2015年7月15日水曜日

クラス会:顔の焦点が合う

 5月から7月にかけて同窓会が目白押しであった。正確に言うと“同窓会”と“同期会”であるが、最後の7月に計画されていたのは高校3年時の“クラス会”だった。10年程前、高校2年時のクラス会に参加して大変楽しい思いをしたので、今回も大いに期待して参加することにした。卒業以来57年ぶりである。昔の仲間たちが私を覚えていてくれるか多少不安な気持ちもあった。

 そこで、あらかじめ卒業時の全員写真を見ながら各人の名前と顔を確認しておくことにした。しかし誰が出席するかは当日会場へ行ってみないと分からない。私も、自分の名前がすぐ分かってもらえるようにと専用の名札を胸に着けることにした(こういう会では何時も持参し用いている)。
 最近は、幹事さんがあらかじめ紐付きの名札を用意していてくれて、全員がそれを首からぶら下げて会場に入るというスタイルが多いようである。しかし折角の名札が裏返しになって読み取れないこともある。胸に止める名札ならそういう心配は無用であろう。

 当日会場へ行ってみると案の定知らない人ばかりのようである。私だけでなくお互いに相手を確認できないで戸惑っている人が多い。受付で渡された出席者の名簿を見ると、私と同じ会社に勤務していた人、中学、高校と一緒だった人、コンピュータ関係の集まりで何度か会っている人などが出席予定になっている。親しい人が結構多いようで少し安心する。しかし何といっても卒業以来初めて再会する人が圧倒的に多い。

 席に座ってから周りの人たちと協力し名前と顔を確認し合い、何とかほぼ全員の顔の確認ができた。皆さん、それぞれ素敵に齢を重ねておられるようである。60代だった10年程前のクラス会での経験とはかなり異なっている。こうして見ると、人間は70代になると急速に容姿が変わってしまうような気がしてきた。本人にはそういう自覚はないのが普通だから、他人から見たら私も同様なのであろう。

 しかしいろいろと会話を重ね各人のスピーチなどを聞いていると、時間とともに次第に記憶のネットワークがよみがえってくる。少しずつ“現在の顔”と“昔の顔”とが重なり合って、いわば“顔の焦点”が合ってくるのだ。理屈では納得していても、何となく別人(*1)のような雰囲気を感じて壁になっていたものが突然取り払われる瞬間がある。不思議なものである。しかし何故か、女性についてはまったく顔の焦点が合わなかった。

【注】(*1)人間の細胞は毎日約20%が入れ替わっていると言うから本当は別人なのかもしれない。“昔の記憶”は脳細胞から成るネットワーク構造として脳内に保存され、入れ替わることなく受け継がれていくらしい。つまり昔の 記憶だけを共有する別人と考えることもできる。
帰宅後、会場で撮った写真を整理し自作のアプリで編集する作業を行った。編集したものをウェッブ上にアップすれば自分の務め(?)は完了である。写真が欲しい人はそこからダウンロードすればよい。プリントするか否かは本人にまかせる。ただ、ダウンロードする場合は人それぞれ好みの画素数があるから、大中小3種類のファイルから選べるようにしておく。しかし問題は、参加者のほとんどがインターネットをあまり利用していない世代の人たちなのだ。まあ、私のやっている“務め”とは、単なる自己満足に過ぎないのだが。

 この作業をしている間に、私は参加者の顔の“今昔”をじっくりと比較する機会を得たのであった(大変失礼ながら)。
 元オペラ歌手だった男は、眼光炯々として素晴らしい顔立ちになっていた。信念ととも生きてきたのであろう。“男の顔”は自分でつくるものと言われているが、なるほどと思った。
 大学教授として長年活躍してきた男は、その職にふさわしい“穏和な教授”の顔立ちになっていた。企業人から大学教師に転じた私のような男にはとても身に付かない独特の雰囲気を持っている。
 中学校の頃から同級で同じコンピュータ業界にいた男は、なぜか卒業以来一度も顔を合わせる機会がなかった。インターネット上に自分の顔写真は出さない主義の人らしい。卒業以来初めて再会し彼の最近の顔を確認できたのは、私にとっては最大の成果であった。

 また何年か後に、再び会って“顔の焦点”が合うかどうか試してみたいものである。

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