2017年4月10日月曜日

日本、凄いですね

━━ 忖度と斟酌(そんたく と しんしゃく)

 「日本、凄いですね」的なテレビ番組が盛んだが、この種の愛国心を煽る自画自賛的な番組には違和感を持つ人が多いのではないかと思う。私もその内の一人なのだが、何か作業をしながらテレビを見ている「ながら族」の立場からは結構興味深い番組の一つなのである。自分の関心事だけをチラ見すれば済むからである。

 日本の製品造りで使われている各種の技術やノウハウを惜しげもなく紹介してくれる番組だから、その方面に特別な関心のない素人の立場から見ていても興味深いものがある。私が特に興味深くチラ見しているところは、外国から招かれ製造現場で実地にノウハウ紹介を受けている外国人の様子である。「凄いですねぇ~」とか、「私の国では、そんなことはしていません」などと驚きの表情で「凄いですね」を連発する“凄いですね役”の人達のことである。

 外国語だから真意の程は分からないが、少なくとも翻訳された日本語ではそう言っている。番組作成者の意図通りに動いているのは明らかである。それを見ながら私は、彼らだって愛国心とやらを持ち合わせているだろうに、と思うのである。

 こういう時、一方的に褒めるのではなく「いや、私の国ではこうやっていますよ。その方が効率的ではないですか」などと反論したら、さぞかし面白い番組になるのではないかと思ってしまう。このような場で異を唱えるのは勇気のいることだが、そこから議論が始まれば技術進歩の種が生まれてくるのではないだろうか。

 しかし“凄いですね役”の外国人は専ら場の空気を読んで期待されたようにしか動かない。どこぞの総理夫人のように能天気に、思っていることをペラペラしゃべってくれたら・・・と思うのだが、決してそうはならない。

 しかしそれは当然のことだろう、彼らは旅費持ちで招かれて日本に来たのだ。当然ギャラを貰う約束になっているのだろう。そして東京見物をさせてもらい(多分)、日本が世界に誇る日本食を楽しむことだってできる(多分)。そうなれば、どうしたって招いてくれたテレビ局側の思いを忖度して行動することになる。英語に「忖度」という単語が無くても、彼らだって“相手の心情を推し量る”行為の方はよく分かっていて、自ら進んで実行しているのである。

 先日読んだ「天声人語」に書いてあったが、忖度とは、もともとは悪いたくらみを見抜くことを指したものだという。
「他人心有らば (たにんこころあらば)
  予之を忖度す (われこれをそんたくす)
 とは古代中国の詩集「詩経」の一節である。
 他の人に悪い心があれば私はこれを吟味するという
 意味だと、石川忠久著『新釈漢文大系』にある。


 もう一つ、忖度に関わる話を紹介しよう。
 昔、私が若かった頃のことだが、しばしばギックリ腰になり苦労していた。重い物を持ったのが原因であるが、仕事で身不相応な重責を背負わされたのも原因の一つではないかと今でも疑っている。かなり長い期間、三軒茶屋駅近くにある整体院に通っていた記憶がある。

 そこで治療を受けていると、若い整体師がマッサージをしながら私に話しかけてくる。それに応えるのは礼儀だと思い、普段無口な私もマッサージの痛さに耐えながらできるだけ親しく会話するようにしていた。ある時、その若い整体師が私に向かって、最近コンピュータを使っているんですよと言う。しかもC言語でプログラミングをしているらしい。最近の整体の専門学校では一般教養としてプログラミングの授業をしているのかな、などと考えながら聞いていた。

 すると彼は「C言語って、円記号を使うんですよねぇ~」と感に堪えたように言うのであった。“これは凄いことですね”と私に同意を求めているような雰囲気である。アメリカで作られたプログラム言語の仕様書の中で、こともあろうに極東(*1)のはずれにあるちっぽけな国の通貨記号が使われている。周知のようにC言語では円マーク()が言語仕様の一部として出てくる。それを知って凄いですねぇ~ という気持ちになったのであろう。

【注】(*1)西欧の世界地図では、日本は東の端の極まるところに描かれている。そのため極東(Far East)と言うのであろう。
 私は「いゃ、そうじゃないんです」と彼の誤解を解いてあげようと一瞬思ったが止めた。そして、ただ「そうですよね」と答えるだけにした。

 この瞬間に私が何を考えたか整理してみると
 (1)マッサージが痛くて余裕がない
 (2)誤解を解くには長い話
(*2)が必要になる
 (3)説明してもどうせ理解してもらえない
 (4)相手が喜んでいるのだからその気持ちを尊重しよう

ということになる。
 そして私は、賢くも(4)に重きを置くことにしたのである。

【注】(*2)コードとしての円記号について知りたければ「円記号 技術者のエゴ」を参照してください(20年程前に書いたものですが)。
 後から考えると、このときの私の行為こそが今話題になっている「忖度」というものではないか。日本は凄い国なのだと思っている彼に向って、そうではないと縷々説明しても何の意味もない。このまま彼の気持ちを壊さないようにそっとしておいてあげるのが思いやりと言うものではないか、そう考えたのである。

 これが「忖度」なら、凄いですね役の外国人と似たようなものだと思うが、よく考えると異なるところもある。単に相手の心情を推し量るだけで何もしないのが「忖度」なのに対し、推し量った上でそれを汲み取って何か処置をしてあげると、それは「斟酌」してあげたことになる。
 彼らはギャラを貰って積極的に協力している。これはまさしく斟酌に違いない。逆に私は治療費を支払った上に相手の気持ちを推し量り何もしていない。これは凄い違いだ。

 現在、国会審議等で「忖度した」とか「いや、忖度していない」と言い争っているのは、本来の意味とかけ離れているのではないか。「解釈変更」したり「拡大解釈」を繰り返している。何かおかしいと思う。

 更に言うなら、某財務省や財務局の連中がやったことは斟酌である。某森友学園に対して物凄い斟酌をしてしまったことになる。某財務省の担当者は、事後その記録が残っていないと言う。記憶もないと言う。これは誰かを救うために言っているのは明らかだが、それは「斟酌」ではなく「証拠隠滅罪」,「公文書等毀棄罪」,「偽証罪」等に当たる行為であると言えよう。


 日本には、外国からの伝来文化や技術を取り入れて日本流に消化(日本化)させ、日本独特の文化や技術に仕立て上げる特技がある。中国から伝わったという「忖度」や「斟酌」という言葉も、日本に来てからいろいろな意味が付加され変更されてきたのだろう。こういったことは日本人が最も得意とするところである。


 最近はこの“日本化”の分野に政府も積極的に乗り出してきているようだ。彼らが最も得意とする手法は「閣議決定」したと称して「解釈変更」したり「拡大解釈」してしまうことだ。あるいは「歴史認識」さえも変更してしまう始末である。
 某官房長官などは記者会見の場で「問題ない!」の一言ですべてを正当化してしまう。あるいは「使用禁止!」とか「必要なし」と断定しそれ以上の言及を許さない。恐ろしいことである。「閣議決定」など我々には何の拘束力もないと思うのだが。

 日本って、本当に凄い国ですよね。






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