時々刻々とデジタル表示するものである。同時に「時」「分」「秒」の値をそれぞれ16進数表示で連結し幅6桁の16進数を作って壁紙の色として用いるプログラムになっている。時間の変化とともにバックカラー刻々と変化する様子を見て楽しでもらう積りだった。


【注】(*1)このカラークロック・プログラムは、URL="http://whatcolourisit.scn9a.org/"で見かけたものを参考にした。面白いアイディアだと思い、私も自作してみたのだが、オリジナル版と比べて色調の変化が異なっている。調べてみたらオリジナル版は16進数を連結する際に“ゼロサプレス”が考慮されていないことが分かった。こちらの方が“正調”いや“正しい色調”だと思い、自作版を私のホームページ上にアップすることにしたものである。

 そこで、更新情報を表示する【What's New】の欄に、急遽以下のように記述することにした。

 これは“うるう秒(*2)”を実施するときだけ起こることだが“59分59秒”の次にうるう秒として1秒を挿入した場合、“60分00秒”と表示させることを念頭に置いたものである。何が嘘かというと“興味深い現象”は何も起こらないことである。全く他愛のない無害なウソであるし今年はうるう秒が必要な年でもない。
【注】(*2)うるう秒
 1日の長さ(Length of Day:LOD)は、24時間×60分×60秒 = 86,400秒であるから、歴史的には1秒の長さは、1日の長さの86,400分の1と定義されてきた。しかし実際には地球の自転速度が変動するのでLODは一定ではない。その他いろいろな理由があり、それらを勘案して「うるう秒の挿入」という対応で辻褄を合わせているらしい。
 本当は「59分が切り上がる瞬間に… 」と書く積りだったのだが“60分00秒”が念頭にあったので、うっかり60分と書いてしまった。私の単純なミスであったが、これを読んだ友人のS氏が目ざとく見つけて指摘してくれるまで私は自分のミスに気が付かなかった。しかし嘘だと見抜くヒントにはなったのかもしれない。怪我の功名であった。

 ところで、うるう秒の挿入は世界同時に一斉に実施されるのが普通で、最近では日本時間で2015年7月1日に実施された。それ以後は実施されていない。いや、もう二度と見ることはないかもしれない。

 その日、日本では午前8時59分59秒の直後に1秒挿入され、8時59分60秒となった。そして9時00分00秒と時間が刻まれたのである。つまり(私も今回初めて知ったのだが)正確には“60”という珍しい表示は“”の単位で使われたのである。

 実は、うるう秒の挿入には賛否両論がある。挿入した場合の社会的影響が余りに大きいため今後は実施されないのではないかと予想される。1秒という時間が、現代社会では大きな重みを持つようになっているためである。
 コンピュータの発達で1秒間に数万回もの株の売買取引ができるようになった証券取引業界では、1秒という長ぁ~い時間があれいろいろなことができる。プログラムを利用すば、他の株の売買状況を見て瞬時に対抗する売買指示を出せるのである。
 特許権取得競争が激化する技術開発の分野でも、マイクロ秒単位のタッチの差で巨大利権の行方が左右される時代である。そういう社会で1秒という時間が世界中で一斉挿入され何らかのシステムトラブルが発生したらどうなるのか。想像するのさえ恐ろしいことである。

 この様にうるう秒の問題には未だ未解決の問題が含まれている。一方、うるう年(*3)の方も厳密には問題がある。
【注】(*3)うるう年
 グレゴリオ暦では、次の有名な規則に従って400年間に97回のうるう年を設けることにしている。
(1)西暦年が4で割り切れる年はうるう年
(2)ただし西暦年が100で割り切れる年は平年
(3)ただし西暦年が400で割り切れる年はうるう年
 この規則によってプログラム化しておけば何の問題もないように思われるが、400年間における平均の1暦年は、365+97/400=365.2425日(365日5時間49分12秒)となる。暦と季節とのずれは約3320年で1日となる。この1日をどうするかは未だ未解決の問題である。そんな先のことは考える必要はないと先送りしているだけである。それでいいのだろうか。
 私は、昔から「うるう年」というものに何かある種のいい加減さを感じていた。それが何であるかはよく分からなかったが。
 しかし今回、偶然「うるう秒」のことを調べていて、改めてそのいい加減さが分かってきたような気がする。「うるう秒」も「うるう年」ま、はたまた「閏」という漢字にしても、どうも意味がよく分からない。具合の悪いところを付け焼刃で適当に修正しているように思えるのだ。プログラムの虫つぶしと同じでまるで信用できない。

 最後に、前述のうるう秒挿入時に起こる“60”という珍しい表示はもう二度と見られないかもしれないので、私めは、遅まきながらこのカラークロック・プログラムを改訂し、毎年の4月1日(エイプリルフールの日)だけは“興味深い現象”が見られるようにした。来年の4月1日には(もし覚えていたら)是非じっくりと鑑賞して頂きたいと思います。

改訂版・カラークロック

2016年4月14日木曜日

続々・素朴な疑問:「チガカッタ」は若者言葉なのだろうか?

 以前、テレビで若い女性タレントが「チガカッタ」という表現を思わず発してしまう場面に遭遇し、ちょっと驚いた記憶がある。それを“変な日本語表現”という拙文に書いて紹介したのは今から4年くらい前の話である。その後、ラジオやテレビでこの表現を使う若者たちが次第に増えていくのを知って増々驚くと同時に、自分の現状認識の甘さを痛感するようになった。もはや単なる使い間違いではないらしいのだ。

 私の経験では「チガカッタ」という表現は、言葉をまだうまく話せない幼児が、その発育段階の途中でよく使う表現である。次第に言葉を覚え「てにをは」の使い方を身に付けるにつれて少しずつ正しい日本語を話せるようになると自然に矯正されていくものであった。しかしそれが直されることなく、そのまま成長して大人になってしまったらしい。

 先日、最近始まったばかりのラジオ番組を聞いていたら、新任のパーソナリティが、「それ、チガクナイ?」という表現を連発しているのを耳にして再び仰天することとなった。ゲストの若者が使ったのではありませんよ、パーソナリティというのは番組のホスト役ですから、その大人が使っているのです。驚きましたねぇ。

 「チガクナイ」もその発生経緯は「チガカッタ」と同根のものであろう。こういった使われ方を見ていると、おそらく使い間違いと言うより「若者言葉」の一つとみなされて大衆に受け入れられていくのかもしれない。

 若者言葉と呼ばれるものを私はできるだけ理解しよう(*)と努力してきたが、最近少し考えが変わってきている。若者が使う言葉の中の明らかな使い間違いは、しっかりと指摘して矯正してやるべきではないか。

【注】(*)理解はするが、自分で使おうとは決して思わない。
 たとえば、若者がよく使う「全然、大丈夫です」という表現にしても、本来は「全く、大丈夫です」というべきものである。これは「全然」と「全く」の使い分けができないのが原因である。あるいは「全く」という表現が存在することを知らないだけの話しかもしれない。つまり“無知”に起因するものである。若者言葉だからと一括りにして容認したりすべきではないと思う。

 ところで「チガカッタ」は若者言葉なのだろうか? それとも単なる使い間違いなのだろうか? 分からないなぁ。

2016年4月1日金曜日