2018年8月19日日曜日

私のサイン


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── 私の使っていたサイン


 最近、高木貞治著 増訂版「解析概論」を書棚から取り出して何となく眺めていたら、昔使っていた私のサインを発見しました。裏表紙を開くとその左上隅に斜めに書かれていたのです。


( 裏表紙の裏にサイン )

 【私の本棚(21)】「小松崎 茂の世界」でも触れましたが、私は小松崎茂氏のサインを真似て自分専用のサインをデザインしていたのです。学生時代はそれを使っていましたが、企業人になって海外出張したり、アメリカに住むようになってからはもっと簡便なものに変えてしまいました。

 実生活上でサインを多用する環境にいると、複雑で時間が掛かるものより素早くサインできるものが必要になります。

 たとえば、アメリカでは管理者は必ず週報(Weekly Report)を書きますが、職場ではそれが回覧で回ってきます。それを読んだら、自分が読んだことを示すサインと日付を、そして必要ならコメントを書き添えて次の人に回します(これが礼儀でした)。

 回覧の最終受取人はもちろん発行者になりますから、サインから誰が何時読んでくれたか、内容に問題があればコメントを通じて確実にフィードバックされます。このようにして日々の情報が共有されていたのです。これはメール文化が発達する以前の話ですが、誰でもが承知している慣行でした。現在のようにメール文化が進んだ環境ではどうでしょうか。別な面で、いろいろな弊害が出ているのは周知の通りです。

 また、自分のサインは誰が見てもそれと分かり、しかも他人には真似されないような単純なものが有利であることも学びました。余り複雑なサインは避けた方がよいのです。

 最近、トランプ大統領が「大統領令にサインする儀式」をこれ見よがしにやっていますが、あれは自分を必要以上に重々しく見せるためのものでこけ脅しのためのサインであるとも言えましょう。普通に使うサインは簡便なものに限ります。


( 私の昔のサイン )

 以前用いていたサインに出会い、昔の職場での出来事などを思い出しています。メール文化の申し子のような方々の感想を聞きたいものですね。

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