2014年7月11日金曜日

号泣県議

 不自然な日帰り出張を繰り返していた兵庫県議が、その政務活動費の詳細を問われた記者会見の場で突然泣き叫ぶ事態となった。
 昔ならローカルな珍事件としてそのまま忘れ去られてしまうところだが、今はインターネットの時代である。その映像があっと言う間に全世界に発信され、更に物議をかもすことになってしまった。何ともはや、日本人として恥ずかしい限りである。話題にするのも躊躇したくなるような出来事であった。

 この県議のことを、各メディアは“号泣県議”と呼ぶことで意志統一されたようであるが、私はこの“号泣県議”という呼び方だけは大変気に入っている。最近の若者達は「号泣」の意味を誤解しているので、それを正すのに絶好の事例が見つかったからである。

 大学の授業で情報倫理を教えているが、リポートを書かせると日本語の意味を取り違えている学生が予想外に多いことに気が付く。このままでは、社会人になったとき恥をかくことになるのではないか。それが心配で、私は授業中にできるだけ機会をとらえては、いろいろな用語の正しい読み方や本来の意味を教えている。

 それらの経験は
  「変な日本語表現(その1)
  「いい加減な日本語力
   「ネット世論
等にまとめられている。

 そこでも紹介したように、最近の若者達は「号泣」という用語をただ「泣く」という意味で気軽に用いているようだ。これは本来は「大声を上げて泣き叫ぶ」ことである。
 これは若者に限らず多くの人が意味を取り違えているように思う。先に、IOC総会の場で東京オリンピックが正式決定された際も、現地取材していた記者の一人が「私も、思わず号泣してしまいました」などとリポートしていたのが今でも私の記憶に残っている。男はそんなに簡単に号泣したりしないものだ。男が号泣してよいのは、自分の親が亡くなったとき(と財布を落としたとき)だけと昔から決まっている(性差別をなくすことを重視する現在では「男は…」の部分は不要であろうが)。

 某国の将軍様が亡くなったとき、国民が競って泣き叫んでいる姿をニュース映像で見たことがあると思う。泣き叫んで悲しみを表現することが忠誠心の証しだと考えている国であるから、国民は皆競って号泣し誰よりも派手に泣き喚くのである。国民性の違いとはいえ、傍から見ていても決して人の心を打つことはない。むしろ異様な光景であると思えてならない。
 今まで私は、この事例を挙げて学生達に「号泣」の意味を説明していたのだが、これからはただ「号泣県議」という固有名詞(?)を出すだけで、万事了解してもらえると確信している。そして、無闇に号泣したりしない立派な大人になろうと努力してくれることであろう。

 ところで、なぜ「泣く」の代わりに「号泣」という表現が使われるようになったのか。その点を少し探求してみようと思う。
 週刊誌の広告などを見ていると「号泣」という語が頻繁に使われているのに気が付く。広告では簡潔な表現が求められるから「泣く」という動詞を使うよりも名詞で止めた方が全体が簡潔になる。「泣く」という意味の名詞で適当なものがなかったので「号泣」が選ばれたのではないか、と私は推測している。その広告を見た若者達は、この「号泣」という表現の方が単に「泣く」と言うよりも格好いいと思ったのであろう。

 そこで「泣く」を意味する名詞を調べてみた。

 涕泣(ていきゅう):涙を流してなく
 嗚咽(おえつ):むせびなく
 欷歔(ききょ):すすりなく
 感泣(かんきゅう):感動してなく
 慟哭(どうこく):声を上げて嘆きなく
 哀哭(あいこく):声を上げて悲しみなく
 

 「泣く」を表現する漢字には声を発するものが多い。単に「涙ぐむ」というやさしい泣き方の名詞は見当たらないようである。私が捜した限りでは、涕泣(ていきゅう)、降泣(こうるい)くらいしかない。見慣れぬものばかりである。
 もっとポピュラーなものはないのかと自分でも考えてみた。そこで思いついたのが「落涙」である。これなら普通に使えると思うが、どうであろうか。

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