2017年2月11日土曜日

歩き方について

── 転ばないためのコツ
 
 歩きながら考えている。
 私は昔から、歩きながら考えるのを習慣としていた。歩きながら、あるいはウォーキング(以前は、ジョギングだったが)をしながら色々なことを考えている。仕事のこと、趣味のこと、何でも思考の対象としてきた。歩きながら考えていると、しばしば良いアイディアが生まれてくるものなのだ。今、私が考えているのは、歩き方についてである。つまり、歩きながら“歩き方について”考えているのである。

 と言うのは、最近歩いていて非常にショッキングな事実に気が付いたからである。普段道を歩いていたり、スポーツとしてウォーキングをしている最中に、自分が女性の歩行者(あるいは女性のウォーカー)に追い越されている事実に初めて気が付いた。歩行速度はそれ程差がないのに追い越されていく。よく観察してみると追い越して行く人と自分の足運びには大きな差はない。ほんの少し私の方が遅くなっている程度である。しかしその小さな差が、長い距離を歩く内に大きな差となって現れているのであろう。
 そこで、私は考えた。齢のせいで身体の動きが鈍くなってきているのではなかろうか。意識的に少し速く歩く努力をしてみよう。

 会社勤めをしていた頃は、何かに追い立てられるようにせかせかと急ぎ足で歩いていたものだ。しかし会社勤めをやめてからは、追い立てられることもなくなり、何事にも時間的な余裕を持って行動するようになった。以来、ゆっくりとした歩調になったのだと思う。
 それからは、努めて早足で歩くよう努力することにした。しかしある時、駅への道を急ぐ途中で、路面の小さな凹凸にけつまずき転倒してしまった。前のめりの体勢で歩いていたためか、したたかに路面にたたきつけられ両手の手のひらに裂傷を負ってしまったのである。

 そこで、また私は考えた。今まで私は、ゆったりとした気持ちで歩いている積りだったが、実は歩行速度が落ちた原因は体力的な衰えによるものではなかろうか。転んだ時も、危うく顔面から倒れる可能性があったのである。危うく両手をついて身体を支えることができたが、明らかに反射神経の方も衰えているようである。これは「歩き方」を矯正する必要がありそうである。

 思い返してみると、最近つまずいて転びそうになることが多くなっているように思う。足を十分に持ち上げないで引きずるように前に出すのが原因なのだ。もっと腿の部分を持ち上げて、前へ振り出すようにして歩かなければいけない。以来、意識的に腿を上げて歩くよう努力するようになった。しかしこれが長続きしないのである。歩きながら考える癖があるので、しばらくすると直ぐ「腿上げ」のことを忘れてしまう。

 そこで、またまた私は考えた。振り出した方の足を着地させる際に、踵の部分から接地させるようにしてはどうか。常に踵の部分に意識を集中させていればよい。この“踵着地”の方が“腿上げ”よりも意識を集中しやすい。しかも、踵着地を実行していると自然に腿上げができるような気がするのである。更に、後ろの足を力強くキックする気持ちで前方に振り出すと、更に効果的であることにも気が付いた。ただ“後足キック”も“踵着地”も、考え事をしていると、つい忘れてしまうのである。困ったことだ。

 そこで、私は再び考えた。腿上げ、踵着地、後足キックも大切だが、「大股で歩く」ことの方を重視してはどうであろうか。ウォーキングの際は常に大股で歩くことが勧められている。私の経験では、考え事をしていても大股で歩くのを忘れたりすることはない。始終意識していなくても“大股歩行”なら続けられそうに思えたのである。

 以来、私の歩行習慣は、
 ・大股歩行
 ・踵着地
 ・後足キック
 ・腿上げ


を実践することとなった。しかし意識的に実行しているのは“大股歩行”だけである。これだけは、考え事をしていても決して忘れることがない。多分、歩幅を変えるという行為は、意識的に行う必要のある行為に属するのではないかと思う。

 このような歩き方を論ずる(?)場合、手の振り方も考慮に入れなければならないが、私はウォーキングの最中に両腕を大きく振るスタイルがどうしても好きになれない。いかにも「私は運動をしています」と主張しているようで、他の通行人の迷惑にもなるし、自分では決してやりたくない動作だ。さりげなく手を振っている方がよいのではないかと思う。両腕を大きく振る歩き方をしたい人は、自転車と同じ軽車両の扱いにして、車道の左側を歩くようにしてほしいものである。

 もっとも、歩き方で一番大切なのは足元をよく見ることであろう。戸外を歩くのは屋内を歩くのと違って、常に路面に障害物があると覚悟しなければならない。ほんの少しの凹凸でもつまづく危険があるから、常に足元に気を配りながら歩くのが一番大切なことである。

 それにしても、私は生まれて来てこの方「歩き方」について、特に人から教えを受けたという記憶がない。ヨチヨチ歩きから始めて、何となく歩きだし、人並みに歩けるようになり、今日に至っているような気がする。正しい「歩き方」というものは、人生の終盤になって初めて意識的に学ぶ必要が出てくる類いのものなのかもしれない。もっとも「人生の歩き方」の方は、人生のできるだけ早い時期に考えておくべきであろうが。■

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