2009年6月11日木曜日

ケータイは学力低下の元凶

 若年層のケータイ漬けが問題になっている。子供がケータイでの通話やメール、ネットアクセス、テレビゲームなどに熱中するだけでなく、学校裏サイトやメールによるいじめ、出会い系サイトにからむ事件も起こっている。そのため、小中学校では、ケータイの校内への持ち込みを禁止しているところが増えているそうである。

 一方大学では、学生を一人の大人として扱うので、本人の自覚にまかせているのが普通であろう。私は、大学での自分の講義中は、ケータイを使わないよう学生に要請している。しかしこれが守られていない。先日などは、授業中に一人の学生が突然立ち上がり、耳にケータイを押し当てながらあたふたと後ろのドアから外に出ていく光景に直面した。本人はそれでマナーを守っている積りなのであろうが、私がケータイ禁止を要請する目的は、マナーのためではない。学生自身が授業に集中できるようにと配慮してのことである。学生本人のためを思ってしていることなのだが、この点が全く理解されていない。

 最近は、ケータイが気になって授業に集中できない学生が増えてきている。数年後には学力低下となってその影響が顕在化してくるに違いない。ケータイが学力低下の原因になるとは、まだ誰も指摘してはいないようであるが。
 仕事中、あるいは授業中に、集中力を高めるにはどうしたらよいかは、【素歩人徒然】「集中力」を参考にしてほしい。

 若者たちは、パソコンやケータイのような情報機器を用いてコミュニケーションを取ることに夢中になっている。いや、若者に限らず最近は老若男女すべてがメール文化にどっぷりと浸かっていると言ってもよい。自分の好きな時間に、自分のペースで情報発信ができるので、誰にとっても非常に使いやすい便利なツールとなっている。しかし、このような形の情報交換にばかり時間を費やしていると、生身の人間との一対一での接触機会が極端に減ってくる。親しい友人以外の者と接するのが次第に億劫になり、むしろ避けるようになってくる。目上の人との会話を避ける結果、目上の人との普通の会話ができなくなっている。私は、受講生から突然メールで何かを依頼されたりすることが多くなってきている。先生に(質問ならまだしも)何かを依頼するときは、まず、会って話をするのが基本であろう。

 その結果、対面でのやり取りを通じて自然に身に付けるはずの能力、つまり相手の感情の変化を読み取る能力や、他者へのきめ細かい感情、感性が育たない。他者の心の痛みや悲しみを感じ取る能力も育たない。他者への心配りができないから、結局自分勝手に行動する人たちばかりになってしまう恐れがある。
 これらの問題は、パソコンやケータイの使い方に関するテクニカルな面ばかりに関心が向き、メール文化の中で生きていく上で必須のデジタルリテラシーが身についていないのが最大の原因であろう。肝心の情報倫理など、まったく身についていない。これら情報機器の持つ便利さと背中合わせの危うさの方もよく理解した上で、上手に使いこなすスキルを身につけてほしいものである。

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