2016年5月27日金曜日

過去の思い出

          ── SNSで永遠に投稿し続ける方法
 私が利用しているSNSでは、最近になって新しい機能が追加され、自分の過去の投稿内容の中から数年前のものを選んで「過去の思い出」として再掲示(*)するよう勧めてくれるようになった。普段から寡黙な私めは、月に数回程度しか投稿しない不熱心なメンバーであるからして、これを「ヒントを与えるからもっと熱心に投稿せよ」という怠惰な私に向けてのSNS管理者からの警告であると理解した。

 しかし過去を振り返るよりも前を向いて進むことを信条としている(えっ? 本当かよ)私めとしては、そう簡単に説得されてたまるかという意地がある。そのため、これまではそういった勧めをすべて無視してきたのである。ところがある時「再掲示」を勧められた記事の内容が、たまたま最近亡くなった友人に関係するものだったので、ふと追悼したいという気持ちになり「再掲示」することに同意したのであった。

【注】(*)詳しく調べてみると、過去の年の同じ日付けに投稿されたものが毎日表示される機能らしい。コメントを追加するだけでなく、本文そのものを編集することもできるようになっている。

 以来、再掲示の勧めに乗ることが多くなり、後ろを振り返ってばかりいる見苦しい事態になってしまっている。ところが、これが思いのほか楽しいのである。なぜかと言うと、以前何を書いたかなど本人は正確には覚えていないから、私も他の方々と同じように第三者の立場で自分の過去の文章を初めて読むような積りで読んでいる。そうすると、ほとんどの場合、私と全く同意見なのである(当たり前じゃ)。ふむ ふむ そうだ そうだ と実に気持ちよく合点しながら読めるのである。全く年寄りの独りよがりというべきであろう。

 SNSの世界で新たに「友達」となった人たちが最近増えているので「再掲示」されたものをその新しい友達に読んでもらうのは、それはそれで意味のあることだ、などと無理やりこじつけたりしている。

 ところが怠け者の私めは、ここで素晴らしいアイディアを思い付いてしまったのだ。
 この機能をうまく利用すれば、私は新たな投稿などしなくても「過去の思い出」だけでSNSの世界で生きていけるかもしれない。齢を取るとどうしても創造的なアイディアが枯渇してきて、新たな投稿の種を生み出すのに四苦八苦するようになる。もうそんな心配はしなくてよくなるのだ。

 自分のアイディアが枯渇している事実を他人に知られないよう、過去の思い出に少しばかり色付けをして新たな投稿のように見せかければよいのだ。今や人工知能を使って小説が創作できる時代である。「過去の思い出」の中で使われているキーワードのいくつかを使って、ちょっとしたコメントを創作することくらい簡単なことであろう。

 これが成功すれば、つまり「過去の思い出の自動修飾」の技術さえ確立すれば、もう私は何もしなくてもよくなるはずだ。 …などと、私めはこれからやってくる怠惰な生活を夢見ているのである。

 ところで、その結果どういうことになるのだろう。もう無い知恵を絞ったりしなくですむ。そうなると頭を使う機会も減るから、認知症になるのは早いかもしれない。あるいは何時、死んでも誰にも気づかれないから、そのまま放置され孤独死することになるかもしれない。


 うむ、それは困ったことだ。やはり、無い知恵を絞り続ける方がよいのかもしれないなぁ~。

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